gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

孝昭天皇陵

2017-10-09 20:01:02 | 日記
孝昭天皇をネット検索すると色々出て来ました。
そもそも欠史八代の一人ですが。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
第5代に数えられる天皇。
名はミマツヒコカエシネノミコト。
懿徳 天皇の第1皇子。
母は皇后アマトヨツヒメノミコト。
大和掖上池心宮に都した。
ヨソタラシヒメノミコトを立てて皇后とした。
陵墓は奈良県御所市大字三室字博多山の掖上博多山上陵。

デジタル大辞泉の解説
記紀で、第5代の天皇。
懿徳天皇の皇子。
名は観松彦香殖稲。
都を大和の葛城郡掖上に移し、池心宮と称した。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
記・紀系譜による第5代天皇。
父は懿徳天皇。
母は天豊津媛命。
伝説上の人物ともいわれる。
「日本書紀」によると,都は掖上の池心宮。
孝昭天皇83年8月5日死去。
93歳(「古事記」)。
墓所は掖上博多山上陵(奈良県御所市)。
別名は観松彦香殖稲天皇。

朝日日本歴史人物事典の解説
『古事記』『日本書紀』に第5代と伝えられる天皇。
『日本書紀』によれば、懿徳天皇と、天皇の兄,息石耳命の娘天豊津媛命との間に生まれた。
観松彦香殖稲天皇という。
懿徳天皇を畝傍山南繊沙谿上陵(橿原市)に葬り、掖上(御所市)に池心宮を営んだ。
長子の天足彦国押人命は和珥臣らの始祖と伝えられる。

大辞林 第三版の解説
記紀所伝で、第五代天皇、観松彦香殖稲尊の漢風諡号。
懿徳天皇の皇子。
都は葛城の掖上わきがみの池心宮。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
皇室系譜に第5代と伝える天皇。
『日本書紀』によれば、国風諡号は観松彦香殖稲尊。
懿徳天皇の皇子で、母は天豊津媛命。
孝昭元年に即位して都を掖上(奈良県御所市北東部)の池心宮に遷し、同29年に世襲足媛を皇后とし、同83年に没して掖上博多山上陵に葬られたという。
『古事記』は、母を賦登麻和訶比売命、皇后を余曽多本比売命とし、93歳で没したと伝える。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿