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出石城

2016-05-02 22:33:39 | 日記
山名氏の最盛期、但馬国守護となった山名時義が、出石神社の北側の此隅山に、此隅山城を築いた。
此隅山城は長らく山名氏の本拠であったが、1569年(永禄12)の織田軍の羽柴秀吉による但馬遠征で落城した。
一旦山名祐豊は城を失ったが、今井宗久の仲介によって織田と和睦することができ領地に復帰した。
1574年(天正2)、祐豊は標高321mの有子山山頂を天守とする有子山城を築き、本拠を移した。
麓には下館も築かれ小城下町の体を成した。
しかし、毛利氏方についたため、1580年(天正8)、羽柴秀吉による第二次但馬征伐で有子山城も落城、但馬国山名氏は滅亡した。
有子山城は、しばらく城代の時代が続いたが、1585年(天正13)から前野長康、1595年(文禄4)から小出吉政が城主を務めた。
関ヶ原の戦いにおいて、小出氏は家名存続のため、吉政が西軍、弟・秀家は東軍に分かれて戦ったが、秀家の功績により、吉政の西軍への加担の責任は問われず、出石の領土は安堵された。

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