出張の都度和菓子を買っていたらたまったものではないと思うのだけれど、どうやら自分は和菓子について財布の紐がかなり緩いらしい。同じ値段でも洋菓子となると「ショートケーキが500円!?有り得ねぇ」と、かなりシビア。
冷静に考えりゃ清浄歓喜団の方がよっぽど高いのに、額面は同じでもそこに見出す価値は人によって全然違ってくるから不思議。思い入れを持つこととは人生を豊かにする良いスパイスだと思うけれど、単価の安い趣味でよかったと思うこの頃。
というわけで、駄菓子で有名な高山を素通りするわけには行かず、今週も和菓子レベルを高めちゃいましたよ。(バカ)
。。。
黒や茶が基調のしっとりとした古い町並みが歴史を感じさせる高山の町。
歴史を紐解いてみると、この町並みは戦国時代の高山城主「金森長近」が京の町になぞらえて造った城下町らしい。「信長の野望」の金森長近って戦闘能力低かったよな~思い起こすが、長近は千利休や古田織部に師事した茶の湯のこころを備えた武将だったらしい。それで京の町並みか~なるほど納得。
その時代から伝わる和菓子…というか駄菓子に「こくせん」がある。煎ったゴマを水あめで固めてひねったものにきな粉をまぶしたもので、きな粉の程よい甘さとゴマの香ばしさが印象的な干菓子。穀類を煎ることから「こくせん」と言うようだ。
この「こくせん」は越前大野のきな粉菓子「けんけら」に良く似ている。その関係を調べてみると、城主金森長近の前任地が越前大野であり、高山へ移封された際に「けんけら」が伝わり「こくせん」になったらしい。
国が代わった=国遷=「こくせん」…なるほどね!昔に因んだ言い伝えもあるようだ。
ちなみに越前干菓子「けんけら」のネーミングは初代越前大野藩主が家来から差し出された銘菓を賢家来(けんけらい)と命名し、それが「けんけら」に転じていったそうな。和菓子も歴史ととセットにするとなかなか面白い。
◇飛騨高山の駄菓子◇
こくせん ★☆☆☆☆
他に、きな粉を細長く固めた「甘々棒」や落花生を砂糖と水あめ煮つめ、板状にした「豆板」などがあり、これに「こくせん」を加え「飛騨三大駄菓子」と呼んでいるようだ。