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勉強会@戊辰役東軍殉難者慰霊祭

2013年09月28日 | 飛耳長目
お江戸での歴史勉強会に参加させていただいている中で、お教えいただいた地元開催のイベントに参加。

会場は日蓮宗の蓮永寺。家康の側室お万の方が家康の供養を行ったお寺で、家康とお万の位牌があったり、なんと、幕末三舟の書!!が所蔵されてたりする由緒あるお寺。

お万の方供養塔

墓地には勝海舟の母や妻、その他、数多くの士族たちの墓も眠り・・・

皆様、墓石めぐりに余念がありません。歴史の勉強会において墓地を訪れる機会とても多く、主題とは関係ない有名人のお墓もお参りすることしばしば^^;

う~ん、灯台もと暗しというか郷土愛の欠如というか…昔親戚の法事で訪れているんだよなぁ。

ここ数年、歴史を研究されている方々の中にお邪魔させてもらいると、自身の浅学さに
(よくまぁ歴史好きを公言していたョナ)
ため息がでちゃうのだが、それでも真摯に研究しまとめられてきた先人の資料が意外と誤りが多かったり、新説が出てきそうな状況をお教えいただくと、ちょいと詳しくなったような錯覚を覚え、少しずつ郷土の歴史についても学ぼうという姿勢が強くなった…気がする^^;


さてさて、今回の戊辰東軍殉難慰霊祭とは、戊辰戦争の戦没者の追悼を行うもので、今年で21回目を迎えるイベント。今回は維新の歴史に名を刻まれた人物の子孫の奉読や静岡藩の歴史について記念講演が行われた。

講演の「戊辰戦争生き残りたちの静岡」においては、維新後、400万石から70万石に移封された徳川家や幕臣たちが駿府へ大勢移り住んできたことが非常に興味深かった。
そのなかには幕府の教育機関に所属していた当代一級の学者たちも移住してきており、維新後の静岡では学問や文化の力を利用して旧幕臣たちが徳川再興を図ろうと、駿府学問所(静岡学問所)や沼津兵学校が相次いで開校されそうな。
これら学問所にはあの勝海舟も尽力しており、蓮永寺にはアメリカよりエドワード・W・クラークなどの研究者を招き入れ、教育の礎を構築したらしい。
昨今、静岡県の学力テストが全国最下位となり、県知事が校長の名前を公表するしないと息巻いていたが、当時の静岡藩は日本の学問の中心地となっていたそうな。

早紀にも書いたが、蓮永寺の中には幕末の三舟(勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟)の書が飾っており、講義のあと皆で写真、写真・・・写真・・・うっ・・・




(…どれが誰の書なのかわからない)
わからないが、三人の書が同じ個所を飾られているということに大興奮。
もう少し調べて今度は親戚の法事、絶対出席しよう(^m^;)

この慰霊祭には遠方からも含め60名近くが参加し、夜は静岡駅前のホテルで懇親会。

江戸の勉強会の先生・生徒の方々もわざわざお越しいただき、静岡のサブカルチャー講座の方々含め交流が深化した一日でした。10月のお江戸勉強会、参加しなくては!

◆うんちく◆
明治維新の廃藩置県において、全国に3府302県が置かれ、静岡藩も新たに静岡県と命名。ただし、現在の静岡県全体ではなく、西は浜松県、伊豆は足柄県といったそうな。

ちなみに廃藩置県前は当初駿府藩と呼ばれていたが、府中という言葉が全国的に使われるケースが多かったことから、政府より駿府の名前変更命令があったそうで、藩としては「静」「静城」「静岡」を案として政府に提出したところ、「静岡」となったそうな。「静岡」の「シズ」は賤機山に由来するようですよ。

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