gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

新宮駅を目指して

2015-01-18 17:41:53 | 日記

熊野速玉大社を出て、新宮駅を目指して歩きます。
どうやら前から探している大逆事件の説明版や碑があるらしいのです。
道中色々な説明版があり、知的好奇心をそそります。
到る所にみかん屋さんがあります。
どこも安くて大量のみかん。
僕はみかんが大好きなのでとても興味をそそられます。
でも今は歩きなのでとてもみかんを買えないのが残念です。
北側を見ると、さっき登った千穂ヶ峯が見えます。
幾つものピークがあり、尾根伝いをあるくと登ったり下ったりでしんどいです。

熊野速玉大社2

2015-01-18 17:17:59 | 日記

この日も熊野速玉大社は沢山の参拝者でした。

「熊野権現御垂迹縁起」(一一六四年長寛勘文)はじめ諸書によると、熊野の神々は、神代の頃、まず初めに神倉山のゴトビキ岩に降臨され、その後、景行天皇五十八年、現在の社地に真新しい宮を造営してお遷りになり、「新宮」と号したことが記されています。
初めは、二つの神殿に熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子大神を祀り、平安時代の初めには現在のように十二の神殿が完成しました。
日本書紀には、神武天皇が神倉に登拝されたことが記されています。
悠久の古より人々から畏れ崇められてきた神倉山には、初め社殿はなく、自然を畏怖し崇める自然信仰、原始信仰の中心であったと思われます。
また、ここから弥生時代中期の銅鐸の破片も発見されています。
十月の例大祭では、お旅所に新宮の由来となった最初の宮である「杉ノ仮宮」を造り、古式に則って神事が行われます。

自然信仰を原点に神社神道へと展開していく熊野信仰は、六世紀に仏教が伝わると早くから神仏習合が進み、「熊野権現信仰」が全国に広まっていきます。
「権現」とは、神が権り(仮)に姿を仏に変え、衆生を救うために現れるという意味で、過去・現在・未来を救う霊場として熊野は人々に受け入れられていきます。
さらに、強者弱者、地位や善悪、信不信を問わず、別け隔てなく救いを垂れる神仏として崇敬され、人々は難行を覚悟で、熊野をめざし、「蟻の熊野詣で」の諺も生まれました。
熊野古道は、滅罪と救いを求めて難行を続ける人々がつけた命の道です。
険しい山路を越えてやっとのことで宝前に辿り着いた人々は、皆涙に咽んだといいます。
そして、熊野の神にお仕えする私達の祖先は、たとえ参詣者のわらじが雨で濡れていてもそのまま温かく拝殿に迎え入れたそうです。
美しい感激の涙で心が洗われ、自分本来の姿を取り戻す旅・・・。
熊野は生きる力を、もう一度受け取りに来るところなのです。
命がけの旅は、私達が生まれた時に持っていたはずの純真なこころと姿を取り戻す試練の旅でもあったのでしょう。
難行苦行の果てにあるもの・・・それは、迷わず人生の再出発を踏み出すための勇気と覚悟の加護にほかなりません。
熊野速玉大社が「甦りの地」といわれる本意は、正にここにあります。

千穂ヶ峯下山

2015-01-18 12:41:00 | 日記

三本杉登山口に向かって下山。
途中、岩座っぽい石群を幾つも通過。

新宮市をはじめとする熊野地方は、古くから神々の里として人々の信仰を集め『熊野神邑』と呼ばれていました。
海青し.空青し.山青しと言われる熊野の豊かな自然を背景に新宮市は速玉大社の門前町として開かれ、江戸時代には新宮城を中心に木材の集散地としてにぎわいました。