只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

自然薯栽培もまだしていないのに計画だけで楽しみ!

2016-01-22 09:58:48 | 日記
「マラソン」と聞くだけで、またこの文字を見るだけで、
小中学生のときにあった寒い日の
「マラソン大会」を思い出し、辛く、苦しく、
逃れたいイメージや思いが出てきます…と、仰る方がいます。

また「仕事」や「残業」と聞くだけで、どっと疲れる感覚に襲われる方もいます。
しかしやり始めると意外とすんなりこなすのですが…とも言われます。

さていかがでしょうか?
言葉に反応するのは感情と一体化しているのです。
感情と離れていれば只の言葉です。

マラソンで走っている時、何も思考せず自分のペースで
淡々としていれば何ら問題ありませんね。
逆にあの人に負けてはならないとか、
少しでもタイムを上げなくてはと思考すれば乱れてきます。

「仕事」や「残業」しているとき、やっていることに何も思考せず
自分のペースで没頭していれば何ら問題ありませんね。
このように私(思考)を持ち出すか、そのとき私(思考)が無いかの違いだけです。

ご飯を戴いているとき、私(思考)が食事しているとは頭の中で言いません。
しかし食事しているときも「あいつはけしからん!」とか
「仕事はつらいな~」と頭の中で騒いでいる人もいます。

このブログの“只の道を淡々と歩く”とは
本来が絶対安心の中”ですから“今この一瞬・無思考”を
体得し豊かに人生を過ごすことです。

そのために常に“実践”ですね。


只の道…淡々と歩く

2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。

あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

ここも空、そこも空 だが無限の宇宙は
常にあなたの目の前に在る… 前回

    『極大と極小は異ならない 境界を忘れ去り
       区別を消し去れば 存在も非存在も同じこと


いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
極大と極小は言葉であり文字です。
そして思考です。

思考を使わなかったらすべてに違いなく、
境界が無く、区別も無く、存在も非存在も無く
ひとつ”であり同じことです。

「そりゃ~そうだけども…」と不安がある人は
今ひとつ“実践”が足りません。
思考の世界から抜け切らないのですね。

抜け切ってもこれは「思考」とわかっていますから
何ら問題にならないのです。