只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

自然薯の種芋等が3月22日頃に着く予定です

2016-01-15 09:07:42 | 日記
そのままを観るのが事実です。
逆(幻想)で観るのは知能で観ているのです。
そのままを思考するから逆(幻想)となります。

これはこれ・あれはあれ”がそのままの事実です。
事実以外は幻想です。
私とかあなたは幻想で存在しません。
私とかあなたは知能が認識しているだけです。

だから迷いが生じるのです。
それは知能の判断が正しいと思い込んでいるからです。
知能は判断、認識することで正しい間違いはありません。
知能は知能で、幻想世界で生きていくために必要な道具です。

そして“これはこれ・あれはあれ”にも正しい間違いはありません。
それそのものということになります。

目に写ったそのものが事実です。
目に写ったものに言葉があると幻想・記憶となります。
目を閉じれば何もありません。
浮かんでくるものが在るとすれば、幻想の過去であり、記憶です。

知能を使ったそれ、これは幻想・記憶です。
昨日、明日、今日は幻想・記憶です。
今この瞬間、無思考”しかありません。

真実の世界に、知能が生きる為に幻想・記憶を創り出しています。
真実の世界は知能が在りません。
知能が無ければ永遠に生きることもなければ
死ぬこともありません。

厳密に言えば永遠に“真実の自分のまま”ということです。
繰り返し言っていますが、私(思考)の言っていることは信じないで、
常に“実践”で明らかにしていってください。


只の道…淡々と歩く

2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。

あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

束縛を一撃で絶ち切り自由になれば
印象はとどまらず、記憶すべきこともない… 前回

    すべては空、明らかにして自ずと輝き 心を用いることもない』

いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
真実の自分(真実のあなた)”のことを表わしています。

光輝いているのは“真実のあなた”ということです。
しかし「それほどは・・」と言うものがあれば、
光消えて幻想の中に入り込んでいるのです。

真実のあなた”は、真綿に包まれた真珠のように
純粋そのものなのです。
それは間違いなく無であり空であり神仏そのものです。

しかしこの人間業界に生きているわけですから、
それらを述べると笑われるのがオチですが、
真実ですからその心に一体化しとけば“大安楽”となるのですね。

不安、心配、苦悩、恐れの無い心“絶対安心”でお過ごしください。