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小口山古墳

2013-08-05 18:43:11 | 日記

前に来た時は石室があるのは知らなかった。
で、今回リベンジで再訪。
念願の石室を発見。
小さな石室である。
もしかして子供の墓?それとも火葬なのかな?
ところで石室の天井から垂れてる、ビロビロは何だろう?
発掘の祭に石室の天井に水漏れ防止のゴムシートでも敷いたのかな?
それが垂れてる?

小口山古墳は、大阪府羽曳野市軽里2丁目に所在する終末期古墳(円墳)である。
内部に一個の巨石を刳抜いた横口式石槨がある。

史跡・峯ヶ塚古墳の西方200mにある終末期の横口石槨を持つ古墳である。
1912年(明治45年)、開墾によって発見され、喜田貞吉によって「河内軽里の堀抜石棺」として紹介されており、考古学史上著名な遺跡である。
1979年(昭和54年)~1980年(昭和55年)にかけて羽曳野市史編纂の関連で発掘調査されている。

径30mの規模をもつ円墳とみられ、墳形を整えるために東側と北側の地山を削って周濠を整えていることが判明した。
墳丘の高さは現在は2.5mであるが本来は5m以上あったと推測されている。

主体部の横口式石槨は長さ2.7m、幅1.6m、高さ1.6mで、1つの直方体の巨大な二上山産の白色凝灰岩を刳り抜いて造っている。
南に大きな開口部があり、内部の奥行きは2.13m、幅は入口が最も狭くて0.87m、奥壁は広がって1.17m、高さは0.63mある。
石槨の外形は南北に長い箱形で、天井部の四辺を斜めに削って屋根形としていて、上面の平坦な天井部分は長さ2.14m、幅0.96mある。
全体の外形は家形石棺に近いが、縄掛突起などの形跡はない。
この石槨は地山の上に直接に置かれたのではなく、長さ1.7m、幅1m、厚さ30cmの板石を三枚敷き並べそれを台座にして据付けられている。
さらに、南側を除く東・北・西の三側面には石英安山岩の自然石からなる大型の塊石を積み上げて護石としていることが判明した。
これらの側壁に用いられた塊石の大きさは大小不ぞろいであるが、最も大きいものは一辺で0.9mある。

副葬品などの遺物は検出されなかったので遺物から年代を決定できないが、石槨の型式から見て、7世紀の第4四半期を中心とする年代に比定できる。


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