只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

どんよりした早朝です

2016-01-23 08:19:31 | 日記
禅問答です。
現時点でわからなくても結構ですので
思考して観てください。
禅問答は同じことですので内容を少し変えています。

ある修行僧は毎日坐禅ばかりしていた。
ある日そこへ師匠がきて言った。
「おまえは、何のために坐禅をしているのだ」
「仏性を得るためです」

そして師匠が落ちていた瓦を拾って
「瓦を磨いて、鏡にしようとしておる」
「瓦を磨いても、鏡になるわけないではありませんか!」

「ならば聞くが、坐禅をして仏性を得るのか?」
「えっ、同じことなのですか?」

「自動車が動かなくなったとき、
おまえはタイヤを変えるのか、ガソリンを入れるのか?」
「・・・・・・・」
と、いう禅問答です。

例えば、明日の天気予報を聞こうと『ラジオ』を持ってきても聞けませんね。
私たちの身体はこの『ラジオ』と同じです。

“〇〇〇〇〇〇〇!!”
ですから本来、私たちは間違いなく“偉大な存在”なのです。


只の道…淡々と歩く

2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。

あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

極大と極小は異ならない 境界を忘れ去り
区別を消し去れば 存在も非存在も同じこと… 前回

    『そうでなければ真理とはいえず
     守るべき価値もない すべては一つ 一つはすべてだ


いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
真実は極大と極小はありません。
と言うか、文字もなく言葉もなく
“それがそれ(極大)”です。
“これがこれ(極小)”です。

文字や言葉は幻想です。
真実が善くて幻想が悪いということは
まったくありません。
真実は真実で、幻想は幻想なのです。

すべては“ひとつ”のなかで繰り広げられています。
ひとつ”は言葉ですから
………………”とも表わすこともできますね。

………………”が空であり無であり神仏と例えられます。