navikuma のブログ 陽炎のようにゆらめく景色のなかを走行中です。

ユーラシア大陸の端っこからのたわごとです。

遥かなるバルカンの空の下へ-18

2008年09月30日 | 日記
しばし道草をする。*(お茶)**(いっぷく)*
いま旅をしている地域は先のユーゴ紛争以前にもその歴史に記されている国名や属領名や覇権国名がめまぐるしく変わってきている。
世界的にみてもとりわけ複雑な歴史をもっている。
まず地勢的にそうなのだが大昔からたえまなくそのときどきの周辺域列強国同士のパワーバランスに翻弄され続けてきている。
その地域に住んでいる当事者自身の都合や意志が尊重されることはまれであった。
周辺大勢力同士の利害や都合による容赦のない横暴・横専が繰り広げられいつもその結果暴風雨や嵐にほんろうされ易いバルカン半島であったしこれからもそうであるかもしれない。*(怒り)*

古代シュメール,アッシリア王国,ペルシャ帝国,古代ローマ,ローマ帝国云々と。さらにビザンティン帝国,サラセン帝国,オスマン帝国,オーストリア・ハンガリー帝国,ロシア帝国,そして近代の西欧諸列強にと。
それゆえ大昔からいつも大帝国の狭間にあったことで多様な文物と民族が往来しその複雑で多彩な歴史絵巻がくりひろげられてきたのだ。
華麗さや豪華絢爛とは縁が薄いが素朴で味わい深い風物を育んできた地域である。

ながい歴史絵巻に登場する人たちの呼称も数多く一様ではないことがわかる。
書物に書かれていたりあまり深く考えずに○○人・△△族と呼んだりしているがその定義を判りやすく言い表すのはなかなかむずかしいようだ。*(!?)*

呼ぶ立場の違いや時代で呼称がちがってくる。
それを承知であらためてこのバルカン半島を往来した人たちを眺めてみるとじつに多様でバルカンという地域の特徴をいっそう際立たせてくれる。

ざっと拾ってもみると古くはアカイア人,ドーリア人,イオニア人でいずれも古代ギリシャ人のご先祖様たちがいる。
それからケルト人,アヴァール人,ブルガール人,東ゴート族,フン族,ダキア人,イリユリア人,ローマ人,ぺチェネグ人,クマ人,南スラブ人,マジャ-ル人,ノルマン人・ランゴバルド人, ロマ(ジプシー), セルビア人, アルバニア人,マケドニア人, モンゴル人, チュルク人, チェルケス人,ルーマニア人,モンテネグロ人,クロアチア人,スロベニア人,ボスニア人,ボシュニヤック人,ポマク,トルコ人,ドイツ人、ハンガリー人、イタリア人 そしていちばん新しい呼称ではユーゴスラビア人と言う具合になる。
とくに遠いむかしとくに中央アジアや北方からやってきた人たちが多い。*(足)**(地球)**(砂時計)*

また宗教については古いほうからミトラス教,マニ教,オルフェス教,そして現代のローマ・カトリック,東方正教会,イスラム,ユダヤと多岐にわたっている。
古代地中海世界で育まれた多神教的な部分は今でもかれらの慣習にその残滓をとどめていたりしている。

現在使用している文字はラテン文字とキリル文字であるが古代にはフェニキア文字,ギリシャ文字そしてオスマントルコ帝国属領であった頃はアラビア文字も使われていた。

文化となるともう一言二言ではとうてい言い表せない重層文化でありかつそういう複雑な文化をもつ多様な民族が今もなおバルカン半島には複雑に雑居している。

とうていすべてはおぼえきれないしましてやきちんと整理しようなど大それた気を起こしようがない。
だいたいどこに視点軸を置いてはじめたらよいのかもうそれだけで大難問である。
気を入れてそういう作業を行おうとするとたぶん精神分裂を起こすのではないだろうか。
ここもそれほどの多様性に満ち満ちている地域である。

多様で雑多な民族の混在についてはお隣のトルコやコーカサス地方そして西・中央アジア地域にはとくによく見られる傾向である。
今までのところは国家ががんじがらめにしばりつけていて外からは見えにくいがあの大国ロシア連邦や中国だって実態はひょっとしたらもっと重症のように思える。*(グー)**(汗)**(困る)*

とにかく通念的な民族・国民国家概念ではとうてい解釈しきれない地域である。
そして西洋と東洋の連結地域にあり民族・文化・言語・宗教が多様でその歴史の複雑さもがバルカンと言う所の特徴でもある。

そんなことを想いうかべながらさらにバルカンの旅を続ける。*(音符)**(ダッシュ)**(車)*

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