只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

雨降り後の今朝はすっきり青空です

2016-01-18 09:33:08 | 日記
ふと、幸せになりたいとか認められたいとか
愛されたいとか感謝されたいというような気持ちが
湧き上がってきませんか。

別に湧き上がってきても感情に繋がらなければいいのですが、
思考する癖がある以上どうしようもありません。
思考が幸せでないから幸せになりたいを呼び起こしてくるのです。

繰り返して言っていますが“真の自分”は「思考・自我」ではありません。
事実には幸せも不幸せもありません。
「幸せ」とか『不幸せ』と思っているのは思考で幻想です。
思考は幻想で実体がありません。

これは過去という亡霊…とも言えるかも知れませんね。(笑)
そうすると“今この瞬間・無思考”が“真の自分”と
例えられます。
繰り返し言いますが『身体は身体』で
真の自分”ではありません。

ですから、近所にいらっしゃる山川さんや太郎君や花子さんは存在しないのです。
この人間業界の都合上、創った幻想名です。
江戸時代の豊臣秀吉も記憶で幻想名です。(笑)

「バカ言うな!昔、ちゃんと居たのだ、歴史に刻まれている」
と怒られそうな気がしますね。(笑)
この様な方が99,9%いらっしゃるから
存在していたと正解になるわけです。
ですから知能、記憶はすごいものですね。
でも、真実は正しいも間違いもありません。

それがそれ”です。


只の道…淡々と歩く

2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。

あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

この実在と調和の内にあるには ただ「不二」と言うがいい… 前回

     『この「不二」の中ですべては等しく
      すべては包みこまれる 世界中の賢者たちは
             この根源的真理を会得している


いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
この「不二」は根源的真理ですね。

簡単に例えると“真実”です。
そこには言葉が無く何も言いようがありません。
ですから、世界中の賢者たちはこの「不二」を
言い表す事などできません。
なぜなら思考が無いからです。

世界中の賢者が“真実”だからです。