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宗像神社

2013-07-27 22:18:47 | 日記

8時55分、宗像神社に到着。
小さな神社だが、綺麗にされている。
また境内に沢山の摂社がある。
宗像神社はどうやら九州福岡の宗像大社の関係らしい。
ここ桜井は神武東征ゆかりの地。
九州の神社があっても不思議ではない。

宗像神社は、奈良県桜井市外山(とび)の鳥見山(とみやま)山麓にある神社である。
式内社(名神大社)で、旧社格は村社。

南北朝時代以降「春日社」と称されてきたが、明治8年(1875年)に復称した。
また別に、近世以降は「中島社・中島さん」とも呼ばれている。

『延喜式神名帳』に「三座」と記されており、いわゆる宗像三女神である多紀理毘売命、市寸嶋比売命、田寸津比売命の3柱を祀る。

宗像三女神は宗像氏の奉斎神で、『日本三代実録』元慶4年(880年)3月27日条に、当社は左京の宗像神社ともども筑前国の宗像神社(現宗像大社)の「同神別社」であると記され、寛平5年(893年)10月29日の「太政官符」所引「高階忠峯等解状」(『類聚三代格』所収)にも「(筑前国)宗像大神同神」とある。


桜井茶臼山古墳

2013-07-25 20:05:22 | 日記

8時41分、茶臼山古墳に到着。

本古墳は、磐余の地に接した初瀬川の左岸にあり、自然丘陵を利用して築造されたものである。
墳丘長207メートル、前方部が細長く、全体が柄鏡形を呈する柄鏡式古墳である。
古墳時代初期の内でも比較的新しいものであり、箸墓古墳に後続する時期に造営された巨大な前方後円墳である。
この古墳の存在が知られるようになったのは、戦後しばらくたってからであり、雑木林に覆われて、単なる丘陵の観を呈していた。
後円部の頂に高さ2メートル弱、一辺9.75×12.5メートルの貼石のある矩形壇があり、また方形に巡る有孔の壺形土器(二重口縁壺形土器)が壇の裾周りに巡らされているのを別にすると、墳丘に埴輪を使用した痕跡がない。
段築面には葺石が施されている。
また、陪墳群がみられない。

この古墳の後円部の空濠の外に、宗像神社がある。筑前国宗像郡の宗像神社と同神である。
宗像神社は、全国に散在していて、この大和にある神社は、いつ頃からの鎮座か、さらに社殿が建てられた年代はいつなのか、詳細は不明である。
しかし、北部九州系の神社が大和にあることは注目に値する。

墳丘にしみこんだ雨水を抜くための石組の地中排水溝があることが、レーダー探査による調査で2007年(平成19年)に確認されている。

2009年(平成21年)の発掘調査では、石室の精査がなされている。