只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

穏やかな日和です

2016-01-09 09:55:40 | 日記
私(思考)はいつも人から騙されるのです。
なぜなのか?わからないから騙されるのが怖いのです。
と言われる方がいます。

結論からそれを言いますと思考の1人芝居ですね。(笑)
私(思考)に観念があるからです。
思い込みが支配しているということです。

他人が騙す事らしきものがあるかもしれませんが、ほとんどは何もありません。
騙すことがわかれば、騙されないようにしますから騙されません。

それはそうですけれど、騙されることがわからないから
他人が怖いのです!と言われます。
しかし本来から観ると、騙されることがわからないから、
何も無く平穏であるわけです。

「騙された!」がわかれば騙されることもわかるのです。
ですから、私(思考)の1人芝居は巧妙に創作されていることがわかります。
そこには他人は頭の中には誰一人いませんね。

「騙される・騙された」を頭の中から排除すると
空っぽ”になり思考から支配されなくなります。

空っぽ”になれば、その時その場の神経が研ぎ澄まされ、
全体から観られるようになりますから思考からの判断はなくなります。

そこに訪れるのはすべて“絶対善”の判断です。



只の道…淡々と歩く

2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。

あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

心が分別をしなければ 存在は一なるものとして
あるがままにある  この深遠な神秘を理解すれば
    すべてのもつれは解きほどかれる… 前回

   『千差万別の存在が平等に見られれば
        あるがままの自然の姿に帰りつく


いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
「りんご」と『みかん』は思考で見ると違いますね。
無思考で観るとすべて“それがそれ”です。

比較、分別、相対等は無思考にはまったくありません。
ですから無思考は“自然そのもの”ですね。

思考があるから人間界を体験できるのです。
しかし、なぜ苦悩の世界でもあるのでしょうか?
豚が悩んでいるところを1回も見たことありません。(笑)

それは人間だけ知性が備わっているからです。
残念ながらその知性だけを使う癖が
苦悩を引き起こすはめになったのです。

知性は善いも悪いも持っているのです。
ここが問題なのですね。