navikuma のブログ 陽炎のようにゆらめく景色のなかを走行中です。

ユーラシア大陸の端っこからのたわごとです。

里芋がおいしい

2007年01月31日 | 日記
どこ産?かは判らないけれどもときどき里芋1パック(4~6個ぐらい)をアムス(家から約20kmぐらいの距離)にある食料品店から調達してくる。
皮付きのまんまお塩を一つまみいれてゆっくり煮る。*(温泉)*

ただそれだけ。
*(ニヤ)*
すっかり冷めた頃,その素朴ないでたちの皮をむいていただく。
これがけっこうおいしいんです。*(グッド)**(ハート目)*

食が進むのでついつい食べ過ぎないように注意がひつようですが。
また買って来よう。*(ダッシュ)**(車)*

苦手なあの店...

2007年01月29日 | 日記
きのう大決断をして勇気を出してあの苦手な大型店へプリンターのカートリッジを買いに行った。*(すっぱい)*

家の近所にはそんな商品を売っているお店はいつごろからかなくなってしまった。
多分量販店にお客を取られて商いが立ち行かなくなってしまったんだろう。

苦手な店の名前は”MEDIA MARKET”で大きな集合映画館とサッカースタジアムのそばにあるこれまた超大型小売店です。そのあたりはすべて新しく超大型ビルや大型商店アーケードが集中しているところ。
おびただしいメディア関連商品で埋め尽くされた広大な店内はこれまた相変わらず溢れんばかりの来店者でごった返していた。*(怒り)**(困る)**(青ざめ)**(バツ)**(最低)*

苦手なんです。こういうお店って...
騒がしくって煩雑で商品が多すぎて店員もそっけない対応だし,中にいるとなんか大量工業製品生産工場か倉庫に紛れ込みその一部に成り下がったような寒々とした感じがしてくるんだよね。
人間の温かみが感じられないしショッピングを楽しむ雰囲気が希薄なんだな。
あるのは商品とお金の交換作業だけ。*(困る)*

そのカートリッジだけ買って一目散に店外に出て他のお店に食料の買出しに向かった。*(ダッシュ)**(車)*
ふう疲れた。*(いっぷく)*

情緒不安定児かな

2007年01月27日 | 日記
きのうのフライトで同乗した両親とその幼い子供のことですが,丸2時間の間わめきぐずり駄々をこねっぱなしでした。*(眠い)*
私も含めて周辺の乗客は大変迷惑でした。*(激怒)*

搭乗まちのときからもうそんな様子でしたからいったいどういうことなんだろうと思ってながめていましたがちょっと異常でした。
何がって,そうなっていた3歳ぐらいの男の子様子はもちろんですが,その両親がそれをまったく気に留めていないことが...
まあ幼い子供ですから時には体調があるいは機嫌が悪い時もあるでしょうが度が過ぎた状態でした。
あれでは子供があわれです。可哀そうでした。*(シャイ)**(困る)**(バツ)**(割ハート)*
その子の親の責任と自覚を疑いました。*(ジロ)*







冷え込んできました*(結晶)*

2007年01月23日 | 日記
今晩から冷え込んできました。
いま氷点下3℃ぐらいです。

明日はまた南スペインへ出かけます。
向こうは地中海の陽光さんさんの初夏のような爽やかな気候でしょう。*(晴れ)**(椰子)*
しかしあっちへ行ったりこっちへ行ったり帰宅は金曜日の晩遅くの予定。
先週もそうだったな。
違うのはこっちの冷え込み(冷えごみ)本気のようです。*(グー)**(結晶)**(青ざめ)*

ウクライナ方面への旅-16 (完)

2007年01月21日 | 日記
朝テレビの天気予報では気温は28℃ぐらい,ところにより雨だった。
窓の外は気持ちのよい風がそよぎ青空が広がっている。*(晴れ)*
今日はいよいよこの旅の最終日になる。ポーランド・ドイツの国境を越えてオランダの自宅に帰る。道のりは約1100kmある。

フロントで宿泊代50ユーロ+昨晩の夕食代25.30ユーロをVIZAのクレディットカードで支払った。
駐車場で荷物を積み込みオポールのホテルを後にした。

朝の混雑というほどでもないオポールの街中を抜け標識をたどって北へ向かう高速道路A4へ乗る。
高速道路の進入口には料金所がまったく見当たらない。あいかわらずここも無料らしい。

空いた道路をときおり思い出したように追い越したりまた追い越されしながら130~140km/hのペースで快調に走っていく。
注意していたのだが,きのう午後の道路閉鎖の痕跡らしきものはまったくみられなかった。
いったい何が原因だったのだろう。
昨晩チェックインする時にフロントでそのことを聞いてみた。
しかしまったく知らないということだった。
この辺に住む人たちにとって恐らくこういう事態はよくあり,取り立てて注意を払うほどのことでは無いのかもしれない。

むかし通った頃であるから80年後半~90年前半の話である。
この辺りは交通量も少なく寂れて荒れるにまかされていた継ぎ接ぎだらけのアウトバーンしかなかった。
そのことを思えば今走っている道路はまるで夢のように滑らかで快適そのもの。*(ニヤ)*

”まさに隔世の観あり”である。

シロンスク北部はのどかな耕作地が拡がる一帯である。
ゆるやかな土地の起伏を単調になぞる道路が南北にはしっている。
北上しながらレーグニツッアの南を通りドイツとの国境の小さな町オルジナをめざす。

このレーグニツッアの近くにワ-ルシュタットという小さな村がある。
そこは13世紀半ば15万のバトウ率いるモンゴル帝国のヨーロッパ遠征軍と対するポーランド・ドイツ諸侯連合軍4万が激突したところです。
絶対死守を托された西欧地域世界の最後の防衛線とされたにもかかわらずP/D連合軍はもろくも壊滅した。
その結果当時の西欧州世界を恐怖のどん底に陥れた戦いの跡地です。
このあとモンゴル軍は南下してウイーン近郊までも遠征しています。

村の名前はワーシュタットとつけられた,その意味は”死体の森”だそうです。
そのくらい無残で壊滅的な敗戦をし絶望的な雰囲気に覆われてしまったのか。

バトウにとってはその後の西征はらくらくとつづけられたはずですが,オゴタイ・ハーン急死の報により突然引き上げていかねばならなかった。
よって幸運にも,まるで神風が吹いたごとく西ヨーロッパはモンゴル軍の征服から辛くも逃れることができたという顛末です。

当時ヨーロッパ一精強な騎士団もまったく歯が立たなかった異形のモンゴル騎兵の大群への恐怖心は700年以上たった今でもここの人たちの潜在意識に強く刻み込まれているように思える。*(進入禁止)*

敷設工事真っ最中の片側左車線をしばらく行くとなんと,
”いやっこれはまずいではないか!”という事態が出来した。

もう国境までそれほど遠くないところにきているはずなのだがなんとあの”ヒットラーの遺産=コンクリートのアウトバーン=ガッタンガッタン道路”がまだ残っていたのだ。
つい先日ウクライナで我々に起った忘れがたきトラブルが再び鮮やかに思い起こされる。
こわれはしなかったけれど今は相当疲労しているはずの特に右側後輪のサスペンションを労わりつつスピードを抑えて走らねばならなかった。

どこにでもある例ですが欧州大陸にあるたくさんの国境越え近くの道路は概して貧弱で荒れていることが多い。
そこにかけられるメインテナンス予算がほとんど無いのかそれとも優先順位がめっぽう低い為そうなってしまうのだろうか。
一気に走行スピードを60~70km/hに落として走った。

手元の道路地図を見ながら国境前さいごから二つ目のガソリンスタンドに給油のため寄っていく。
一番さいごのガソリンスタンドはいつも混んでいてしかもお客の足元を見ているのかすこし割高である。
とはいいながらポーランド国内のガソリンの価格はお隣ドイツやオランダよりはるかに安価である。*(お金)*

給油の後,昼食の腹ごしらえにあのおいしいグリル・ソーセージと香ばしいパンをいただいた。

この辺りの国境地帯は白樺の木々が混じる針葉樹と落葉広葉樹の混交林が拡がっていて山菜取りと散歩を兼ねた近郊の人たちが多くやってくるところでもある。

今日は週末の土曜日だ。
国境にむかう街道の沿道にはその日採集したブルーベリーやきのこを売る露店がたてられ往来するドライブ客を待っている。

給油したガソリンスタンドの敷地内にもそうして採集したきのこ売りや押し売り・車窓拭き屋などが大勢いててぐすね引いてお客を待っている。
なかに一抱えほどのかごの中に大きくて見事な松茸を盛り上げたのを売っているのがいた。
値段を聞いてみると30ズロチだそう。ひとしきり値切って20ズロチ(=5.3ユーロ)にまけてもらった。

かさの肉が分厚い見るからにすくすく育った松茸たちだ。
日本で買ったらいったいいくらぐらいするものだろうか? 
そんな経験はもちろん皆無で良くわからないがけっこういいお値段になるのだろう。
ポーランドの森の香いっぱいのその松茸さんをなるべく涼しいリアのトランクへ壊れ物を扱うように大切におさめた。

幸いにも何事も無くさいごのガッタンガッタン道路区間を走りきりポーランド-ドイツ国境のオルジナに着いた。*(映画)*

さすがにEU圏の国境である。今回はたった20分でなんら問題も無く通過できてほっとした。
時刻は真夏の陽が高みから照りつける午後1時すぎであった。

さてこれからは快適なアウトバーンのドライブがオランダまで続く。
約800kmの道のりである。
もうこの先には穴ぼこやガタガタ道は無いのである。
一安心である。

ドイツへ入ってからは,コットバス-ベルリン-ポツダム-ブランデンブルグ-マグデブルグ-マリエンボーン(旧東ドイツの国境で今は記念博物館になっている)-ブラウンシュヴァイツ-ハノーバー(2000年に万博が開催された町)-バッド・オイハウゼン-オスナブルック-オルデンザール(オランダ側の国境の町)-ヘンゲロー-アペルドルーン-アムスフォート-ヒルバーサム-自宅というもうお馴染みの勝手知ったルートである。*(チョキ)**(音符)*

案の定と云おうか,ポーランド天気予報はさすがといおうかベルリン南郊を過ぎたあたりから青空に薄黒い雲のかたまりがあらわれるようになって来た。ところどころで雲に遮られ陽射しが隠れる。

そうこうするうちに時折ウインドウグラスに大きな雨粒がパラパラとたたきつけるようになって来た。
天気予報どおりの空模様ではないか。*(雨)*

まだ夏休みたけなわの8月19日(土)の午後とあってアウトバーン上の交通量がけっこう多い。*(車)*
流れの速い車たちに混じって”ところにより雨”のアウトバーンをひたすら緯線をなぞるように西進していく。
昨今のアウトバーンでは140~160km/hをキープしていても6~7割をこえる俊足の車たちが幅を意利かせていて彼らに簡単に追い越されていく。
その大きな一因は速いディーゼル車が多くなった為である。
昔のディーゼル車のような醜い黒煙をほとんどかまったく吐かなくなった。
昨今のエンジン技術の進歩はたいしたものである。
燃料コストが高騰を続ける昨今高性能でしかも高速でがんがん飛ばしても燃費がよく割安なディーゼル車は欧州市場で大好評だ。
それでも個人的にはやっぱりガソリン車のほうが好きであるけれど...。

そして何時ものようにアウトバーンの切り替え(A2からA30へ)地点になるバッド・オイハウゼンの街中で最後の給油ストップのため停まった。

その際,念のためウクライナで修理したあのリアサスの動き具合を確かめてみたが大丈夫そうだった。
終点まであと320KMである。

そのガソリンスタンがある一帯は大きなショッピングセンターになっていて土曜日午後の買い物客たちで混雑していた。

すきっ腹をなだめるためすぐ目の前ガソリンスタンドの並びにあるジャンク・フードのレストランでチキンバーガーお持ち帰りメニューを買ってきて二人で車の中で頬張った。
オデッサやヤルタの街角で食べたあの絶品のドネ・ケバブ巻きとは比すべきではないけれどジャンク・フードはやっぱりジャンク・フードのお味である。
お腹だけはとりあえず一杯になったから良しとしよう。*(サンドイッチ)*

いつものようにオランダに近づくにしたがって気温は下がり何のチックも無いオルデンザール国境を越えたあたりからは本格的な雨模様になった。
たしかこの旅へ出発したときも雨降りの天気だったことを思い出した。
やれやれ...
強い雨まじりの横風にたびたび進路を乱されそうになりながら平らでますぐな道路の多いオランダの高速道路(=オート・スネル・ウエッグと呼ばれます)を我が家へ向かってすすむ。

アムステルダムから南に向かう高速道路の下をくぐり左右に湖沼が広がるところに出る。
雨雲に覆われたくらい低い空,その左手前方小さな湖沼が広がるそのさきにいつも見慣れている教会の尖塔が見えてきた。

その湖沼が終わるところで本道を下りその教会の角を曲がり小学校のまえを通り太鼓橋を越えつきあたりのショッピングセンターの前を左折してそしてすぐに右折して,そしてわが家に帰り着いた。

ほぼ予想どおりまだ外が明るい夕方8時過ぎだ。
あたたかい小雨が舞い落ちるわが家へ,二人とも無事帰還した。
安堵のため息をつきながら積算計の数字を見ると2週間前に出発してからの走行距離が6935kmを走破したことを表示していた。*(家)*

遠いといえば遠かったなウクライナは。
いろいろたくさんのことがあったな,今回の旅もまた。
行けてよかったな。
そして無事帰って来れて,とにかく良かったな。*(グッド)*
またいつか行ってみたいものだ。

なまなましい旅後の充実感に浸りながら二人で車から旅の大量の荷物を一つ一つおろした。

もって帰ってきたものは美しいパレフ塗りの宝石箱,アンティークのオイルライター,クリミアワイン それからヤルタの石。
たくさんの写真,おびただしい領収書やレシート,訪ねたところの観光ガイドブック数冊,キリル文字表記のウクライナ道路地図数冊,市街地図数部,おっとそれからこわれたリアサスペンションも。
両手でも抱えきれないほどたくさんでずっしりとおもい旅の想いでが溢れでてくる。*(ニヤ)*

そして私と息子の小麦色に焼けた顔にはあのウクライナの輝く陽光と蒼穹が色濃く映し込められているのがはっきり感じられた。*(晴れ)**(ウインク)*