中井くによし・・雑記帳

日々のこころ日記
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韓国併合100年・・菅総理大臣談話

2010-08-15 | 時の話題
1910年(明治43年)に韓国併合条約が締結されて100年の節を迎える。この時期に民主党内閣の菅直人総理大臣が談話を世界に向けて出した。私はこの内容の談話は至極当然のものと考えますが、インターネット上では「談話」への夥しい抗議がされています。
いつも思うことですが、日本国家として史実に基づいた現代史を纏め上げ、国民に対して正確な教育をしていないから、この様な反応が現れることになるのではないだろうか?単に思想の違いと云うだけでは済まないのではと考えます。
平成22年3月29日に堺市議会で多数決で可決することになった《「慰安婦」問題について政府に誠実な対応を求める意見書》についても事実認識で議員間に大きな隔たりがあったのも事実です。
国際化社会の中で自国の現代史について教養として正確な知識を持たなければ経済、文化交流等様々なステージで信頼を基盤とした活動に支障が出ないだろうか?
(写真は大台ケ原 原生林)

尚、総理大臣談話は下記の内容です。貴方ならどのように思いますか?

【内閣総理大臣談話  平成二十二年八月十日】

 本年は、日韓関係にとって大きな節目の年です。ちょうど百年前の八月、日韓併合条約が締結され、以後三十六年に及ぶ植民地支配が始まりました。三・一独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。

 私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います。痛みを与えた側は忘れやすく、与えられた側はそれを容易に忘れることは出来ないものです。この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします。

 このような認識の下、これからの百年を見据え、未来志向の日韓関係を構築していきます。また、これまで行ってきたいわゆる在サハリン韓国人支援、朝鮮半島出身者の遺骨返還支援といった人道的な協力を今後とも誠実に実施していきます。さらに、日本が統治していた期間に朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌等の朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待に応えて近くこれらをお渡ししたいと思います。

 日本と韓国は、二千年来の活発な文化の交流や人の往来を通じ、世界に誇る素晴らしい文化と伝統を深く共有しています。さらに、今日の両国の交流は極めて重層的かつ広範多岐にわたり、両国の国民が互いに抱く親近感と友情はかつてないほど強くなっております。また、両国の経済関係や人的交流の規模は国交正常化以来飛躍的に拡大し、互いに切磋琢磨しながら、その結び付きは極めて強固なものとなっています。

 日韓両国は、今この二十一世紀において、民主主義や自由、市場経済といった価値を共有する最も重要で緊密な隣国同士となっています。それは、二国間関係にとどまらず、将来の東アジア共同体の構築をも念頭に置いたこの地域の平和と安定、世界経済の成長と発展、そして、核軍縮や気候変動、貧困や平和構築といった地球規模の課題まで、幅広く地域と世界の平和と繁栄のために協力してリーダーシップを発揮するパートナーの関係です。

 私は、この大きな歴史の節目に、日韓両国の絆がより深く、より固いものとなることを強く希求するとともに、両国間の未来をひらくために不断の努力を惜しまない決意を表明いたします。



樺太1945 氷雪の門・・・・

2010-08-14 | 時の話題
北海道・稚内市にある「9人の乙女の碑」に参ったり見学した方々も数多いものと思います。
毎年8月20日に再び戦争の惨禍を招来させないとの決意で慰霊祭がおこなわれているそうです。樺太で死んだのは日本人ばかりではなく朝鮮人、現地人等多くの人々が戦争の犠牲者として亡くなりました。
この映画のSTORYは公式サイトによると次の様に記されています。《現在ロシア領サハリンと呼ばれるかつての樺太。1945年8月15日の終戦の混乱の中、この地で多くの日本人が死んでいった。8月6日、米軍による世界初の原爆が広島に、続いて8月9日には長崎にも投下された。同日、ソ連は「日ソ不可侵条約」を破り、満州、樺太に侵攻した。本作「樺太1945年夏 氷雪の門」はソ連の侵攻作戦のただなかで、最後まで通信連絡をとり、若い生命をなげうった真岡郵便局電話交換手9人の乙女の悲劇を描いた真実の物語である。戦争は終わったはずなのに、何故、彼女たちは死を選ばねばならなかったのか。この映画はその深層に挑んだ。》と記しています。この映画は36年前の1974年製作されたものであるが、当時のソ連の圧力によって封印された幻の名作といわれています。私自身、電電公社出身でもありまして、特に強い関心を持ちますが、当時のソ連大使館から「反ソ映画の上映は困る」との抗議によって配給会社が自粛に至ったと公式サイトでも記されているが、反戦平和の政党として当時の日本社会党はどのような取り組みをされたのでしょうか?経過を知っている方は是非とも私に教えてほしいと思います。メールで結構ですので。
大阪での上映は9月頃に予定されています。上映劇場は大阪市淀川区十三の第7藝術劇場。
真面目に平和問題を考える方々に是非とも鑑賞をされるようお勧めしたいと思います。私自身も未だ鑑賞していませんが・・・。詳しくはhttp://www.hyosetsu.com/を参照してください。

泉北NT再生へ・・安住・自治のまち創造

2010-08-09 | 時の話題
先日、堺市議会新市建設対策特別委員会が開催された。
この委員会は堺市と美原町との合併協議会で様々な合併に至る合意事項を誠実に実行させること等について議会の立場から審議することを第一義的に扱う特別委員会なのです。私はこの委員会の委員長に就任しています。
しかし、泉北NT再生問題も本年度、具体的な検討調査がなされる事を踏まえて、所属委員と相談し、本特別委員会でも泉北NT再生問題についても審議できるように取り計らったものです。
泉北ニュータウンの再生問題を解決する施策は、多方面に亘りその上、財政問題もあり具体化には相当難しい障壁があります。
1500haにも及ぶ日本一広い泉北NTが造成され、戸建て住宅だけでも約5万戸もあります。戸建て住宅を購入された方々には、生涯住み続ける決意で購入された方々が多いものと思いますが、造成された戸建て住宅群にはコミニティを育む核となる単位自治会集会所建設用地が準備されていませんでした。
私は2007年の選挙公約の1つに泉北NT内の戸建て住宅単位自治会が望めば自治会集会所建設用地を貸与できる制度を創りたいと約束しています。
この実現に向け、努力を続けていますが、一番の障壁となったのは法律の壁でした。公園法第16条に規定される法律解釈では、都市公園として整備されるとその公園を他の行政目的に転用することが大変困難であることを堺市公園担当者から教えられました。
私は、どうしても教示された公園法16条の法律解釈を素直に受け入れることが出来ませんでしたので、民主党の尾立参議院議員(当時は野党時代)に相談し、大変なご尽力の結果、最終的に国土交通省担当者から公園法16条の詳細な法律解釈を書面で戴くことになりました。それによりますと、都市公園として整備した公園であっても自治体が相当程度の必要性があると認めた場合、公園管理者(市長)が必要な手続きの上で公園の解除ができると云う主旨内容でありました。国の許可が不要であると云うものです。あくまでも公園管理者・・市長の権限によって判断すべきであることが明確に示されたものです。この内容は堺市だけではなく全国的に通用する法律解釈であります。(詳細な内容を希望される方には、資料提供しますのでその旨ご連絡ください。)
現在、明確な法律解釈がだされましたので、竹山市長の命により、堺市担当部局に於いて具体的な検討がなされているものと思います。
又、泉北NT再生問題の大きな課題に府営住宅の老朽化と空き家問題があります。南区選出の民主党・長野 聖府会議員と府営住宅の活用施策について話あったことがあります。それは、必要な法整備の上で、遠隔地から下宿し府内や周辺の大学で学んでいる学生たちを念頭に置いた格安な学生寮として提供出来ないものか。大学近くの学生寮は家賃が割高で家族の仕送りも大変なのではないか?又、その様な活用ができれば高齢化傾向で元気の少ない府営住宅の環境を若いハツラツとした学生達によって活気ある街へと大きく変身させることができたら素晴しいので、是非とも長野聖府会議員が理論構築をなされて実現してほしい旨、お願いしていました。
その後、長野聖府会議員が大阪府担当者と詳細な協議を積み重ねられ、単なる学生寮的な活用に留まることではなく、地域に必要な様々なサービス供給拠点としての府営住宅活用や雇用を生み出す活用も含めて大きな戦略目標を持った構想として大阪府から国へ特区申請まで具体化をされたと仄聞しています。この事が実現されれば泉北NTの再生に大きな成果があるものと期待をしています。府・市連携の重要性を改めて学ばせていただきました。