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檜原神社3

2015-05-13 23:03:45 | 日記

ここから西を向くと、二上山が見え、手前には畝傍山、更に手前には箸墓古墳、ホケノ山古墳を拝む事が出来ます。
これから西へ下ります。



檜原神社2

2015-05-13 22:45:53 | 日記
大神神社の摂社「檜原神社」は、天照大御神を、末社の「豊鍬入姫宮」は崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命をお祀りしています。
第十代崇神天皇の御代まで、皇祖である天照大御神は宮中にて「同床共殿」にお祀りされていました。
同天皇の六年初めて皇女、豊鍬入姫命(初代の斎王)に託され宮中を離れ、この「倭笠縫邑」に「磯城神籬」を立ててお祀りされました。
その神蹟は実にこの檜原の地であり、大御神の伊勢御遷幸ののちもその御蹟を尊崇し、檜原神社として大御神を引続きお祀りしてきました。
そのことより、この地を今に「元伊勢」と呼んでいます。
檜原神社はまた日原社とも称し、古来社頭の規模などは本社である大神神社に同じく、三ツ鳥居を有していることが室町時代以来の古図に明らかであります。
萬葉集には「三輪の桧原」とうたわれ山の辺の道の歌枕となり、西につづく桧原台地は大和国中を一望できる景勝の地であり、麓の茅原・芝には「笠縫」の古称が残っています。
また「茅原」は、日本書紀崇神天皇七年条の「神浅茅原」の地とされています。
更に西方の箸中には、豊鍬入姫命の御陵と伝える「ホケノ山古墳」があります。

檜原神社

2015-05-13 22:17:26 | 日記

10時29分に檜原神社に到着。
かってこの付近は大和の笠縫邑と呼ばれた。
そのため境内には「皇大神宮倭笠縫邑」と書いた大きな石碑が立っている。
天照大神が伊勢神宮に鎮座する前に、宮中からこの地に遷され、この地で祭祀されていた時代がある。
伊勢神宮へ遷されると、その神蹟を尊崇して、檜原神社として引き続き天照大神を祀ってきた。
そのため、この神社は広く「元伊勢」の名で親しまれている。
大神神社では見えなかった三輪特有の「三輪鳥居」とその奥にある神籬などが再建されいる。


山之辺の道2

2015-05-13 21:25:16 | 日記
ここを抜けると檜原神社です。
その手前に歌碑があります。
「いにしへの人の植ゑけむ杉が枝に霞たなびく春は来ぬらし」
柿本人麻呂ですね。
「古の人が植えて育てたというこの杉木立の枝に霞がたなびいている。もう間違いなく春がきているのだなぁ。」という意味らしい。