このたびの京都府医大のデータねつ造問題にはいくつかの謎がある。
まず発端だが、問題の「キョウトハート試験」の原著論文の疑問点を指摘したのは京大病院の医師で、その疑義はランセット誌に掲載された。ランセット誌は超一流の医学雑誌である。
「疑義」がランセット誌に載せられたということは、原著論文もランセット誌に載ったと想像される。また、「疑義」のほうも、ランセット編集部はそれを「もっともだ」と思ったから掲載したのだろう。そこでまず第一の疑問だが、一読者が奇妙と感じるような論文をなぜランセット誌の一番最初の査読者が見破れなかったのかということである。
次に、京都府医大の調査で、データのねつ造があったと報道されているが、京都府医大の調査委員会はなぜデータのねつ造が分かったのだろうか?これはカルテだけをいくら調べても分かるはずがないことである。
なぜかと言えば、薬剤の臨床試験には二重盲検法という手技が用いられるからである。二重盲検法とは、その薬が本物の薬であるかプラセボー(偽薬)であるかは患者のみならず、投与した医者にも分からないようにデザインされた方法である。医者のほうにも薬効評価の予見を与えないようにするためである。
(ただし、実際の臨床試験では対照群にプラセボーを投与することは倫理面から難しく、ふつうは評価の定まっている別の薬を対照薬として用いる。)
そのため、カルテにはその患者が本物の薬を投与されているのか、対照薬が投与されているかは、記載がいっさいない。
カルテ記載に問題があることを証明するには、元締めが持っている「一覧表」(これにはどのカルテに本物の薬が割り当てられ、どのカルテに対照薬が割り当てられているが書かれている)が必須である。京都府医大の調査委は、この「一覧表」をどうやって手に入れたのだろうか?
データのねつ造は、この「一覧表」を持っている人にしかできない。だから、ねつ造が行われたのなら、調査委は「一覧表」を取り寄せてカルテを調べるという面倒な作業をしなくても、「一覧表」を持っている人間を問い詰めれば済むはずだ。繰り返すが、カルテには何も証拠は残っていない。不正ができる人物は「一覧表」を持っている元締めとその取り巻きだけである。
と言うことは、元締めならねつ造データをでっちあげることができる。もっと極端なことを言えば、元締めは面倒な臨床試験なぞいちいちやらなくたって、論文を書くことができるのだ。
こうした臨床試験の仕組みの中で、京都府医大の調査委はいったい何を調べたのか?本当はそれが一番大きな謎である。
まず発端だが、問題の「キョウトハート試験」の原著論文の疑問点を指摘したのは京大病院の医師で、その疑義はランセット誌に掲載された。ランセット誌は超一流の医学雑誌である。
「疑義」がランセット誌に載せられたということは、原著論文もランセット誌に載ったと想像される。また、「疑義」のほうも、ランセット編集部はそれを「もっともだ」と思ったから掲載したのだろう。そこでまず第一の疑問だが、一読者が奇妙と感じるような論文をなぜランセット誌の一番最初の査読者が見破れなかったのかということである。
次に、京都府医大の調査で、データのねつ造があったと報道されているが、京都府医大の調査委員会はなぜデータのねつ造が分かったのだろうか?これはカルテだけをいくら調べても分かるはずがないことである。
なぜかと言えば、薬剤の臨床試験には二重盲検法という手技が用いられるからである。二重盲検法とは、その薬が本物の薬であるかプラセボー(偽薬)であるかは患者のみならず、投与した医者にも分からないようにデザインされた方法である。医者のほうにも薬効評価の予見を与えないようにするためである。
(ただし、実際の臨床試験では対照群にプラセボーを投与することは倫理面から難しく、ふつうは評価の定まっている別の薬を対照薬として用いる。)
そのため、カルテにはその患者が本物の薬を投与されているのか、対照薬が投与されているかは、記載がいっさいない。
カルテ記載に問題があることを証明するには、元締めが持っている「一覧表」(これにはどのカルテに本物の薬が割り当てられ、どのカルテに対照薬が割り当てられているが書かれている)が必須である。京都府医大の調査委は、この「一覧表」をどうやって手に入れたのだろうか?
データのねつ造は、この「一覧表」を持っている人にしかできない。だから、ねつ造が行われたのなら、調査委は「一覧表」を取り寄せてカルテを調べるという面倒な作業をしなくても、「一覧表」を持っている人間を問い詰めれば済むはずだ。繰り返すが、カルテには何も証拠は残っていない。不正ができる人物は「一覧表」を持っている元締めとその取り巻きだけである。
と言うことは、元締めならねつ造データをでっちあげることができる。もっと極端なことを言えば、元締めは面倒な臨床試験なぞいちいちやらなくたって、論文を書くことができるのだ。
こうした臨床試験の仕組みの中で、京都府医大の調査委はいったい何を調べたのか?本当はそれが一番大きな謎である。