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神功皇后陵

2014-08-09 02:31:47 | 日記

10時41分、ついに念願の神功皇后陵に来た。

神功皇后(成務40年 - 神功69年4月17日)は、仲哀天皇の皇后。
『日本書紀』では気長足姫尊・『古事記』では息長帯比売命・大帯比売命・大足姫命皇后。
父は開化天皇玄孫・息長宿禰王で、母は天日矛裔・葛城高顙媛。
彦坐王の4世孫、応神天皇の母であり、この事から聖母とも呼ばれる。
弟に息長日子王そして妹に虚空津姫と豊姫あり。
三韓征伐を指揮した。

『日本書紀』などによれば、神功元年から神功69年まで政事を執り行なった。
夫の仲哀天皇が香椎宮にて急死。
その後に熊襲を討伐した。
それから住吉大神の神託により、お腹に応神天皇を妊娠したまま筑紫から玄界灘を渡り朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻めた。
新羅は戦わずして降服して朝貢を誓い、高句麗・百済も朝貢を約したという。
渡海の際は、お腹に月延石や鎮懐石と呼ばれる石を当ててさらしを巻き、冷やすことによって出産を遅らせたとされる。
月延石は3つあったとされ、それぞれ長崎県壱岐市の月讀神社、京都市西京区の月読神社、福岡県糸島市の鎮懐石八幡宮に奉納されたと言われている。
その帰路、筑紫の宇美で応神天皇を出産し、志免でお紙目を代えたと伝えられている。
神功皇后が三韓征伐の後に畿内に帰るとき、自分の皇子には異母兄にあたる香坂皇子、忍熊皇子が畿内にて反乱を起こして戦いを挑んだが、神功皇后軍は武内宿禰や武振熊命の働きによりこれを平定したという。

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