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水の如しに学ぶこと

2014年01月04日 | 飛耳長目
今年の大河ドラマは黒田孝高こと黒田官兵衛
個人的な話をすると、黒田官兵衛をはじめ戦国時代の歴史に傾倒したきっかけは
『信長の野望-武将風雲録-』というシミュレーションゲームの影響が大きい。中学の頃、織田信長を崇拝する友人宅で教えてもらったのがきっかけだ。
このゲームの秀逸なところは、ただの戦争ゲームだけではなく、米相場の変動や国力富裕の差、堺の会合衆との関わり、茶会や茶器の文化なども総合的に学ぶことができてしまう点。
当時は何のことかわからなくても、記憶力だけは旺盛な年代。歴史的事実や武将の名称、茶器の名称などは正確に使われており、これら要素が歴史に興味を抱かせる下地的存在となっていることは今振り返ってもよくわかる。このゲームにおいて、「黒田官兵衛」「竹中半兵衛」は特別な存在で、将棋でいう飛車角に匹敵する能力をもっていたため、友人との争奪戦は田中マー君なみに激化していたことを記憶している(笑)
あれから随分月日が流れたが、今年の大河ドラマは戦国好きになったきっかけの武将なので、注目してみたい。


戦国の覇者3名(信長・秀吉・家康)に仕え乱世を生きぬいた官兵衛は、その慧眼から稀代の軍師と評されている。秀吉の四国大返しを進言(その準備周到さから官兵衛が本能寺の変を画策したのではとの見方もあり)や、調略を用いてことを進める様から、裏から手を回す計略家や野心家のイメージが強いが、いっぽう1585年には高山右近や蒲生氏郷らの影響によりキリスト教に入信しており、1592年には朝鮮の役において「如水」と号して出家しており、野心家とは異なる宗教観、考えを持っていると推察されている。

「如水」という号にした背景は諸説あるようだが、戦国の乱世を生きぬいた官兵衛の処世術・慧眼ぶりは異彩を放っていると思う。下に、主要戦国大名や同時期の軍師などの生年、没年を一覧にしてみたが、激動の時代を乗り切った勝者であることが浮き彫りになる。
※名前の上の数字は年齢。(誕生日を考慮せず生年没年で計算しているので前後のズレあり)


注目すべきはその年齢。秀吉や官兵衛のように勝者であっても60前後で没しており、志半ばで命を落とすもの、天寿を全うしたものあわせて命を燃やした時代であることがうかがえる。地動説を唱えたガリレオ・ガリレイや、作家のシェイクスピアと同時期というのも意外な事実として面白い。

「如水」と号した背景のひとつは、朝鮮の役において秀吉の怒りを買わぬよう出家し、その際に
「権力や武勲、領地や功績も、水泡が消え去るように去って行くもの」
達観して名乗ったという説もあるが、家康時代に入り、キリシタン大名の高山右近が国外追放となった顛末をみると、出家自体にも卓越した先を読む力が備わっていたように考えられる。
孫子の兵法の中に「虚実」という項がある。水には常に形が無く、地に従って形を成すというもの。これこそ黒田官兵衛の生き様であり、「如水」という号ははそこからとったとされる説の方が個人的には好きだ。

水の形は高きを避けて低きに赴くが自然であり、兵の形は実を避けて虚を撃つが自然である。 水は地によって流れを制し、兵は敵によって勝ちを制す。 故に兵に常勢無くして敵に従いて勢を生じ、水に常形無くして地に従いて形を生ず。 よく敵の変化によりて勝ちを取る、これを神という。 故に五行は相剋して常勝無く、四時は巡りて常位無く、日は移りて長短生じ、月は没して死生有り。

(孫子の兵法書全三十三巻 虚実より)


というわけで今年は少し大河ドラマに期待してみようと思う。蜂須賀小六の配役ピエール瀧にも注目したい(笑)


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