navikuma のブログ 陽炎のようにゆらめく景色のなかを走行中です。

ユーラシア大陸の端っこからのたわごとです。

ウクライナ方面への旅-2

2006年08月28日 | 日記
真夏の太陽がじりじり焼けように照りつける昼下がり,視界の中の上半分は紺碧の空下半分は黄色いひまわりか麦畑が広がる沃野をどこまでも続くひなびた街道脇の木陰で取れたての鮮やかな緑のスイカや真っ赤に熟れたトマトを粗末な木製の棚に並べて通りがかりのドライバー客をじっと待つ年老いた老婆と幼い少年。*(晴れ)**(晴れ)**(ウインク)*
こんな風景がよく似合う東の国ウクライナへ向かってオランダの自宅を車で出発しました。

ポーランドまでは今までに何回となく行き来したことがあるので旅の計画の中心は当然未だ見ぬウクライナ内に絞り込みました。*(山)**(波)**(ダッシュ)*

地図で観るとアムステルダムから真東に順にハノーバー,ポツダム,ベルリン南を通過しそれから南下してドレスデンへ。
又再び真東に進路を取り国境を越えてポーランドへ入りブレスラウから南部の古都クラカウへ入る。
クラカウからまた真東に向かいメディカという寂れた村にある国境からいよいよウクライナへ入る。

出発してからここまで来るのに3日,走行距離約1700KMでした。

最後のクラカウーメディカ区間が今幹線道路の拡張工事中真っ最中で片側通行部分が多く随分時間がかかった割りには走行距離が伸びなかったけど,オランダ-ドイツ-ポーランドのアウトバーンはいずれもよく整備され快適で年季の入った我が車でも140~160KM/Hレベルで走れその気になれば一日に1000KM以上のペースもなんら問題なく消化できる。*(1)**(0)**(0)**(0)**(びっくり2)*

その国境に着いたのは午後4時半ごろ。多くはウクライナナンバー車そのほかに少数のポーランド,リトワニア,ロシア,ドイツナンバー車に混じって出入国審査を待つ2車列のうち左側に並ぶ。
一番前の車から数えて40番目ぐらいだったか?

かつての東ドイツやポーランドの国境がそうだったように,このウクライナの国境では典型的な社会主義国特有?の非効率非寛容官僚根性丸出しの勤務態度とシステムが今でも発揮されている様で,通過するまでになんと正味3時間半もかかってしまった。

昨年8月から日本人はヴィザが不要になった筈だけど,入国カードに旅程詳細を書き込んで提出する必要があった。
車の車検証と運転免許証も併せてチェックされた。
ウクライナ側の国境審査だけでわれわれ二人分の所要時間が約20分以上を要した。
車用の通過証だけで4箇所合計3個のスタンプを押された。

ウクライナの観光地の第1弾はたっぷりメディカの国境通過体験でした。*(最低)*

夕闇迫る中今日の目的地で宿泊予定地リヴィウまで約80KM進む。ポーランドから1時間の時差があるので腕時計の針を1時間進める。
*(時計)*
ポーランドの知人から教えられていた通り道路が悪い。悪いなんてもではなくてひどい!こんな悪い道路を走ったことは生まれてから今まで”ずっと昔の日本の道路”ぐらいしかなかったぞ!! 
無数の大小の穴ぼこや逆のこぶ突起,無造作なつぎはぎ,深いわだちやしわ寄せのオンパレード。
殆ど舗装道路の態を成していないトリプルAグレードだな。*(最低)**(最低)*

全く見知らぬ土地で夜の闇で真っ暗な道路ウクライナ語とロシア語(キリル文字)表示のわかりにくい道路標識の何重困難を考慮して土地の人の車と思しき貨物トラックの後をついて走ることにする。
観たかった景色は明日までお預けとなる。

11時ごろやっとリヴィウの市街に入りホテル探しを始めた。*(温泉)*
市街路の路面状態はさらに醜く苛烈であった。何年前敷いたかわからぬほどひどい凸凹とうねりの石畳道路でなんと1速ギヤでしか走れぬほど悪い!!!
しばらく真っ暗な街路をガタゴトガタゴト走っていたら運良くホテルらしきサインを見つけそれを辿っていったら暗闇の街の一画に小奇麗なホテルを発見した。

飛び込みで空き部屋の有無を聞いたらあるとの事。ほっとしましたね。

高い値段の高級ホテルであれば事前予約の手もあるけど財布が軽い我々の予定が頻繁に変わる旅行ではこのように”行き当たりばったり飛び込み専門ホテル”になるんです。

車は安全のために100mほど離れたところにある高いフェンスで囲まれた私設駐車場へもって行った。

出来ればもっと早くホテルに入ってリヴィウの観光見物がてらレストランで晩飯でもいただきたいと淡い期待をしていたんですが,実際はポーランドでの交通渋滞とやっぱりの非効率高度非経済観念の塊のような国境審査手続きに半日以上を浪費したので
観光並びに晩飯も無し!で床に就くことになってしまった。
暑さが厳しい外から来るとそれでもエアコンの効く部屋であったのでこんな”つき”のないウクライナの旅初日でもぐっすり眠れましたね。*(結晶)**(グッド)**(ニヤ)*


どうも旅行記の距離が伸びないけど後日続きを又書きます。






ウクライナ方面への旅ー1

2006年08月23日 | 日記
では今回の旅行記の第一回目です。
*(1)**(ニヤ)*

もう随分昔のことになるけどやはり夏休みにポーランド東部に行った時”上空を鳶が舞う小高い山並みの向こう側はソ連邦ウクライナだよ。”と話しながら真夏の陽を頭上に浴びながら寂れた山岳路を車で走っていたことがあった。その夏休みの間にもウクライナナンバープレートを付けたメーカー不明の汚れてずい分と疲れた車を何台か見かけたことがありました。
そのときから”いつかはあの山の向こう側のウクライナへ行ってみよう!”と思っていました。*(笑顔)**(クローバー)*
それからまもなくソ連邦自体が崩壊解体してしまった。前後するが長男が生まれたのが89年12月初めでまさに東欧革命の真っ最中,ルーマニアの革命戦の模様が連日テレビの画面に映し出されていたっけ。

旧東欧諸国への入国ビザについては90年代~2005年を通して年を追うごとに不要になり入りやすくなってきています。
ウクライナについては昨年8月1日から不要になった(実態は少し違うけどね)ということです。

それから一昨年,トルコ方面へ旅行に行った時にイスタンブールでポスポラス海峡クルーズツアーをした際に(値段が安いツアーだったので)あと少しで黒海というところでUターンしてしまい欲求不満として残っていた。
”一度はこの目で黒海を見,その潮の香りを嗅いでみたいものだ。”と思い続けていました。*(笑顔)**(波)*

そんな積年の夢=願望だったウクライナへの旅が今回実現したのです。

例年どおり我流欧州大陸旅行法に則って,たとえどんなに目的地までの距離が遠かろうと自分の計画したルートを自分の力で自分で車を運転して行くことにした。
目的地とそこにいたる途中の土地土地云々の道路地図や観光資料集め,関連書籍の通読等出発のその直前までああでもないこうでもないと思いを巡らし準備を進めるのがとても楽しいんだなこれが。*(車)**(地球)*

他方だいぶ年季の入った我車の整備点検には念をいれて行った。(けどこのところが今回の旅行で一番心配危惧していた点で実際旅行中にたいへんなことになる。)それからもう1件,予定していた旅程大変更を余儀なくされたルーマニア行きのカーフェリー利用不可があります。

今までの車での遠距離旅行の経験を生かして必要なものの準備も滞りなくするようにしました。
さらっと列記すると,
安眠マクラ,カッパ,うちわ,防虫スプレー,電気蚊取り器,トイレットペパー数巻き,緑茶や清涼飲料水ミネラルウオーター缶/ボトル数ダース,スナック菓子類多量,ナイフ/フォーク/スプーン/箸/はさみ/密閉容器/カップ/ふきん等一式,双眼鏡,射光マット,ペンライト,窓拭き用のきれいなぼろきれ少々,それからあんまり必要ないことを願うものだけど盗難防止ハンドルロック,スペアオイル2Lと修理用工具わずかなどなど。
まあ当然だけど今回はウクライナ内ではクレジットカードを使わないで済む様(カード情報の不正利用のケースが多いらしいので)に,現金でUS$とユーロを相当額用意した。

それから,東欧/ロシア・ウクライナ方面地図数部は勿論。ナビはなし,ガスは満タン!

そしてほぼ予定通り8月6日(日)朝9:25うす曇の空模様の下息子と私は一路東方へ向けて自宅を出発した。

書き出してから出発までにずい分講釈が入り込んでしまいましたが、これからの旅行記のあらすじを書くと次のようになります。

延べ旅日14日間,総走行距離6935KM,通過国名:オランダ-ドイツ-ポーランド-ウクライナ,主要通過都市名:アムステルダム(NL)-ハノバー(D)-ベルリン(D)-ドレスデン(D)-ブレスラウ(P)-クラカウ(P)-レズラウ(P)-レヴェウ(UA)-キエフ(UA)-オデッサ(UA)-ヤルタ(UA)-セベストポール(UA)-チェルソン(UA)-ノベ・サンツ(P)-クラカウ(P)-ブレスラウ(P)-ベルリン(D)-ハノーバー(D)-アムステルダム(NL,
1日目:自宅~ドレスデン
2日目:ドレスデン~クラカウ
3日目:クラカウ~リヴィウ
4日目:リヴィウ~キエフ
5日目:キエフ
6日目:キエフ~オデッサ
7日目:オデッサ
8日目:オデッサ~ヤルタ
9日目:ヤルタ/セベストポーリ
10日目:ヤルタ~チェルソン
11日目:チェルソン~チェメルイニック
12日目:チェメルイニック~ゴルリス
13日目:ゴルリス~オポール
14日目:オポール~自宅

で,ウクライナのことですけど予想したとおりの部分と呆れたり驚き感動したこともたくさんありました。

その国土の約1/2にあたる西部地域と南部地域を走り回ったことになりますがウクライナは文句なしに欧州で1番肥沃で大きな穀倉地帯を持っていますね。自分がいる場所から見渡す黄色いひまわり畑の実り豊かな大地とその上に澄んで広がる蒼空,こんな雄大な景色は私のちゃちなカメラのフレームにはとても収まりきれませんでしたね。
その点ではポーランドやハンガリーに似ているかももしれませんがただスケールが一桁以上違ってました。
今は形骸化してしまいましたがかつてのソ連邦時代の売りのひとつのコルホーズ(集団経営農場)のイメージとぴったり合いますね。

ここではウクライナ語が公用語になっていますがキリル文字のロシア語も厳然と広く使われています。地図と道路標識はロシア語とウクライナ語時々はラテン文字表現も混じって移動中行き先の判断にずい分悩まされました。
それから文句なしに”舗装路の態を成していないと断言できるほど道路が悪い!”。
平でスムースな道路はわずかしかなくてその殆どは,でこぼこ・大穴多数開き・深い轍・大小のこぶ・うねり・継ぎ接ぎ路面の連続でしたね。
そんな悪路の対向車線をを地元のドライバーはものともせずぶっ飛んでいくんです。
西欧や日本製の最新型高級車種(ローバー/BMW/ベンツ/VW/ボルボ/ポルシェ/レクサス/インフィニティ/アキュラ)と韓国製のモデルが驚くほど多くてびっくりしました。勿論東欧製のモデルもたくさん走っています。反面故障車が沿道に途切れなく止まっていましたね。

ウクライナの平均年収はUS$1748-/2005ですからUS$4.8-/日という国の物価はやっぱり安かったな。
普通に食事をすると2人分で6~8ユーロ,ガソリンは0.7ユーロ/Lぐらい。
ただし今回泊まったホテル(2つ~3つ星クラス)はツイン朝食つきで50~95ユーロ/日で割高感だった。
キエフのMCで食べたら3.4ユーロ/人前でした。これはあんまり安くないか?

こっちがウクライナ語あるいはロシア語がさっぱりだめだったこともあるけど,西側のようにお客受け入れに慣れていない呈のところが多かった。でも一方主にオデッサやヤルタなどの有名な保養地では愛嬌一杯で英語が通じるところもけっこうあリましたね。

まあこんな具合で,書きたいことはたくさんあるので次回は訪ねた各地の様子と遭遇した出来事をつづってみたいと思います。
*(ウインク)*


東方への旅から今戻りました。

2006年08月20日 | 日記
延べ14日日間のウクライナ方面への車での旅から今戻りました。
*(いっぷく)*
出発した初日から3日目まではところどころ雨天に出会いましたがそれ以外は25~35℃の苛烈な晴れの天候に恵まれ?すばらしく類まれなそして夏休みらしい体験ができました。*(ウインク)**(グッド)*
お土産に買ってきたクリミヤワインと宝石箱よりも見事なできばえの工芸品の手塗り小箱?を眺めつつ長かった旅路を思い出しています。*(笑顔)*
正直言ってウクライナからポーランドへ国境を越えて入った(入れたが実感)時息子と二人でほっと安堵の深呼吸をしました。
待ち時間も入れた出国入国手続きにまる2時間もかかりましたからね。
*(汗)**(汗)**(びっくり2)*
これから3回ぐらいに分けてウクライナの旅について書いてみたいと思います。

帰宅した今夜は小雨模様23度cでとにかくぐっすり眠れそうです。*(ウインク)*


雨だれ

2006年08月05日 | 日記
今朝早く目が覚めて早朝の冷気の漂うまどの外の様子を眺めていました。
一瞬の出来事,幼子のほっぺから飛び出たほどの小さな風が梢をさっと撫ぜていきました。その前と後は時の流れが止まったような空間に一幅の絵のように凝結してしまった外の景色。
そう見えつつも早朝の太陽のやさしくて暖かい光が溢れてきてその絵に生き生きとした命をあたえているようです。
穏やかで,平和な朝です。*(笑顔)*

よく自分の幼い頃の体験でしょうが想いに浮かんでくるんです 雨だれのこと。
夏の夕立と猛々しいその夕立が尻尾を残していく様な残り雨のふりかた=”雨だれ”が妙に印象に残っています。*(涙)*
縁側に座って観ている自分と軒先からまっすぐに落ちてきていくつもの水泡あっちこっちにをたてて流れ去っていく ”雨だれ”。*(涙)**(ウインク)*
いつか夏休みに行った山岳の保養地で似たような体験をしました。
突然の夕立に小さなお店の軒に雨宿りさせてもらった時,足先に落ちてきて大きな水泡をいくつも立てて流れていく”雨だれ”。大きな茶色いワンちゃんといっしょに見ていました。*(雷)**(雨)**(涙)**(涙)**(青ハート)*

心が落ち着きますね”雨だれ”をながめていると。*(ウインク)*