navikuma のブログ 陽炎のようにゆらめく景色のなかを走行中です。

ユーラシア大陸の端っこからのたわごとです。

お別れ会

2007年10月27日 | 日記
昨晩仕事の同僚が契約期限が切れて退社するのでそのお別れ会と二次会がありました。
帰宅したのは午前さまでした。
ひとつ特記すると参加した同僚の顔ぶれ(出身国/民族あるいはその移民2世や3世による)でした。
二次会の14名はそれぞれ,地元オランダ,フランス,モロッコ,チニジュア,スリナム,エクアドル, マレーシア,インドネシア,トルコ,アディゲ(CIS北コーカサス),ギリシャそして日本でした。若い人がほとんどでしたけどね。*(音符)**(ウインク)*

オランダのアムステルダム近郊にある会社で働く人たちのケースで何もここだけの例外ではありません。
たぶん欧州域のそこかしこで見られる日常的な風景です。*(地球)**(音符)**(チョキ)*

おっとこれが大事です。
親しい仲間との別れを惜しむ気持ちとともにとっても和気あいあいの楽しいひとときでした。
久しぶりに歳の差を乗り越えていっしょに楽しめました。*(ニヤ)*



一念奮起で大掃除を

2007年10月22日 | 日記
前の晩思うところがあって一念奮起, 永らくとっ散らかったままで飛び石を踏む状態だった下の部屋(タウンカーマーといわれています=庭に面した部屋のこと)の大掃除と整理をしました。*(グー)**(ダッシュ)**(音符)**(足)*

朝早くから初めて夕方までほとんどぶっ通しでやっと見違えるようにきれいになりました。
特に積読雑誌や積重衣類が呆れるほどたくさんあって整理整頓作業をしているとドアを開け放しにしていても汗をかくほどでした。*(汗)**(いっぷく)*

この前掃除したのはいったいいつだったっけ?
思い出せないくらいむかし?

腰も痛くなり肩もこるぐらいの大仕事でしたが, 事が成ってすっきりきれいになった部屋を眺めると疲れも吹っ飛びます。*(ハート目)**(コメント)*

また眺めもすこぶるよくなって見ちがえました。 
たまにはこんなことも良いもんです。*(ニヤ)**(グッド)*

半年間で3回目の当て逃げ駐車に遭いました

2007年10月14日 | 日記
また当て逃げされました。*(すっぱい)*

ところはそれぞれ場所は異なりますがいずれも駐車中の私の車へのダメージです。
後部左フエンダーからバンパーにかけての部分を当てられ塗装がけずれてバンパーは大きく亀裂が入ってしまいました。ホイールキャップも酷く傷つきました。*(激怒)*

気づいたのは買い物が済んで車に戻ったときでした。
が加害者である犯人は今回もとっくにトンズラしていました。
このダメージに対しては自分だけで対応する以外なす術もありません。*(困る)*

わずか半年間に続けて3回です。
空港や買い物に行った先の駐車場での出来事です。

運が悪いと言い切るにはあまりにも哀しい気がします。
犯人の運転技術/技能の良否の部分もあるでしょうがこういうことがひんぱんに起こるのはもっとモラルや良識の欠如あるいは心の荒廃があるのかもしれません。*(割ハート)**(バツ)**(最低)*

この頃はおそらく私だけでなくもっとたくさんの人たちもこういう当て逃げの被害者になっているのではと推測されます。

当面は修理せずにそのままほうっておくつもりです。
どこかにいるはずの加害者がまたそのダメージを見る機会があれば,また少しでもその人に良心があれば何かを感じるかもしれません。
あるいはまったくそんなことは感じない人たちかもしれませんけどネ...
*(いっぷく)*


遥かなるバルカンの空の下へ-4

2007年10月05日 | 日記
目覚まし時計のアラーム音で目覚めた。

今回のたび初日のきのうは幾度も渋滞に巻き込まれながらの長距離長時間運転だった。その疲れのせいだろうかそれともエアコンがよく効いた快適な部屋だったせいだろうか眠りに落ちてからは朝まで目覚めずぐっすり眠れた。*(いっぷく)*

窓のカーテンをすこし開いて外を見ると小さな灰色の曇り空が中庭を囲む屋根のうえに乗っかっていた。
部屋にあるシャワーでさっぱりしさらに夏の間だけ使うことにしている洗顔フォームで寝ぼけ顔を洗うと顔面だけはスカッとした。
頭のなかはまだ睡眠中なのかボーとした感じだ。

無意識にコントロラーをもってそれらしきスイッチをさがし当ててテレビをつけた。
たくさんあるプログラムの中から地元バイエルン放送局を選んで観ていると朝9時のニュースが始まった。連日の大雨によるライン川の氾濫にみまわれているドイツ南部のカールスルーエ市とその近郊住民の様子が放映されていた。

確かスコットランド地方でもすでに一ヶ月間以上も深刻な洪水に見舞われているらしい。ここに来る前にそのことを何度も繰り返しテレビニュースでも伝えていた。
洪水の被害に苦しめられているところに住んでいる人たちにとっては災厄以外の何物でもない。
であっても今直面している自然災害に対してはどうしようもなく恨めしいことこの上ないだろう。*(激怒)*

まくらもとの目覚まし時計の長針はもう9時を過ぎていたので閉まる前にと朝食をとりに食堂へ行った。
入り口に立って中を見渡すと12~3ある大小のテーブルに空きが見つからないくらいの混み具合だった。

幼児2人を連れた母親のテーブルの横を通ってセルフサービス式のメニューを取りに行った。平皿にゼンメル(まるパン)とシュニット(小ライ麦パン)、バター、薄切りハムトマト・きゅうり・パプリカの薄切りを取った。一方の手にオレンジジュースのグラスともう一方の手でお皿とまだ暖かなゆで卵を持って出入り口近くのテーブルの上においた。もう一度こんどは中型カップへ熱い紅茶をいれて持ってきた。*(紅茶)*

ではいただこうかとその朝食を食べ始めたばかりの頃である。
向かいのテーブルにいた2人のうち幼いほうの女の児(3歳ぐらいか)が食堂の中をちょこちょこと歩き回っていた。*(シャイ)*

そのうちわたしが座っているテーブルにもやってきてなにやら好奇心いっぱいの眼差しをして私を眺めそしてしばらく立ち止まっていた。
その後なにを想ったか急に出口から食堂の外へ飛び出していった。その児の母親はもう一人方の女の児に気をとられていてそのことに気づいていない様子だった。
そのままにほっておくと親の目の届かないところへ一人で行ってしまう心配があった。
どんな危険があるかもしれない。*(青ざめ)*

私は食事を中断してすぐにその幼児の後を追って外に出てみた。その幼児は出口から4メートルほど先まで進んでから私が後から追ってくるのに気づいて後を振り返えった。そしてこちらを向いてそこに立ち止まった。お互い向き合ったまま姿勢でたっていた。

時間にするとわずか10秒間ほどだった。
私は声を出さずに後を振り返える仕草を入れながら「お母さんのところに行きなさい。」と日本語でその幼児に諭した。
ほんの少し躊躇した様子だった。
だがすぐにこちらに向かって歩き出し私の横をすり抜けてお母さん達がいるテーブルへはしって帰っていった。
やれやれという気がした。
*(いっぷく)*

ちょうど2週間ほど前にドイツのある空港の待合室でお母さんが目を離した隙に幼い男児が椅子から顔面着陸して目の上を幾針か縫う事故があった。緊急医療隊が駆けつけて応急手当をしたが一時は大騒ぎだった。搭乗待ちの間に起こった事故だった。
たまたまそこに居合わせたそれの記憶がまだ鮮やかだったのでその女の児の活発な動きがよけい心配だった。
とても愛嬌のある女児だった。
だからよけいお母さんしっかりしてよ!と言う想いを巡らしつつ自分のテーブルに戻って再び朝食を食べはじめた。

そんなことを考えていたせいか正直なところ味の方の記憶はさっぱり残らなかった。
ただこのホテルの名誉のために付け加えれば“朝食の内容は十分だし味もけして悪くはなかった。”と想う。
ここのも例外ではなく“ドイツのパンはおいしい!”でした。*(ニヤ)*

さあこの旅行2日目の始まりです。

旅行バックを後部座席へ積み込み運転席の横と助手席のところに今日走る予定の数種類の道路地図をそろえて置いた。
一応エンジンオイルの点検をしてからエンジンスタート。

ホテルの地下の駐車場から静かな大通りへ躍り出た。
道路標識をたどりながら週末土曜日の朝10時まだ静かなニュールンベルクの街路を北へ走り再びアウトバーンA3に乗る。
そのアウトバーンを走ってさらに南東のレーゲンスブルク, パッサウ, そして国境の街シューベンからオーストリアへ入る。

ここまでの道のり事をすこし詳しく書いてみたい。*(ウインク)*

このバイエルン第2の都市ニュールンベルクからはきのう通過してきたフランクフルト方面へのルートの他に6本のアウトバーンが延びている。
これから向かうレイゲンスブルクからさらにオーストリアへ入るA3をはじめ,南へ向かうA9では同じバイエルン州の州都ミュンヘンへまたベルリンは同A9を北へ,西へ向かうA6はマンハイムへそして東のチェコ国境とさらにその先のプラハへむかうアウトバーンがある。

そしてもうひとつほぼ真北に位置するマイン河畔の街バンベルクへ向かうA73がある。

じつはこのバンベルクは昔から旨いビールで有名な歴史ある街である。また欧州地域の舟運に関してもとても重要な位置と意味を持っている街でもある。*(ビール)*

この街は欧州大陸を流れる2大河川であるライン川とドナウ川を結ぶマイン・ドナウ運河のマイン河畔の連結地点にある。

開通したのはそれほど昔ではなく先の東欧革命のやま場を越えた1992年である。
鉄のカーテンで分断されていた西欧諸国と東欧諸国の交流が再び始まった象徴的な時期でもある。
この欧州大陸を西と東を貫く河川網を使った舟運はこれからますます増加傾向にあるそうだ。

ローレライの歌で親しまれるライン川はスイスアルプス山奥の源流から流れ出しオーストリア・リヒテンシュタイン・ドイツ・フランス・オランダをゆったりと流れオランダのラインデルタで北海へ注ぐ。全長1320km。*(音符)*

一方美しき青きドナウで有名なドナウ川はドイツ南西部シュバルツヴァルト(黒い森)の源流から流れ出てバイエルン地方を横断しつつオーストリアへ入りさらにチェコ・スロバキア・ハンガリー・セルビア・ブルガリアをうるおしルーマニア・モルドバ・ウクライナのドナウデルタで黒海へ注ぐ。全長2860km。*(音符)*

欧州大陸を移動する手段としては通常空路と陸路である。
陸路の場合は張り巡らされた高速自動車網か鉄道網を利用する場合がほとんどである。アウトバーン(オートルートやアウトストラーダなど国ごとに呼称が異なる)やDB・TGV・ICEなどそれにあたる。

しかし優雅に河川ルートを使う手もある。
まだ使ったことはないがその気になればオランダからライン川を遡りマインツでマイン川へ入りこのバンベルクからニュールンベルク・ケールハイムまでマイン・ドナウ運河を通り抜けてこんどはドナウ川へ合流してレーゲンスブルク(ここ気に入っています,ドイツ最古の石橋やオルフェウスの窓の舞台でもあります)・パッサウへそしてオーストリアへ入りリンツからさらに東のウィーンへと船旅を楽しむこともできる。
実際そう言う河川クルーズ企画がいくつもあってドナウ川を下って黒海まで行くものもあるらしい。
たとえばアムステルダム-ブダペスト・グランドクルーズ14泊15日なんてのがあります。
いつの日かそんなことをぜひ実現させてみたいものである。ロマン溢れた雄大で優雅なお遊びになりそうである。*(グッド)**(ニヤ)*

実は今回のアウトバーン網を使って走ってきたルートは北海のオランダからドイツを縦断しオーストリアのリンツまではそっくりこのライン・マイン・ドナウ河川ルートに沿って走ったことになる。距離にしてほぼ1000kmであった。

その先オーストリーのリンツからはしばしドナウ川とは暫しのお別れをしてパンノニア平原を南下しバルカン半島へ入ってさらに南下をつづけセルビアの首都ベオグラードで再会する事になるのだが。

EU統合がされてわずらわしい国境審査は無くなったが,とうぜん国境はありオーストリアに入ったという道路標識がそれを知らせてくれる。
それと国境地帯には一昔前までは当たり前だったそういう手続きを行う国境関連施設はほとんどそのまま残っている。

アウトバーン上の国境なので速度標識に従って80km/hまで速度を落として停まらずに通過する。
じつはそこで停まってある重要なことをしておくべきだったのだが, 知らぬが仏後悔先に立たずということをほどなく思い知らされることになる。*(すっぱい)*

国境を越えてからはアウトバーンA8になりリンツへ向かいつつ、東のウィーン, 西のザルツブルクそして南のグラーツへ向かうアウトバーン路線合流点へする。
ここオーストリアはお隣のスイスとともに速度違反の取り締まりが厳しいことで知られているので注意する。

次の大きな街であるリンツへ向かってドイツよりもすこしゆっくりアウトバーン制限速度である130km/h+で走る。

オーストリアはスイス・オーストリアアルプスの峻険な山々にいだかれた風土で風光明媚緑濃い山ばっかりというようなイメージが強いがたしかに北部と東部を除いてその感が強い。

そんな峻険な山々を貫く数え切れないほどのトンネル突き抜けながらシュタイアマルク州を南下する。
元映画スター現米カルホルニア州知事アーノルド・シュワツネガー出身地でもある州都グラーツへ向かう。
このあたりは行けども行けどもずっと雨降り続きで霧と雨雲におおわれアウトバーンの両側の山々は裾野付近ですらも雨脚にかすんで見えない有様だった。*(雨)*

次回はいよいよ旧ユーゴスラビアの最北部に位置するスロベニアへ入って行きます。