只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

只、今に乗っかっているだけですね

2016-01-08 09:42:15 | 日記
あの方は「気持ちの優しい方だ」と言われる人がいます。
またあの人は「冷たい」と言われる人がいます。

でも言われているその人自身が、実は優しいわけでも冷たいわけでもありません。
それは、その様に言っている人の思考です。
その人(思考)の創作で幻想です。

「気持ちの優しい方だ」という、その人(思考)の創作で幻想です。
「冷たい人だ」という、その人(思考)の創作で幻想です。
ですから私(思考)というものは
どうしょうもないのですね。(笑)

期待を持ち、落胆する。
楽しみだけを創るけど、それだけは叶わないから悔しさの結末となる。
更に負けまいと努力し、結局は負けるを創るから残念がる。
儲ける事だけを創ると、儲けない事を除外するものが
同時に付いていることもわからないから、結果に愕然とする。
数上げると切がないのでこの辺で止めときます。(笑)

ですから逆の方向なのです。
期待とか創作しない
努力して何かを得たいとか創作しない
儲けるとか勝ちたいを創作しない
創作は思考ですから、念に囚われないことですね。

今、今、今を淡々とやっていくだけです。
「それじゃ、つまらない…」という思考を
入れず今、今、今を淡々とやっていくだけです。(笑)

それがいかに安楽になるか、訪れる時がやってきます


只の道…淡々と歩く

2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。

あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

もし心眼が眠らなければ すべての夢は自然に止む… 前回

  『心が分別をしなければ 存在は一なるものとして
    あるがままにある  この深遠な神秘を理解すれば
            すべてのもつれは解きほどかれる


いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
存在は例えば“ひとつ”であり、“”であり
”であるのです。

思考するから分別となるのです。
思考するから“ひとつ”が消え去り、幻想となるのです。

ですから、空から浮かんでくる念を掴まなければ
すべてのもつれは無いということです。

本来、“無いものは無い”ということです。(笑)