只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

何だか忙しいですけど淡々とやります

2016-01-12 09:10:43 | 日記
私(思考)は「信じること」は良いことだと思うのですが?
と言われる方がいます。
もちろん悪いことでもありませんね。

しかし「信じること」は良いことだとする固定観念がある以上、大概に裏切られます。
信じている他人から裏切られたら悔しいですね。
それは果たして他人が裏切ったのでしょうか?

そうではありませんね。
私の思い込みから裏切られたのです。
簡単に言えば「信じた」から裏切られたのです。

信じなければ、私の思い込みから裏切られることはありませんね。
友人がお金を何月何日に返すから10万円貸してくれと
言っても信じてはいけないということです。

貸すこと自体、してはならないということではありません。
そのとき余裕があれば貸してあげてもいいのです。
ただし「返ってこないこともある」ことを私(思考)に“自覚”があればいいのです。
返ってこなければ友人関係もそれで終わりと“自覚”があればいいのです。

その“自覚”が無ければ余裕があっても貸さないことです。
ですからこの世界はすべて私(思考)が創っているのですね。



只の道…淡々と歩く

2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。

あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

動を静と見なし、静の中に動を見なさい
すると動も静も消え去る… 前回

    『二元性が存在しなければ 一なるものも在りえない
      この究極の境地には どんな法も描写もあてはまらない


いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
例えば善悪の二元が無ければ
それがそれ”で善や悪のひとつも無いということです。
善悪の二元があればそのひとつ(一元)も在るのです。

宇宙まるごと例えば“ひとつ”ですが
二元のひとつとは違います。

ですから“無いものは無い”のです。