navikuma のブログ 陽炎のようにゆらめく景色のなかを走行中です。

ユーラシア大陸の端っこからのたわごとです。

散歩の風景-3

2010年06月22日 | 日記
幅2mほどの砂利敷きの散歩道はいままで歩いてきた道からやく1m盛り上がった堤の上に敷かれている。

T字でつながるこの堤は右へ折れると隣村へ向かい、そして左へ行けばV字状に拙村の湖沼沿岸地帯である東側へ向かって折り返すようにつながっている。

やはり堤の両側には水路が沿っている。
この堤の地中には村のためのガスパイプラインが敷設されているらしく“GASUNI”と標された膝ぐらいの高さの小さなコンクリート製の道標が生い茂る葦にうもれるようにたっていた。

これから向かっていくところの左側は堤に沿って背の高い雑木の杜がしばらく続く。
その杜の中に高い屋根のけっこう大きな倉庫とまだ新しい造りの家屋が4~5軒建てられている。なじみのスポーツジムはちょうど反対側であるこの杜に入ろうとする一番と始めの建物である。

一方右側は大きな升目で区画されたほとんど平らで濃緑の牧草地が拡がっている。
歩いていく前方の風景の全幅はちょうど両肩の高さで円弧を描いて上下に2分されその牧草地を抱え込んだようになっている。
円弧は村を2分する大きな水路を支えている堤が描く線で、そのうえに木々や雑草の縁帯を張り付け夕暮時で幾分色あせた青い空との境に飛び石のように埋め込まれた家屋を配したように見えた。

ザクッザクッと玉砂利を踏みしめながら歩いていると、杜の中から野鳥達の声が漏れ落ちてきた。
数も多く散歩道にでてきて遊んでいるほど一番目立つのはブラックバードで、その容姿に似合わず私のような行きずりの散歩者にも惜しみなくその美声を披露してくれる。

“小鳥さん好い子だな! とっても好いきれいな声だよ! ありがとうよ!”とつい声をかけた。

散歩をしていると自然に優しい気持ちになってくる。
出遭うたびに牛や馬や羊や猫や犬でも水鳥や野鳥や昆虫でも、また杜でもお月さんでもつい一声かけたくなってくる。
もちろん路上でときどき出会う村の犬の散歩をしている人たちに対してもそうである。

散歩している地面から伝わるリズムを足の裏に感じその歩く速さで目に映るもの見、微風を肌に感じ、もの音を聴き、匂いをかぎ、そして胸に吸う空気がそうさせるのだろう。
車を運転していてはおそらくそういう風な気持ちになることはないだろう。

杜が途切れ歩いて往く前方の家並みから灯りが目だってきたあたりでふと振り返えると小さな九夜月が白く陰光を放って杜の上の空に輝いていた。
そして畏れを知らぬケムトレイル機が音もなくその月のすぐ下かすめる様に白線を曳いて通り過ぎるところだった。

今歩いている砂利敷きの歩道はゆるやかに右へカーブしながら家並みに近づくにしたがって堤が徐々に高くなっている。
歩いていても判らないぐらいの登り坂なのだ。

この辺りまで来ると左右の眺めが上から見下ろす感じが出てくる。
とくに家並みの外縁部はその景観があきらかに低く見える。
とはいってももうすぐ目の先に見える境界線の水路まで行けても前述した東側地帯と西側地帯の高さの違いだけ、つまり目線で3~3.5mほど高くなるだけである。

今は週末土曜日の晩である。
誰かの誕生日パーティーが祝われているのだろうか。
その家並みのどこかからそれらしいざわめきと蘭国調歌謡曲が夕闇に漂っていた。

砂利敷きの歩道が尽きる所で村いちばんの広い水路に渡された小さな跳ね橋で交わる。
この幅6~10mほどの水路は小さなボートや運搬船が通れまた湖沼へ出ることができる水路でもある。

左へ折れると水路沿いの堤に敷かれたアスファルト歩道が村の中心へ向かって延びている。
右は民家が1軒建っていてそちらへ進むことはできない。

予定通りその跳ね橋を渡って湖岸地帯の方へ向かってこんどは細かい砂利敷きの道を進んでいった。
ちょうどその時、橋の近くでマガモの母親がコガモを4羽ひきつれて水面をかき分けて葦の茂みへ入っていった。
*(びっくり2)**(音符)**(ハート6つ)**(ニヤ)*

散歩の風景ー2

2010年06月12日 | 日記
とはいってもどっちも海面下で低湿地帯であるのは変わりがない。確かアムステルダムでも海抜はー3~6mくらいだったと思う。*(汗)**(怒り)*

いま歩いている散歩道に沿って掘られている水路の水は気がつかないほどのわずかな流れがある。
ぱっと見ただけでは流れがあるとは見えないし濁っていて汚い。

そうでないところもある。
それは村の東側で湖沼につながっている地帯の水路の水はここよりもはるかにきれいに見える。
たぶんそちらの水路につながっている湖沼の水が適度に循環している所為だろう。

この水路にはマガモやオオバンなどの水鳥たちが住み着いていて水のきれい汚いには頓着せずせわしなく水面をうごき回っては健気に餌さがしに勤しんでいる。

その水路に沿って外縁路がまっすぐに真南へ伸びている。

アスファルト敷きの散歩コースの歩道はちょうどその真ん中に挟まれた格好で造られている。
幅約2mほどの散歩道の両側には何という名かは判らないがどっしりとした背の低い太い幹の木が何本も植えられていて今は若葉色の枝葉が覆いかぶさるように茂ってまるで並木のトンネルのようである。

途中に大きな柳の木が1本あってその前にあるバス停の屋根を包み抱く様に枝葉が垂れ下がっている。
その歩道を約500mぐらい先になる外縁路の角にあたるところまで歩いていった。

行く手水路の右手向こう側には中高等教育を対象にした目新しい校舎と緑鮮やかな校庭をもつ学校がある。
そことこちら側とは水路を跨いだ小さな太鼓橋でつながっている。

さらにその先には幾つかのサッカー場やホッケー場やコルフボール場そしてテニスコートとそのクラブハウスが連なっている。
いまは夕暮れ時こんな時刻でも屋外は明るいのでスポーツを楽しむ人影がうごき歓声が聞こえてくる。

そのテニスコートがあるところまでが家並みのいちばん南端地区にあたり外縁路はそこで変則的な十字路になっている。
そこを左へ折れると車道は行き止まりであるが、右へ折れると隣村へつながる村道が牧草地の中を突っ切ってまっすぐに伸びている。
散歩コ-スはその十字路をさらに南に直進する。

とつぜん大きな“グワンッ グワンッ”という迫力のある犬の吼え声の出迎えをうけた。
2匹の大きなマウンテンドッグ犬がこっちに向かって走ってくるのであった。
一瞬足が止まった。
*(ジョリー)**(グー)**(ダッシュ)**(青ざめ)*

がよく見ると彼らは水路の向こう側、私はこっち側である。
安堵しふたたび歩き出すとその2匹の犬たちも水路の向こう側約5mの水際を相変わらず図太い吼え声を放ちながら追ってきた。
犬たちは水路の向こう側といえども吼えながらどこまでも追ってくるのはあまり気分の良いものではない。
しばらくそのまま進んでいくと犬たちも飽いたのか吼えるのを止めてもといたところへ引き返していった。

ひょっとしたらその犬たちはオランダ版羊飼い犬なのかもしれないと思った。
なぜなら犬たちがいるところは酪農家とすぐわかる母屋と大きな牛厩舎が並んで建っているところで、その背後には牛馬や羊たちが散らばって草を食んでいる駄々広い牧草地が拡がっているからである。

怪しいやつを追っ払って“ひつじたちを守る自分達の役目を果した”と満足したのだろうか?

その牛やひつじたちのことであるが、彼らはほとんど一年中その牧草地のどこか夜でも露天ですごすようだ。
夏場はまだしも嵐の日もまた氷点下になり真っ白に霜に覆われる冬場でもそうである。
仕事への往き帰りにそういう彼らをしばしば見たことがある。
牛舎へ入るのは搾乳する時と出産する時ぐらい、羊のほうも毛を刈られるときと出産の時ぐらいだろう。
 
もう少し先へ歩いていくと左手に馴染みのスポーツジムの建物がある。
毎週末私が汗を流しに通っている所である。
その場合はここまで車で来る。
家からわずか数分の所である。
今のように歩くと25分ほどかかることがわかった。

ここまですこし早足で歩いてきているので背中のあたりがかすかに汗ばんできていた。

水路の向こう側は牧草地が茫洋と拡がり隣村の巨大な風力発電用風車が小さく見えるその後ろで夕陽が西の空をオレンジ色に染めて地平線の彼方に沈み込もうとしている。

たぶんこのあたりが今日の散歩コースのちょうど半ば辺りになるはずだ。
ここから50mほどはおが屑が敷いてある路面がありその先はやや盛り上がった所に砂利道敷きの路面が見えた。
*(足)**(音符)**(山)**(グッド)**(ニヤ)*

散歩の風景-1

2010年06月05日 | 日記
休まずに歩くと1時間ほどでぐるっとひとまわりすることができるような小さな村に住んでいる。

この村は大小幾つかの湖沼が連なるその西岸地帯の南北に集落が拡がっている。
首都であるアムステルダムから高速道路(オートスネルウエッグと呼ばれる)にのって真南に走れば約20分ほどの距離にある。地元の役場が発行している最新版資料によれば約8500人ほどが住んでいるという。*(家)**(足)**(ウインク)*

先週の土曜日は、珍しいことに、信じられないようなよい天気だった。ここに住み始めてからもうずい分長くなるがこれは第4回目の“ 散歩 ”になる。それほど記憶がはっきり残っていて容易に数えられるほどめったに散歩をしたことが無かった。

ラフでゆったりしたコットン地のスポーツ着に着替えデジカメを手にし、もう少しで陽が落ちようとする時刻になって出かけることになった。

さてはと、散歩の準備が整いいざ出かけようとした時にさっきからPCに向かっていた息子が 振り向いて ”どうしたの?”と怪訝な面持ちをした。
それももっともなことで、こんな時間にこんな風体で外出することは無かったから。
そしてもう何年間も“散歩”はしたこともなかったから。
“ ちょっと散歩に行って来る。 ”と言ったら “そう、じゃ。”とそっけない反応があった。

5月も末である、めっきり長くなった春の日差しがやがて西の空へ傾き落ちて行く時刻(9時過ぎであった)、玄関に乱雑に並んでいる靴やサンダルのうちから厚い靴底のでよく足に馴染んだカジュアルシューズを選びだして履き、初夏向きで薄手の上着を羽織った。
玄関のドアを後にして停めてある車の横をすり抜けて歩き出すと右の腰につけた万歩計のカウンターがカウントを始めた。

永年住んでいるので土地勘はある。頭の中にラフに描いていた散歩のルートにしたがって見慣れた家並みの間をぬって歩を進めた。
ふだん車で走るのとは違ってやりなれない自分の足で歩こうとするのだがなんか靴底がしっかり地面についていないようなぎこちなさを引きずりながら歩いているような感じがある。

今歩き出したところもそうだが、車道はアスフアルト敷きで歩道は敷石そして自転車/歩行者路はアスファルト敷きになっている。なぜだかアスファルト敷きより敷石が敷き詰めてある歩道の方が歩きやすい。

この時刻でも夏時間になってしばらく経った昨今は外にいれば日中と変わらぬ明るさである。
それでも家々の屋根やこずえの上に拡がる空の青さは徐々に色あせはじめている。

まず村の南西にあたる外縁路に出るためにこの村を貫通している何本かの主要車道の一つに沿って石畳の歩道を歩いた。
ここは田舎であるからもうこんな時刻になると往来で出くわすのはわずかな車や定期バスだけである。
出発してから3回角をまがっただけでもう家並みが途切れるところまで来てしまった。
ここまでちょうど10分ほどかかった。
その間に出会った人はわずか3人だけ。
そのうちの2人と3匹は顔見知りではない。いずれも小さな犬をつれて歩いていた。おそらく近所に住む人たちであろう。
猫にも一匹出合った。まだ若そうな白黒ブチの猫が歩道に撒かれた砂の上で仰向けになって背中をこすり付けて足掻いていた。
歩いてきた私に気づくとはっと身構えた後、庭の植え込みの中へ逃げ込んでしまった。

この村の外縁はいたってわかり易く先に拡がる牧草地と内側の家並みとを水路で区切られている。じつはこんな小さな村の中も外も幅4~6mほどの水路がくまなく張り巡らされている。
そうしないと陸地が態をなさなくなるほど湿気はもちろんめっぽう水気の多い土地であるためだ。

私らが住んでいる家がある一帯の土地は海面下約6mだそうだ。一方村の真ん中で分けている幅の広い水路の向こう側半分にあたる地帯はそれよりも約3~3.5m高くなっている。

東側にあたる湖沼沿岸地帯の土地が高く西半分が低くなっているのだ。
想像するに近くの湖の水面が2階にある居間のソファかテレビ画面の高さと同じなのだ。
*(波)**(汗)**(テレビ)**(怒り)*
次回に続きます。

散歩を始めました。

2010年06月01日 | 日記
あることがきっかけで、散歩を始めました。
ちょうど1週間まえの土曜日からですが、毎日約1時間前後で住んでいる村の界隈を散歩しています。
理由は、健康維持のためです。

夕昏どきに歩くことが多いのですが、現在まで幾つかのコースメニューができています。
日差しが長くなってきているので足元がまだあかるくてますます歩きやすくなってきています。

次回その”散歩 ”のことをすこし書いてみたいと思っています。*(足)**(音符)**(ニヤ)*