院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

体罰(1)

2017-08-11 22:58:08 | 教育

カラパイアより引用)。

 自分の小学生時代を振り返ってみると、よい思い出があまりありません。あの6年間をもう一度やるのはイヤですね。なぜなら毎日、学校で教師から殴られたり廊下に立たされたりしていたからです。1960年か70年くらいまで、学校の体罰は問題にされませんでした。

 学校で殴られたことや立たされたことを親にも言えませんでした。シベリヤ抑留の生き地獄から生還した亡父は気が荒く、そんなことを言ったら亡父は竹の物差しで私を叩きました。母(存命)は止めに入ってくれました。

 このブログを始めて10年以上、私もいい年になりました。おまけに1年半前から病身となり、いつ死んでも気の毒がられない立場から、幼い日のことを(読者諸兄が飽きない程度に)記しておこうと思います。

 当時、私は自分ばかり叩かれたり立たされたりしていると感じました。下校の時に「今日は何事もなくすんだ。明日もないように」と祈っていたのを思い出します。これは私の被害妄想ではありません。いまなら「不登校」になっていたでしょう。ですが当時、学校には今より権威があり、「不登校」は落伍者と同義でした。(ここ3、40年ほど「不登校」が流行り始めたのは、学校の権威失墜と相関関係があります)。

 殴られるのもイヤでしたが一発ですみます。もっとイヤだったのは廊下に立たされることでした。児童に恥をかかせるのが目的なんですよね。廊下で立っていると、別のクラスの子たちが当方を見ながらひそひそ話をするのです。

 どうも私は多動児だったようです。しょっちゅう席が隣りの子にしゃべりかけていたのは事実でしょう。そのとき私は担任教師から、おしゃべり横綱「シャベリ~ナ」という「称号」を与えられました。それって、つい数年前、教師も一緒になって「お葬式ごっこ」をやり、やられた子が自殺した事件を思い出されませんか?

 動物の調教ではないのですから、叩いたり恥をかかせたりする必要はありません。現在の私は「温厚な人」で通っています。でもそれは、幼児期に調教されたからではありません。私なりに我慢をしている面もあるのです。 


 ※今日の俳句(夏)
    でろでろと晩夏の寄席の締め太鼓  甘納豆

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