院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

年頭に当たって--大学受験制度について

2015-01-01 00:05:28 | 教育
 みなさま、あけましておめでとうございます。今年もこのブログをご愛読くださいますようお願いいたします。

 この時期は大学受験生の皆さんは最後の追い込みでしょう。私にも経験がありますが、私はこの時期には苦手な科目を捨てて得意科目の整理だけをやっていたように記憶します。

 私の受験時代にはセンター試験というものはありませんでした。その代わりに、独自の一次試験を課して受験者数を絞る大学がありました。ところが、だいぶ前から多くの大学がセンター試験を一次試験として利用するようになりました。

 そこでマスコミ的に評判が悪いのが、一次試験を足切りに使用することです。一次試験で倍率を3倍くらいまで狭め、二次試験は記述式にしてじっくりと採点するという方式は、私には合理的に思われます。マスコミがそれに難色を示すのはなぜでしょうか?

 大学側が足切りを行うのは、選挙に立候補するときの供託金のようなものだと私は考えています。誰でも立候補できるのが理想ですが、泡沫候補が山のように出てきては、選挙事務に悪い影響を与えます。私は供託金をやむなしと考えます。

 記述式の採点の大変さは、知り合いの大学教員がいつも言います。採点者同士で激論になることもあるそうです。だから、「お呼びでない」受験生は遠慮してもらおうと考えるのは仕方がないでしょう。

 マスコミが足切りを嫌がるのは、「お呼びでない」と扱われた(一次試験で落ちた)受験生が気の毒だというわけでしょうか?

 大学側は、センター試験で足切りを行うのは独自に一次試験を行う場所が確保できないからだと言いますが、嘘が含まれています。なぜなら昔は独自に一次試験を行っていたからです。

 大学側は足切りを行う合理的な証拠を示すことができるのに、やらないのは何故でしょうか?つまり、ぎりぎりで足切りを免れた受験生が二次試験に合格する確率を示せばよいのです。

 その中から合格者がけっこう出るようだったら足切り自体が間違っていたことになります。ほとんど出なければ堂々と足切りを行ってよいのではないでしょうか?

(足切りをされた何千人の受験生から一人でも二次試験合格者が出たら、足切りは根拠を失うというマスコミは言うかもしれません。でもそうしたら、試験当日インフルエンザで受けられなかった受験生はどう扱うのですか?どんな試験でも「運」は付き物です。「運」を完全に排除してしまったら、温もりのない世の中になるのではないでしょうか?)

(高校の各学年での達成度を入学試験に加味するという文科省の方針は、限りなく「運」を排除する仕組みです。ですから私は反対です。入学試験は一発勝負でよいのです。いつもはできない受験生が試験当日は不思議にできて一発勝負で受かったなんて、宝くじのようで夢があるじゃないですか。)

(超優秀な頭脳の友人がたくさんいます。そのような頭で生まれてきたこと自体が「運」ではありませんか?)

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