Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

撮影できないんです

2008年12月11日 | 家・わたくしごと
 プライベート用のデジカメを修学旅行に行く息子に貸してしまったので、写真を撮影することができません。どこへ行くのにもデジカメを持参している私としては、なんだかこの3日間落ち着かないのですが、まあ、息子の写真を楽しみにしていましょう。
 こうして自分のデジカメがたった数日、手元になくなって思うことは、なんだかデジカメが自分にとって手帳のような存在なってしまったことへの驚きです。別に毎日、写真を撮るわけでもないのに(もちろん手帳だって、毎日書き込むわけではありません)、持っていないとこれほどまでに不安にかられるなんて!
 あとはこの三日間、私の心を躍らせるような被写体に遭遇しないことを祈るばかりです。ちなみに、私の携帯でも写真は撮影できますが、おじさんは携帯で写真なんて撮影しないんです。ということで、本日の写真はなし!

明日から修学旅行

2008年12月10日 | 家・わたくしごと
 修学旅行に行くのは、私ではなく息子である。だいたい大学には修学旅行なんて存在しない。福岡、長崎、佐賀、熊本と九州北部ツアーで、羨ましい限りだ。福岡にはたまに仕事で行くが、長崎は高校2年の修学旅行以来訪れたことはないし、佐賀には足も踏み入れたことはない。
 今回の修学旅行に合わせて、かみさんが新しいスーツケースを購入した。頑丈であるにもかかわらずスーツケースそのものが軽いのに驚く。なんだかあんまりピカピカで使うのがもったいないくらいである。
 息子曰く、福砂屋のカステラを買ってきてくれるそうである。福岡空港限定の「めんたいこポッキー」なんてものより私としてはありがたいのであるが、小学生が買うおみやげとしては少々マニアックかも。まあ、期待しないで待つことにしよう。できればノーマルものより、チョコの方が好きなんだけどな・・・。


12月の民族音楽学研究室

2008年12月09日 | 大学
 12月になると研究室のドアがクリスマス・バージョンになります。クリスマス・リースはオーソドックスで素敵だと思いますが、そこはひねくれ者の私。やはり民族音楽学研究室らしいクリスマス・デコレーションが欲しい・・・。
 数年前、11月の末から沖縄、東京、大阪といろいろ物色し、私の眼鏡にかなったのが、二つのクリスマス・デコレーション。一つは、インド製のクリスマス・デコレーション。そしてもう一つは、ブリキ製で赤と緑のサボテンのクリスマス・ツリーの飾り物。ボリビア製だったかな?吉祥寺でこのデコレーションを見つけたときは感動ものでした。
 毎年11ヶ月間は研究室の中で大事に保管されていて、12月になると陽の目を見るクリスマス・バージョンは、まさに12月の民族音楽学研究室のシンボルです。ところで、今年のクリスマスは、雨季のインドネシアで一人きり。大好きな生クリームのケーキが食べられないのが残念です。行く前に食べるぞ!


リンゴ

2008年12月08日 | 家・わたくしごと
  私の実家からリンゴが一箱送られてきた。断っておくが、私の両親は東京に住んでいるし、東北出身でもない。しかし、ほぼ毎年、年末にリンゴを送ってきてくれるのである。箱を開けると、ほんのりとリンゴの甘い香りが部屋に広がった。冬の香りを感じた。
 今日は午前中、ポピュラー音楽論の授業があるからだろうか、私の頭の中には突然、ビートルズのレコードのレーベルの「アップル」を思い出した。こちらは青リンゴであるが、A面はリンゴの外見、B面は縦輪切りの断面である。CD世代にはこのリンゴのイメージが目に浮かばない。たぶん多くの私たち世代にとって、少なくて私にとっては、リンゴはビートルズの「アップル」なのだ。
  しかし世代によっては「リンゴの唄」という人もいるだろうし、美空ひばりの「リンゴ追分」、野口五郎の「青いリンゴ」、最近ではまず椎名林檎となるだろう。どちらにしても、リンゴは不思議とポピュラー音楽と縁が切れないものだ。それだけ何か日本人の心を揺さぶるような香りや味を持っているからなのだろう。

おまけに目がくらむ

2008年12月04日 | 家・わたくしごと
 ペットボトルの上にくっついている「おまけ」にいつも惹かれてしまう。同じお金を払うのだったたら、何かもらえた方がいいと考えるわけではなく、ただ単にどんなものが入っているのか見てみたいのである。研究室には、そんなグッズのマグネットやら人形やらがいくつも転がっていて、それでもなかなか捨てることができないいわゆる「ガラクタ」と化している。
 数日前、冷たい缶コーヒーを買いに言ったコンビニで、暖かい紅茶についていた「おまけ」を発見した。おまけが何かも見ないですぐさまその紅茶を手にとってレジに持っていく。「コーヒーじゃないよ、これ。」と私Aは思いながらも、もう一人の私Bは大喜びしている。研究室に戻り、胸をときめかして開けてみると、L.L.Beanと飲料会社の提携したかわいい巾着袋(フリースボトルカバー)が入っている。しかも私の好きな青系ではないか!即、この袋をその日からいつも持ち歩くデジカメ用の袋とすることに決定。
 ところがである。昨日、コンビニに行くと今度は、色違いの巾着袋がやっぱり暖かい紅茶にくっついているではないか。「もうあるからいいでしょう。デジカメは二つないんだから」と語りかけてくる私A。そんな声をよそに「色違いでデジカメの袋を交換できるなんてお洒落じゃん。」と耳元で囁く私B。結局、私Bの説得力が勝り私は二つ目の巾着袋を手にしたのだった。
 わかっているんだよ。二つ袋があって、交互に入れ替えるなんて面倒なことを、この私がするはずないことを。きっともう一つの袋は、研究室の「ガラクタ」コレクションに加わるだけだって・・・。でもね、人間はどうしても欲しくなっちゃうときってあるじゃない?それなの、それ。いわゆる、ささやかな物欲。

赤いスイートピー

2008年12月03日 | 大学
 《赤いスイートピー》は私が大学1,2年のとき流行した歌で、あれからもう20年以上の月日がたつ。当時は、「付き合って半年もたつのに手を握らない男」なんて異常だと豪語し、とんでもなく軟弱男の歌なんだと決め付けた。「こんな男のどこがいいのかね」、なんて思ったりもしたものである。まあ、私が「やんちゃ坊主」だったということであろう。
 三年のゼミの学生がこの曲を分析対象にしていて、その成果を授業に持ってきた。この歌が出た頃はまだ生まれていないこの学生の話を聞きながら、あの当時は見向きもしなかった歌詞にもう一度目を通してみた。年齢を積み重ねたせいなのか20年前のような独りよがりの解釈をするようなことはなくなった。
 1980年代前半の高校生か大学生の恋愛なのだろう。確かに男性は付き合って半年たったにもかかわらず、女性の手も握れず、ホームで二人きりになるとどうしていいかわからず、時計に目をやってしまうような少し消極的な面を持っている。女性の控えめなイメージが美徳とされてきた時代がすでに影を潜めた1980年代、この歌の歌詞には、まるでかつての女性のようなイメージが男性に投影され、女性はそんな男性を「信頼できる男性」とみなしているのだ。その一方、ベンチに二人で座る女性の方は心の中で、「このまま帰れない・帰れない」と叫んでいる。かつての男女の関係は逆転しているようだ。
 雨に降られて、駅のホームのベンチに座る場面も今思うと実にリアルだ。高校生が簡単にいけるような喫茶店が今のようになかった時代、きっと駅のホームが長く座っていられるデートの場所だったのだろう。電車が来るたびさざ波のように、人が消えたり、増えたりする様子、ほんの数十秒の二人だけになるホームでの時間が目に浮かぶようだ。
 それにしても松本隆という作詞家はやっぱりすごいと思う。春の色、煙草の香り、四月に降る雨の冷たさ、電車が行き来するホームの喧騒という味覚以外の五感を表現し、そして複雑な心模様を、淡い恋を象徴するようなスイートピーという薄く、やわらかく、淡い花に凝縮させてしまうのだから。いい歌は、聴くものの世代を限定しないという。それぞれの世代がそれぞれの解釈を可能にする歌は歌われ続けるというが、まさにこれもそんな歌なのだろう。


佐野鋤のこと

2008年12月01日 | 
 佐野博美『佐野鋤・音楽とその生涯』(三一書房)を読み終える。忙しいときでも本は少しずつ読むようにして、それでも最近は1ヶ月2,3冊のペースになってしまった。この本は、東京の古本屋で見つけたもので、だいたい購入したとき、「佐野鋤」なる人物の名前の読み方も知らず、当然のことながらこの音楽家のことは全く知らなかった。ちなみに「鋤」は、「たすく」と読む。この本を手にとり、パッと開いた頁が《ジャワのマンゴ売り》という戦前歌謡について書かれた部分で、「この人、戦前にインドネシアと関わった人なのかな?」程度で購入して読み始めたものである。
 本というのはまことにありがたいもので、多くのことを教えてくれるものである。まず、戦前の西洋音楽に関する専門的な音楽教育は、東京音楽学校とステレオタイプに考えていたのだが、デパートの音楽隊がかなりの音楽教育に貢献したという点についての知識はこの本から初めて知った。日本の近代音楽史の常識なのかもしれないが、少なくても私にはそんな常識はなかった。
 もっと驚いたのは、この佐野鋤なる人物は、戦前のジャズ界に貢献し、戦前、戦後の歌謡曲の作曲や編曲をしているのである。戦中、南方に派遣された「皇軍慰問芸術団」として、東南アジア各地を巡り、そのことがきっかけで、多くの南方の音楽作品を採譜したり、編曲したりしている。インドネシア関連だけでも相当にあり、たとえば、渡辺はま子の歌った《ブンガワン・ソロ》、《ラサ・サヤン》、《ノナ・マニス》、《サプ・タンガン》などはすべてこの人物の編曲、作曲作品には、かの有名な《ジャワのマンゴ売り》、それに《ガメラン夜曲》なんていうのもある。
 こうして新しい知識を得れば、また新しいテーマの研究がしたくなってしまう。とくに「皇軍慰問芸術団」なんていうのは私には心がときめくようなテーマである。クラシックの世界の作曲家は音楽学では研究対象になるのだが、ポピュラー音楽と関わった人々は、服部良一などの一部の人々を除いてはなかなか注目されないのが現実だ。この本の著者は、私が卒業した大学の先輩で、佐野鋤のご子息である。父親からの聞き書きを中心にしつつも、さまざまな実証的な資料にももとずいて書かかれている本書は、日本のポピュラー音楽の近代史研究にとって重要な貢献であろう。