只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

今朝は小雨模様です

2016-01-11 08:07:05 | 日記
私と言う思考が頭の中でいろいろと喋っています。
これは思考であり自我であると“自覚”することです。
あなたではないと“自覚”することです。

自覚が乏しいと、わからない内にまた頭の中で騒いでいます。
ですから、頭の中で騒いでいると段々と「問題」になってくるのですね。
お解りのとおり「問題」にならないのは頭の中が“空っぽ”であるということです。
空っぽ”であれば思考がありません。
それは、空から浮かんだ念に取り付いてないということです。

頭の中で騒いでいるのはすべて過去の幻想ですね。
思考であり、自我であるのです。
空から浮かんだ念に取り付いているということです。
只観ることが出来ず思考と一体化している状態です。

空から現れるものはすべて過去のもので何かわかりません。
あるときは感謝か、憎しみ等です。
事実と違いますから、どちらにしても掴まない事です。
このことが観えてきたら問題は起きませんね。

繰り返し言っていますが知らぬ間に掴む癖が100%近い方々にあるのです。
それも目にも止まらぬ超スピードで一体化するから厄介なのです。
しかし空から現れるものを掴まない“実践”をしていくと
次第にそのスピードが衰えてきます。

ですから何のかんの言っても“やるしかない”のです。
禅の専門書を100冊読もうとも絵に書いた餅ですね。(笑)

真実”は淡々と雲のごとく流れていくだけです。


只の道…淡々と歩く

2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。

あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

この原因も関係性もない状態では
比較も類比もできない… 前回

   『動を静と見なし、静の中に動を見なさい
           すると動も静も消え去る


いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
動も静も言葉です。
言葉を無くしたら動も静も同じひとつのものです。
その真実というひとつには静も動もありません。

言葉は私(思考)達にとって人生上に必要不可欠なものです。
ですから幻想世界で生きているのですね。
それをわかって幻想世界から抜け出しましょう。

例えば食べる餅と絵に書いた餅です。
口に入れた餅が事実です。
何度も言いますが、絵に書いた餅は絵に書いた餅で幻想ということです。
食べられないから苦しいのです。(笑)

仕事は大変苦しいという念に取り付かなければ
仕事は仕事で淡々とやるだけです。

これが事実の世界です