
(中央郵便局の小包分別機(1960)。郵政博物館のHPより引用。)
私は1960年代の郵便小包の扱いのひどさに対する恨みを忘れません。
そのころ、名古屋へ大切な蔵書を小包で届けました。油紙や糸入り包装紙で包め、荷札は6か所つけろと、条件がやかましいのです。でも、そのようにして、大事な本だからさらに毛布のようなものでくるみました。
そこまでしても、届いた書物はハードカバーの角が潰れていました。ここまでぞんざいに扱うか?よほどの悪意をもって叩きつけなければ、毛布でくるんだ本の角が潰れるはずがないと思いました。
その数年後、バレンタインデーにチョコを贈ることが流行り始めました。クロネコヤマトの宅急便が登場したのもそのころです。なんと、宅急便はチョコレートを壊さずに運びました。
とうぜんのことながら、小包なぞ利用する人はいなくなりました。あとになって「ゆうパック」なんて猫なで声を出してももう遅いのです。私はあのときに角を潰された蔵書をまだもっていますから・・。
※今日、気にとまった短歌
老人はすとんとうそをつきにけり牛乳に咽せたるふりをしてみせ (海津市)奥井朱夏
ところで、国鉄貨物を使ったチッキを覚えていますか。駅で引き取った荷物を家まで大汗をかいて運んだのを覚えています。
残念ですがまだ許せません。
(1)手紙が「信書」であるかどうかは出す側が決めることなのに、自分たちで決めようとする。
(2)小包に「信書」を入れさせない。
(3)クロネコヤマトの信書配達を妨害する。(不可能なポストの数を要求している。)
(4)切手が1円でも足りないと差出人に郵便を差し戻す。
(5)普通郵便の日曜配達をしない。
以上にむかしの「お上体質」がまだ残っています。
チッキの駅留めには苦労させられました。
クロネコヤマトが楽々とクリアできたことなのに・・。