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玉置神社境内

2014-05-24 16:31:37 | 日記

三柱神社
三柱神社は倉稲魂神・天御柱神・国御柱神を御祭神としていますが、「玉置山権現縁起」によると、三狐神は「天狐・地狐・人狐」で熊野新宮の阿須賀を本拠とし、その本地は極秘の口伝と伝承されます。
御祭神の倉稲御魂神は稲荷神社祭神の元とといわれ、例祭には稲荷を信仰する人々で賑わいをみせます。
この倉稲魂神は京都府の伏見稲荷大社で農業や商売繁盛などの神様として、また天御柱神・国御柱神は奈良県生駒郡の龍田大社で風を司る神様としてお祀りをされていることで知られます。
また、三柱神社は古くから動物霊(キツネつき・ノイローゼなど)を祓う
神社としても知られ、近年まで霊に取り付かれた人が三柱神社裏の部屋に数日間籠り、動物霊を祓っていました。

玉置神社梵鐘(昭和34年国指定重要文化財)
梵字を刻んだ釣鐘で神仏混淆時代の梵鐘。
應保三年(1163)癸巳三月三日の銘があり、元暦元年(1184)正月、源義仲の軍勢を前に、梶原景季と宇治川の先陣争いを演じた佐々木高綱(乃木希典 将軍の祖)が献納したもの と伝えられています。
銘のある鐘では、全国で11番目に古いとされている。
現在の鐘は、重要文化財とは別のものが吊り下げられていますが、一部には玉置神社の鐘をつくと天地に異変が起きるという伝承もあるといわれることなどから、重要文化財の鐘は、十津川村の郷土資料館に展示されています。

社務所
社務所・台所は昭和63年(1988)に国指定有形重要文化財となりました。
江戸時代末期、神仏混淆であった玉置神社の別当寺であった高牟婁院の主殿及び庫裏として建立されたもので、 神仏分離後は社務所・台所および参籠所として使用されています。
文化元年(1804)高牟婁院(神仏混淆時代の寺院)として建築された書院造りで背面は懸造りの「吉野建」。
社務所は入母屋造銅板葺き、桁行22メートル、梁行15メートルで、北面に玄関を設け、南面は懸造とし、 地階には参籠所を備えます。
台所は桁行9メートル、梁行8.9メートルで、屋根は銅板葺き、東面は入母屋造、 西側は社務所に接続されています。
上質な書院建築と参籠所を上下に複合させた構造は、近世における修験教団の活動が作り出したものであり、 社務所および台所とも、わずかな改造を受けたのみで古い様式を今に残しています。
内部は中央に10部屋があり、周りに縁を廻らせています。
また、内部に杉1枚板の襖が60枚、この全ての襖に狩野派法橋、橘保春らの筆による豪華な花鳥図が描かれています。
社務所台所とともに昭和63年国の重要文化財に指定されました。

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