只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

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2016-01-06 09:28:24 | 日記

ある東北の寒い地方での出来事でした。

雪の深々降った三つの山を見ると
二つの山は雪が降り積もり見事な光景を映しだしています。
しかし残りの一つの山はまったく雪が降っていません。
それは何ででしょうか?という前回に引き続き禅問答です。

申し訳ありませんが「クイズ」でも
「なぞなぞ」ではありませんので、思考を使わないで体得してくださいね。
これは大学の教授や学識の高い、頭のいい人ほどわからないのです。

繰り返し述べていますが、これは思考を使ってわかるものではないからです。
またこれがわかったからと言って何にもありません。
何にも無いということが、どれほど“安楽か”が訪れてくるのですね。

思考を使わないのを極力控える生き方が
自然に乗って流れて行くということです。


只の道…淡々と歩く

2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。

あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

すべての二元対立は 自己中心の分別から生じる
それらは夢まぼろし、空中の花
つかもうとするだけ愚かなこと… 前回

   『得も失も、是も非も すべて一度に放り出してしまえ

いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
得も失も、是も非もすべて私という思考です。

私(思考)を忘れ去ると何にもありません。
忘れ去った状態が“”です。
今この一瞬という無思考”です。

今、仕事しているという思考が無く、仕事に没頭している状態です。
得も失も、是も非もあれば人生のブレーキになりますね。
今この一瞬という無思考”に汚れが混じるのです。

ですから汚れとなるものをすべて一度に放り出して、
日々淡々とその時その場の
喜怒哀楽のまま過ごしていくことですね。