只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

山の作業は大変ですが思考無く淡々とやっています

2016-01-13 08:43:48 | 日記
昔から「この世は苦である」と、よく言われています。
私(思考)にとっては正にその通りなのです。
それを解決する道に禅問答もあるのです。

ある禅寺で、和尚さんが修行僧達に向かって
「この寺は古いのであちらこちらで雨漏りがする、
早速雨が降ってきた、早く何か持ってきなさい」と言われました。

修行僧達は早速探し出して各自持ってきました。
バケツやボール、洗面器、桶等です。

その中で修行見習いの小僧が持ってきたザルを
和尚さんが『これ!これじゃ!』と言って雨漏りするところに置きました。
この禅問答おわかりになりますか?
私(思考)から観ると『でたらめぐらい』にしかわかりません。

しかし、この寺はあくまでも修行の場です。
生活を営む場ではありません。
何をする修行の場なのか、それが一番重要なのです。

この観点から観るとよくわかります。
それを肝に命じて、生きてゆくことが“大安楽の道”です。


只の道…淡々と歩く

2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。

あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

二元性が存在しなければ 一なるものも在りえない
この究極の境地には どんな法も描写もあてはまらない… 前回

  『道と一つになった平等な心に
   自己中心的な計らいはない 疑いも恐れも消え
             真理を信頼して生きるのだ


いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
私(思考)が無くなった空なる心は
自然と一体です。

大自然なるひとつには自己中心的な
ものは無く、もちろん疑いも恐れもありません。

無なる心”“空なる心”“宇宙なる心”“神仏なる心”は
真実”です。

それが思考の無い“真実のあなた”と言う“真実の自分”ですね。