只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

出社が朝暗い内の6時40分です…寒い

2016-01-25 07:51:39 | 日記
多くの方も自分の人生は数十年とわかっています。
誰だって300年とは言いません。(笑)

また定年過ぎたら第二の人生を頑張るぞ!と
言われる人もいます。はい!それは幻想です。(笑)

そして現実残りの人生は?・・と言うと
まったく誰にもわからないのです。
40年かもしれませんし、3日かもしれません。
いいえ食後かもしれません。(笑)

私みたいにあの世寸前までいく大病した者は、
今を生きているだけで儲けの人生となりました。
儲けの人生は何があろうと「諦め」がつきます。

騙して逃げた人を恨むことはありません。
憎むとか恨むが自分の中に入ったら気が滅入ってくるのです。
知らずして踏み潰した蟻さんを、申し訳なく思い続けることはありません。
わからないことはわからないで始まって終わりです。

魚として生まれたものを刺身として焼魚としておいしく戴いています。
回りまわってすべては間違いなく“ひとつ”です。
将来はこうなりたいという願望もありませんから不安もありません。
こうなりたいという願望はそうはならないということが付いているからです。

微かな希望が思い通りにならなくても仕方がないと諦めています。
このように様々なことまで“諦め”がつくようになったのは、
成るようにしかならない”ことがしっかりと理解できたからです。
そして諦めたら始まりです、これが宇宙法則で淡々と流れています。

それから私(思考)という幻想は、何ひとつ出来ないと理解できたからです。
しかも私(思考)という幻想から操られていることもわかったのです。
ですから自分の人生を、私(思考)という幻想から支配されては辛くなります。

思考する癖を極小にしていけば、自由自在に物事は流れていることがわかります。
そして私(思考)が知らない必要なことまで舞い降りて来ます。
それに沿って淡々とやっていくことがお気楽ということです。

「そう・・うまくいくかなぁ~」と思考しないことが肝心だと言うことです。
ですから繰り返し言いますが、
事実にうまくいくもうまくいかないも無い!それだけです。(笑)


只の道…淡々と歩く

2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。

あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

このように悟るなら 不完全を思い煩うこともない
この真理を信頼し生きることが不二の道である
不二と信頼は一体なのだから… 前回

    『道は言語に絶している
      そこには昨日も明日も今日もないのだ


いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
この“真実への道”は言葉がありません。
ですから『例え』でしか表すことができません。

このブログの『只の道…淡々と歩く』も同じことです。
「思考する力」をいかに弱めていくかが『只の道』です。
同じく浮かんでくる念に取り付く癖を切り捨てていくことが『只の道』です。

馴れしたんだ思考という煩悩を忘れ去る道です。
真の自分というあなた”には昨日も明日も今日も
無く、涅槃寂静の世界です。

苦悩のある「幻想の自分」から
真の自分”に目覚めていきましょう。

この「信心銘」もこれで終わりです。
また半年後あたり機会がありましたら
3回目として始めてみたいと思います。