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月照寺 月照院の墓

2013-09-03 21:58:34 | 日記

江戸時代前期,結城秀康の側室。
阿波国麻殖郡三谷城の三谷出雲守長基の娘で、お駒という。
慶長12年(1607)夫である秀康没後は月照院と名乗った。
14歳で初陣となる直政の大坂への出陣に当っては、躊躇するわが子に「栴檀は双葉より芳、戦陣にて勇無きは孝にあらざる也」と励まし、自ら直政の甲冑下の着衣を縫い、馬験も縫って、それにたらいを伏せ墨で丸を描き、急場の験として与えたのは有名。
もと京都の遊女上巻で、徳川家康の次男秀康に身請けされ、慶長6年直政を生んだ。

月照寺の「月照」は月照院の「月照」ですね。


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