急逝から12年のZARD坂井泉水 テレサ・テンと交わった数奇な運命

2019-05-27 20:43:59 | ZARD
https://dot.asahi.com/dot/2019052400021.html?page=1

急逝から12年のZARD坂井泉水 テレサ・テンと交わった数奇な運命
2019.5.27 11:00

 ZARDの坂井泉水さんが亡くなって、12年がたった。平成19年5月27日、40歳で死去。前日、ガン治療のため入院中だった病院内のスロープから転落して、脳挫傷を負い、そのまま息をひきとった。

 その作品は今も多くの人に愛されている。代表作「負けないで」は「24時間テレビ」(日本テレビ系)のマラソンや高校野球の応援歌として定番化。今年4月には「ZARDよ永遠なれ 坂井泉水の歌はこう生まれた」(NHKBSプレミアム)が放送された。

 このドキュメンタリーでは、彼女が作詞をするために書き溜めていた膨大なメモの一部が紹介され、「負けないで」の「視線がぶつかる」「走りぬけて」といったフレーズがそれぞれ「目と目が合った様な」「あきらめないで」からギリギリで書き改められた話などが明かされた。そこには恋のときめきや不安に人一倍敏感で、それをひたむきに言葉で表現しようとしていた王朝歌人のような姿が浮き彫りにされていた。

 ただ生前、メディアにほとんど登場しなかったこともあって、その魅力の源泉はまだベールにつつまれている。たとえば、故・テレサ・テンさんとの不思議な縁などもあまり語られないことのひとつだ。その話をする前に、彼女がZARDになるまでのキャリアを見ておくとしよう。

■「最強の二番手」としてのスタート

 坂井泉水こと蒲池幸子(本名)は、子供の頃から歌が好きで、ピンクレディーや松田聖子、河合奈保子をマネしたりしていた。部活は陸上やテニスで活躍、高校の文化祭では「ミス」にも選ばれている。短大卒業後、バブル景気を謳歌していた第一不動産に就職するが、街でスカウトされたのを機に芸能活動を始め、約2年で退社した。

 その後、東映カラオケクイーンに選ばれてカラオケビデオに出演したり、岡本夏生らとレースクイーンをやったりしたものの、目標はあくまでも歌手。ドラマやバラエティのちょい役をこなしたり、セミヌード写真集を出したりしながら、チャンスをうかがった。そんななか、大きな転機が訪れる。23歳のとき、B.Bクィーンズのコーラスメンバーを決めるオーディションに挑戦、ビーイングの総帥・長戸大幸に認められたのだ。

 とはいえ、このとき選ばれたのは宇徳敬子で、落ちた彼女には別のソロプロジェクトが用意されることに。それがZARDだった。思えばここから「最強の二番手」としての彼女の歌手人生が幕を開ける。表舞台で派手に歌い踊るのではなく、時代にひっそりと寄り添いながらその伴奏をするようなスタンス。そこに彼女は、見事にハマっていくわけだ。

 そんな方向づけについて、長戸自身がこんな発言をしている。2年前にAERA dot.で連載された「永遠の歌姫 ZARDの真実」(神舘和典)からの引用だ。

「プロデューサーとして坂井さんに求めたのは“平成に生きる昭和の女”です。昭和の中盤から後半にかけて、歌謡曲やJポップで歌われ続けた、愛する男性の夢のためには身を引く女性です。(略)髪型も変えず、そのコンセプトを最後まで変えなかったことが、数多くの大ヒットを生み続けたと感じています」

 まるで、テレサ・テンの歌のヒロインみたいだが、じつはこのオーディションで彼女は「つぐない」を披露していた。また、カラオケでは同じくテレサの「別れの予感」もよく歌っていたという。そして、彼女の前に「最強の二番手」だったのがまさにこの「アジアの歌姫」なのだ。

■「露出」を武器にしていた森高千里

 テレサは昭和59年から3年連続で日本有線大賞を受賞。日本レコード大賞ではなく「有線」だったあたりが「二番手」たるゆえんで、当時、歌謡界の中心には松田聖子や中森明菜がいた。その影に隠れながらも、確実に支持を集めていたわけだ。そういうスタンスに、ブレイク後の坂井泉水が重なるのである。

 というのも、彼女が世に出て行こうとしたとき、Jポップシーンではひとりの美人シンガーが脚光を浴びていた。森高千里だ。自ら手がけた等身大の詞を澄み切ったボーカルで歌うところは似ているが、こちらはミニスカ姿で歌番組に出たりライブをやったりという「露出」も武器にしていた。その露出を極力避けることで、坂井は差別化に成功する。本人があがり症で体調不安も抱えていたという事情もあるようだが、意図的な戦略でもあっただろう。

 なぜなら、ビーイングはすでにあるものをヒントにして似て非なるものを作り出すのが得意だからだ。サザンオールスターズからTUBEを、BOØWYからT‐BOLANを、のちには宇多田ヒカルから倉木麻衣を、というように。そこには長戸のこんな哲学があった。昭和58年、ビーイング設立から4年半後の発言だ。

「物事をより展開するときに、すべてを否定して同じものをつくったら、まったく違うものができるでしょう」(『よい子の歌謡曲』13号)

 ここでいう「すべて」とは「最大の武器」とか「秘められた本質」といった意味だろう。坂井は「露出」を避けただけでなく、森高が当初かもしだしていた「人工的な多幸感」とはウラハラの「ナチュラルなのに薄幸な感じ」をどことなく漂わせていた。その後、森高が妻となり母となり、坂井がああいう最期を迎えたことで、両者は似て非なるものという印象がいっそう強まることになる。

 ただ、1990年代という区切りでいえば、坂井泉水は最も多くCDが売れた女性歌手だ。「最強の二番手」を超えた「真の女王」でもあったのである。

■謎の死を遂げたテレサ・テン

 さて、彼女が世に出た頃、テレサ・テンは不遇な日々をすごしていた。台湾出身で中国の民主化運動を支援していたため、平成元年に起きた天安門事件に深いショックを受け、パリに移住。恋におちた14歳年下のフランス人男性と暮らしていたものの、CDは売れなくなり、体調もすぐれなくなった。

 やがて、平成7年の5月8日、静養先のタイで急逝(享年42)。死因は持病の喘息だったが、中国による謀殺説も取り沙汰された。警察が自殺を疑ったという坂井と同様、謎めいた死だったわけだ。

 生前最後のシングルは、2年前に発表された「あなたと共に生きてゆく」。作詞は坂井泉水(作曲・織田哲郎)である。タイアップの化粧品CMを制作した会社の意向でこのコンビになったとされるが、坂井はまだデビュー3年目で、他のアーティストへの詞の提供は初めてだった。しかも内容は、テレサが得意とし、デビュー前の坂井もよく歌っていた不倫ソングではなく、ハッピーな結婚ソング。両者がともに未婚のまま亡くなったことを思うと、なんともいえない気持ちにさせられる。

 その12年後、坂井はこの曲をZARDとしてセルフカバー。収録されたのは、生前最後のオリジナルアルバムだ。その発売から9ヶ月後に子宮頸ガンの手術を受け、一度は回復したものの、10ヵ月後の平成19年4月、肺への転移が確認され、再入院となった。その翌月、亡くなるわけである。

 手術を受ける前月には生前最後のシングル「ハートに火をつけて」が発売された。奇しくも、テレサと同じく結婚ソングだ。前出の「永遠の歌姫 ZARDの真実」によれば、このプロモーションビデオを撮るにあたり、彼女は珍しく自分の希望を口にした。それは、

「ドレス、着てみたいな」

 というものだ。教会を併設したレストランで純白のウェディングドレスをまとい、キャストの子供たちとカードゲームの話で盛り上がったりしながら、楽しそうにしていたという。だが、すでに体調を崩していた彼女はその夜、救急搬送され、これがオフィシャルな意味では最後の撮影になってしまった。

 それでも、入院生活のなか、彼女は詞を書くための言葉を紡ぎ続けた。前出の「ZARDよ永遠なれ 坂井泉水の歌はこう生まれた」ではこういう一節が紹介されている。

「長い人生にはどうしても避けられない道がある そんな時は黙って歩くんだョ」

 もし回復して、活動が再開されれば、これも作品に活かされたことだろう。願わくば、それも聴いてみたかった。そう思う人は数多くいるはずだ。未完の歌姫・坂井泉水は、死後もなおファンの心を惹きつけてやまない。

■宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など。

ありふれた言葉だからこそ強く尊い―― 没後12年、人々の魂を揺さぶり続けるZARD・坂井泉水の世界

2019-05-25 14:31:33 | ZARD
https://news.yahoo.co.jp/feature/1335

ありふれた言葉だからこそ強く尊い―― 没後12年、人々の魂を揺さぶり続けるZARD・坂井泉水の世界
5/25(土) 7:14

ZARDのボーカル・坂井泉水さんが亡くなって今年の5月27日で12年になる。享年40。1991年にデビューして、代表曲「負けないで」などは今もカラオケの定番ソングとして親しまれている。まさに平成を駆け抜けたアーティストだった。彼女の素顔、今も歌い継がれる理由を探った。(ライター・伏見学/写真・菊地健志/Yahoo!ニュース 特集編集部)

想定を上回ったデビューシングル

「あまり印象に残らない、特徴がほとんどない女性でした。アーティスト然とした雰囲気も感じなかったので、『この子、本当に大丈夫かな?』と思いましたね」
デビュー時からZARDのレコーディング・ディレクターを務めた寺尾広氏は、坂井さんと出会ったときの印象をこう話す。

ただ、いざ歌いだすとよく通る力強い声だったので、もしかしたら5万枚は売れるのではないかと思ったという。5万枚というのは決して下に見ているわけではない。坂井さんが所属したレコード会社のビーイングは黎明期で、当時まだアーティストがほとんどいなかった。5万枚という数字は期待の表れだった。

結論から言うと、1991年2月10日に発売されたデビューシングル「Good-bye My Loneliness」の売り上げ枚数は約25万枚。想定を上回るヒットだった。

その後もヒットを連発し、100万枚以上の売り上げを記録したのは、シングルとアルバムを合わせて14作品。全作品の売り上げは累計3763万枚を超えている。オリコンが2019年4月11日に発表したアーティスト別の「平成セールスランキング」によると、安室奈美恵さんや宇多田ヒカルさんを上回る第8位だ。

164万枚を突破した最大のヒット曲「負けないで」は、恋愛・応援ソングとして今なお国民的な人気を博している。日本テレビのチャリティー番組「24時間テレビ 愛は地球を救う」のマラソンシーンでは毎年必ずと言っていいほど流れるほか、就職活動のテーマ曲としても親しまれている。さらには高校の英語の教科書にも歌詞が採用された。

デビューから28年、亡くなってから12年経った今も、坂井さんの歌はなぜ人々の胸を打つのだろうか。

常に何かを書いていた

坂井泉水(本名・蒲池幸子)さんは1967年2月6日、神奈川県平塚市で生まれた。小学生のころに秦野市へ移り、丹沢山地のふもとにある自然豊かな地で育った。中学生のときは陸上部の短距離走選手として県記録を打ち立て、高校時代も硬式テニス部で汗を流すスポーツ少女だった。一方で、幼いころから母親が弾くオルガンで歌っていたり、ピアノを習ったりと、音楽は常に身近な存在だった。中学校ではギタークラブでも活動した。ジョン・レノンやシャーデーといった海外アーティストが好きだった、と後にインタビューで答えている。

短期大学を卒業してから会社員として2年ほど働き、その後、モデルやレースクイーンといった芸能関係の世界に身を投じた。その中でいつかは歌手になりたいという夢を持ち続け、1990年8月、ビーイングの所属アーティストであるB.B.クィーンズのバックコーラスのオーディションに参加した。落選したものの、ビーイングの創始者で音楽プロデューサーの長戸大幸氏の目に留まり、坂井さんをメインボーカルにしたロックバンドが構想された。それがZARDである。当初はバンドの予定だったが、結果的に坂井さんのソロプロジェクトになった。

デビューが決まってから長戸氏は坂井さんに自ら歌詞を書くことを課した。坂井さんは毎日紙に言葉を書き続けた。移動中、レコーディングの合間など、暇さえあればペンを走らせた。寺尾氏が振り返る。

「常に何かを書いていましたね。1行だったり、2行だったり。あるいは数ページにわたって書いた文章も。そうかと思えば、例えば『きっと忘れない』のような一言だけのフレーズもありました。普通はノートに書くのでしょうが、坂井さんはレポート用紙やメモ用紙などその場にある紙に書くことが多かったですね」

基本的な作品作りはこうだ。まず長戸プロデューサーの元に届けられた数々のデモテープの中から曲が選ばれ、曲に合わせて坂井さんが作詞する。ただ坂井さんの作詞する方法は変わっていて、曲に対して一から書き下ろすことはしない。レポート用紙などに日ごろから書きためてあるものの中から、まるでパズルのようにメロディーに言葉を当てはめていくのだという。寺尾氏が続ける。

「曲のデモテープをもらうとまず、サビの出だしのメロディーにはこういう日本語や英語が合うというのを最初に決めることが多かったですね。歌詞全体も今まで書いていた言葉を当てはめて一つのストーリーになるように作っていました。起承転結を綿密に考えてやったというよりは自然と成立している感じ。ロジックになりすぎていないから読み手に(意味を自分なりに解釈できる)余白があるのです」

デビューしたのが24歳のとき。当時はまだモデル事務所で契約した仕事がいくつか残っていたため、明け方までレコーディングした後に、朝一番の電車に乗って仕事に行く過酷な状況も続いた。

弱音を吐かず、文句も言わずに音楽活動に集中する坂井さん。次第に彼女の曲が注目されるようになり、テレビにも出演するようになった。そしてデビューから2年後の93年1月、今なお多くの人たちの魂を揺さぶる名曲「負けないで」が生まれた。

「負けないで」はこうして誕生した

「負けないで」は当初、アルバム『揺れる想い』(93年7月発売)に収める候補曲の一つだった。織田哲郎氏が作曲したメロディーが坂井さんの元に届いたのが92年10月。そこから約2週間で歌詞をつけて、10月27日に最初の歌入れをしたところ、関係者一同、これはいいとなった。長戸氏も「負けないで」という言葉に、世の中の多くの人たちの背中を押すような曲になるだろうと確信したという。そこでアルバムの中のひとつではなくて、急遽シングル曲として仕上げることになった。

デビューから亡くなるまで坂井さんの曲作りに携わったレコーディング・エンジニアの島田勝弘氏は、坂井さんのレコーディング風景を覚えている。

「始まるのは夕方からで、終わるのは深夜、ときには朝までやっていることも多かった。始まるとブースと調整室の間のカーテンを全て閉め切って歌っていたのを思い出します」

それは歌に集中するためなのか、極端にシャイだったという彼女の性格ゆえなのか。とにかく坂井さんはブースの中で一人きりでマイクに向き合った。

「負けないで」のチャート初登場は2位。そして4週目でZARD史上初めての1位になった。

性別を超えて愛された秘密

坂井さんの歌詞にはどのような特色があるのだろうか。

『尾崎豊の歌詞論』『Jポップの日本語―歌詞論』などの著作があり、歌詞論を専門とするライターの見崎鉄氏は、坂井さんの歌詞には女性ならではの言い方が多いと分析する。

「日本語は語尾にその人の特徴が表れます。『そうだぜ』と言えば男性だし、『そうじゃ』と言えばお年寄りが話しているとすぐ分かります。役割語と呼ばれるものです。坂井さんの歌詞には女性特有の言い回しが多く、それが語尾によく表れています」

「負けないで」を例にとってみよう。この曲の歌詞の語尾には「~でしょ」「~ね」「~わ」などの女性語がある。見崎氏は、こういう典型的な女性語は語り手の輪郭をはっきりさせるために創作物にはよく出てくるという。ただし、この歌には一見そうとは思えない部分にも女性的な表現が用いられている。終助詞「て」の使用法である。サビはこうなっている。

負けないで もう少し
最後まで 走り抜けて
どんなに 離れてても
心は そばにいるわ
追いかけて 遥かな夢を

「走り抜けて」「追いかけて」と、フレーズの語尾に「て」が使われている。「てください」などと言い切らず、「て」で止めるところに特徴がある。見崎氏によると、この場合の終助詞「て」は軽い命令(お願いや配慮を含む)を意味する。主に親しい間柄で用いられるもので、公的な場でこうした言い方をためらう男性は多いという。

坂井さんは女性っぽい歌詞を無意識に書いてきたのではないかと見崎氏は指摘する。その秘密は、ZARDという名前に隠されているという。ZARDは濁音中心のざらついた感じの響きを持ち、「Z」の文字も入っていてカッコよく、男性向きである。坂井さんの持つ雰囲気とはベクトルが逆だ。

「ZARDという名前の男くささを中和しようとして、無意識で女性的な言い回しを多用したのかもしれません。ZARDというパッケージで提供される歌と、歌い手の容貌や歌詞の内容にギャップがあることで不思議な深みが生まれます。もし坂井泉水の名前のままだったら、不思議さは薄れたと思います。女性的なものと男性的なものがうまく組み合わさったことが、性別を超えて幅広い層に支持された一因ではないでしょうか」

坂井さんはデビューから一貫してビジュアルの露出があまりなくて、正面からの写真は少ない。レコーディング・ディレクターの寺尾氏はその理由として「顔立ちが良すぎた」と証言する。男性ファンが恥ずかしがってCDを買いにくかったり、女性ファンから敬遠されたりするのを懸念したという。外見の露出をあえて抑え、ZARDという名前にしたことで、逆に女性的な歌詞が際立つことになった。

また、「負けないで」が応援ソングとして長く支持されている一端は歌詞にあると見崎氏は言う。

「何について負けるなというのか、はっきり限定していません。ですから、何にでも、誰にでも応用が利きます。加えて『もう少し』だけ頑張れとも言っていて、無理強いするキツさがないんです。それが応援ソングとして受け入れやすく、幅広い支持を集めることになった理由ではないでしょうか」

石川啄木との共通点

歌手デビューする前から文章を書くことが好きだった坂井さんは、歌人の石川啄木のファンだったという。

啄木の短歌を現代語に翻訳した『石川くん』などの著作がある歌人の枡野浩一氏は、坂井さんの歌詞を「心から思っていることをそのまま言葉にしている」とみる。刺激的なものは皆無で、ほとんどが無味無臭、匿名性の高いものだという。

「きっと本人も優しくて、控えめな人だったのではないでしょうか。既存のものに対するアンチもないし、素直に『負けないで』と思っていたのでしょう。私はこれだけピュアな詞を書くのは難しいと思う。本心でなければ、かえって不自然なものになってしまいますから」

坂井さんの歌詞で使われる言葉は、毒づいたものはなく、はやりものでもない。ありふれたものだが、枡野氏はそこに啄木との共通点も見いだす。

「啄木も人間としてまっすぐで、自分の気持ちをそのまま素直に書いていた人でした。だから、啄木のような短歌をさあ作れと言われても難しいです。坂井さんが啄木に惹(ひ)かれていたのはとてもよく分かる気がします」

まっすぐで、素直な生き方を保つ人は本当に強いと枡野氏は言う。

「多くの人たちはすぐに社会や他人に対して意地悪な見方をしてしまう。ネットにもそういう言説があふれています。だからなおさら今、坂井さんのありふれた言葉を尊く感じます」

日本人の情緒に訴えかけるグルーヴ感

坂井さんは歌詞だけでなく、歌い方にも特徴があった。レコーディング・エンジニアの島田氏が解説する。

「坂井さんはアタック(起声、出だしの音)をきちんと付けながらも、少し後ろのタイミングを強調して歌うという独特さがあります。アタックとはシンセサイザーの専門用語で、音が鳴ってから最大音量になる部分のことで、鍵盤を離して音が鳴り終わるまでの『リリース』という言葉とセットでよく使います。坂井さんはアタックからリリースまでが長い。例えば、『きっと忘れない』を『きいっと忘れない』のように、『き』のあとに母音の『い』を入れて、後ろに引っ張ります。『揺れるう想いい からあだじゅう感じてえ(揺れる想い 体じゅう感じて)』とかもそう。歌詞だけ見ると母音の部分はありませんが、歌を聴くと細かく入ってくるのです」

こうした坂井さんの特徴的な歌い方について、レコーディング・ディレクターの寺尾氏は、ある種「演歌的」と指摘する。

「坂井さんは、見た目も声の感じもあっさりしているけど、ゆったりと歌う演歌的なグルーヴ感があります。日本人の情緒に訴えかけるようで、それがいつまでもZARDの音楽が色あせない理由かもしれません」


音の作り方にも特徴があった。演奏する楽器の数が多く、メロディーの中に隙間がない。弦やコーラスなど全部の音のハーモニーを大事にしていたという。

実は、そういったアレンジにも理由があった。寺尾氏が説明する。

「坂井さんは音程がすごく安定しているタイプではなく、ハーモニーに支えられて威力を発揮する人でした。16ビートのドラムループの中で歌うよりは、コードや楽器がいろいろと入っているほうがZARDらしいし、坂井泉水というアーティストの魅力が十分発揮できました」

音作りの細部にこだわるため、途中から録音機材のマイクも替えた。彼女が愛用したのは、ドイツやオーストリア製の真空管マイクである。なんと1950年代に作られたものだという。真空管にすることで音がじんわりと優しく広がっていく特徴があるそうだ。

「ZARDは“平成に生きる昭和の女”をコンセプトにしていて、(音楽やファッションなどの)はやりのスタイルを取り入れることもありませんでした。トレンドを重視したらすぐに古びて、飽きられてしまいます。これもZARDがエバーグリーンになったゆえんかもしれません」

1990年代は、バブル崩壊、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、山一證券の経営破たんなど、総じて暗い過去として語られることが多い。坂井さんは、そんな時代に歌で大勢の人たちを明るく鼓舞しながら、全力で走り抜けた。

坂井さんの命日である5月27日には毎年、東京と大阪のビーイング社屋に献花台が設けられる。坂井さんが大好きだったカラー クリスタルブラッシュの花や、曲名にもなったひまわりの花などを持った大勢のファンがここを訪れては、彼女の写真の前で手を合わせ、祈りを捧げる。感極まって涙を流す人も少なくないという。令和という新しい時代を迎えた今も、坂井さんの歌は人々の心の中で永遠に生き続けるのだ。

伏見学(ふしみ・まなぶ)
1979年生まれ。神奈川県出身。記者・ライター。慶應義塾大学環境情報学部卒業、同大学院政策・メディア研究科修了。ニュースサイト「ITmedia」を経て、2019年5月からフリーランス。

幻の音源も公開! 「ZARDよ永遠なれ 坂井泉水の歌はこう生まれた」が本日18日(土)再放送~膨大なメモから坂井泉水さんの思いや人柄にも迫る

2019-05-18 12:55:13 | ZARD
https://netatopi.jp/article/1185245.html

幻の音源も公開! 「ZARDよ永遠なれ 坂井泉水の歌はこう生まれた」が本日18日(土)再放送~膨大なメモから坂井泉水さんの思いや人柄にも迫る
2019/5/18 10:18

 2019年4月20日(土)に放送された「ZARDよ永遠なれ 坂井泉水の歌はこう生まれた」が、NHK BSプレミアムで2019年5月18日(土)14時30分~16時30分に再放送されます。

「負けないで」「揺れる想い」など、数々のヒット曲を世に送り出してきたZARD。そのボーカルでもある坂井泉水さんの創作活動に迫る特集番組です。

 2007年、40歳の若さで亡くなった坂井さん。生前、作詞のために毎日のように言葉をメモしていました。その数は、取材をきっかけに集まっただけでも500枚以上。番組では、その膨大なメモを紹介するとともに、歌詞に込められた意味や楽曲の魅力、坂井さん本人の思いや人柄にも迫っていきます。

 また、“幻の音源”や、海外で撮影した映像、レコーディングをしている様子など、生前にはほとんど公開されなかった、スタッフとの何気ないやりとりや撮影に臨んでいる“収録現場での素顔”も紹介されます。

 さらに、坂井さんとほぼ同期で、女性シンガー、作詞家、そして友人として親交があった大黒摩季さんにも、坂井さんをどのように見ていたのかインタビュー。同じボーカルとして感じる坂井さんの歌い方のすばらしさや、坂井さん本人から聞いた作詞のしかたについてや、作詞する者同士感じていたことなども話しています。

 ほかにも、音楽ディレクターの寺尾広さんは、坂井さんがメモに残したもの、作詞の秘話を、レコーディング・エンジニアの島田勝弘さんは、坂井さんの収録の様子や歌い方の違う“別のバージョン”の「負けないで」「揺れる想い」を紹介。そして、ジャケットデザイナーの鈴木謙一さんは、ファインダーを通じた坂井さんや、CDのジャケットにまつわる秘話も明かします。

 それから、芸能界のファン代表として、人生の最も寂しく孤独な時期、坂井さんの歌に支えられたという、お笑いコンビ・Wエンジンのチャンカワイさんも出演。番組の語りには、元NMB48の山本彩さんが起用され、歌詞やメモの朗読もしています。

「ZARDよ永遠なれ 坂井泉水の歌はこう生まれた」再放送

2019-05-17 23:39:35 | ZARD
http://www.entameplex.com/archives/49702

「ZARDよ永遠なれ 坂井泉水の歌はこう生まれた」再放送
2019.05.17

1991年にデビューし、「負けないで」「揺れる想い」をはじめとした大ヒット曲を世に送り出してきたZARD。

その楽曲の魅力、そしてZARDのボーカル坂井泉水がその作品に込めた想いを紐解く2時間特番が、去る4月20日にNHK BSプレミアムで放送された。初公開となった音源や直筆メモ、スタッフの証言の数々に、放送直後からSNS上でも大きな反響を呼び、トレンドに関連ワードが複数ランクイン。

その一方で、“見逃した”“もう一度観たい”“再放送して欲しい”といった反応も多く寄せられ、放送直後に異例の再放送が決定。

令和にも生きるZARD永遠のスタンダード・ナンバーの数々の魅力に改めて気付く2時間。見逃した方はぜひチェックを。

【番組概要】
NHK BSプレミアム「ZARDよ永遠なれ 坂井泉水の歌はこう生まれた」
再放送:2019年5月18日(土)14:30~16:29

坂井が日々書き続けた膨大な直筆メモを読み解き、名曲誕生の舞台裏を明らかに。初公開の音源や撮影現場の何気ない姿から見える素顔。何が人々の心を捉えたのか、迫る。「負けないで」「揺れる想い」を生み出したZARD坂井泉水。未公開音源や海外ロケの映像から知られざる素顔に迫る。

恋の告白のような文章、印象的な一行詩、坂井さんは作詞のため日々メモをつづり、人々の孤独や寂しさに優しく寄り添う名曲を生み出した。坂井泉水の歌はどう生まれ、なぜ人々の心をひきつけるのか、40年の人生を何を思い、どう生きたか。数々の名曲を聴きながら見つめる120分。

<関連サイト>
ZARD・坂井泉水がフィルム・ライブで復活
http://www.entameplex.com/archives/36323

ZARD、初の“フィルム・ライブ”予告動画が公開!
http://www.entameplex.com/archives/34550

ZARD、永久保存必至! 25周年記念ライブDVDのアートワーク公開
http://www.entameplex.com/archives/32794

坂井泉水が作品に込めた想いとは?『ZARDよ永遠なれ』が再放送決定

2019-05-17 17:17:17 | ZARD
https://www.rbbtoday.com/article/2019/05/17/169903.html

坂井泉水が作品に込めた想いとは?『ZARDよ永遠なれ』が再放送決定
2019年5月17日(金)16時13分

 4月20日にNHK BSプレミアムで放送されたZARDの2時間特番が、5月18日に再放送されることが決まった。

 1991年にデビューし、「負けないで」「揺れる想い」をはじめとした大ヒット曲を世に送り出してきたZARD。同番組では、ZARDの楽曲の魅力、そしてボーカル坂井泉水が作品に込めた想いを紐解く内容になっている。番組では、初公開となった音源や直筆メモ、スタッフの証言の数々も。前回放送の際には、SNS上でも大きな反響を呼び、トレンドに関連ワードが複数ランクインした。

 ZARD永遠のスタンダード・ナンバーの数々の魅力に改めて気付かされる特番。『ZARDよ永遠なれ 坂井泉水の歌はこう生まれた』(NHK BSプレミアム)は、5月18日午後2時30分から放送。

【平成振り返り−2007年】B’zが日本人初の快挙、初音ミクや「ハニカミ王子」石川遼に沸く

2019-05-06 13:48:35 | ZARD
https://www.walkerplus.com/trend/matome/article/188884/

【平成振り返り−2007年】B’zが日本人初の快挙、初音ミクや「ハニカミ王子」石川遼に沸く
2019年5月6日 10:00

平成を振り返る連載18回目は、B’zが、日本人初の快挙を成し遂げ、「どんだけぇ〜」や「そんなの関係ねぇ」が大ブームとなり、東国原宮崎県知事の「どけんかせんといかん」が流行語大賞を受賞した平成19年(2007年)。東京ミッドタウン、新丸の内ビルディングがオープンして、連日大賑わい。初音ミクや石川遼が、業界に新風を巻き起こした、平成19年を振り返る。

B’zが日本人初の快挙。松坂、イチローも初づくし。『ホームレス中学生』がベストセラーに
平成音楽ランキングで、堂々1位に輝いたB’zが、日本人初の快挙を成し遂げた平成19年。ロックを芸術として、その発展に大きく貢献したミュージシャンの功績を称えるHollywood's RockWalk(ハリウッド・ロック・ウォーク)に殿堂入り。日本・アジア圏のミュージシャンで、殿堂入りしたのはB’zが初で、エルヴィス・プレスリー、KISS、エアロスミスなど数々のミュージシャンと肩を並べた。


野球では、松坂大輔が念願のメジャーリーグデビュー。1年目で15勝をあげ、当時の日本人史上初の活躍を見せた。イチローが、メジャー入りの平成13年(2001年)から連続で出場していたオールスター戦で、この年史上唯一のランニングホームランを達成。日本人初のオールスター戦MVPにも選ばれ、日米のファンが沸いた。


メイクアップアーティストのIKKOの決めゼリフ「どんだけぇ〜」や、芸人の小島よしおがネタで発する「そんなの関係ねぇ」が流行語大賞・トップテン入り。漫才コンビ・麒麟の田村裕が、自身の中学生時代の極貧生活を書いた『ホームレス中学生』を出版。200万部を突破するベストセラーとなり、映画化もドラマ化も大ヒット。


埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で、気温が40.9度まで上昇。国内観測史上、最高気温が74年ぶりに更新され、気象庁が「猛暑日」を新用語として導入したこの年。たけし軍団のそのまんま東が、宮崎県知事選に立候補。「宮崎をどけんかせんといかん」と奮闘し、見事当選。本名の東国原秀夫の名で政治活動を始める。この時の「どけんかせんといかん」は流行語大賞・年間大賞に選ばれた。

東京ミッドタウン、新丸の内ビルディングが誕生。行列ができる店、激安グルメ&ショッピングに注目
江崎グリコ「ポッキー」のCMシリーズで大ブレイクを果たした新垣結衣、小栗旬や生田斗真も出演したドラマ『花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜』の主人公を好演した堀北真希、前年公開映画『LIMIT OF LOVE 海猿』の主題歌「Precious」がロングヒットとなった伊藤由奈も、『東京ウォーカー』の表紙を飾った。

六本木に「東京ミッドタウン」、丸の内に「新丸の内ビルディング」が完成。ブログの口コミやアンケートでランキング上位の穴場や楽しみ方を紹介した特集が人気を博した。また、「有楽町イトシア」「マロニエゲート銀座」のオープンで、銀座・有楽町の街も連日賑わいを見せた。

前年日本初上陸した「クリスピー・クリーム・ドーナツ」をはじめ、ラーメン、寿司、焼肉、スイーツなどで行列ができる店を総力調査。実食レポートと出口調査で本当にウマイ店を厳選した特集が話題沸騰。ラーメンでは、汁がない「あえめん(まぜそば)」が新ジャンルとして誕生。豪快に混ぜて食べるスタイルが人気を呼んだ。

グルメもショッピングも激安が大ブーム。インテリアなど生活用品は、お手頃価格でデザインも機能性もいいと、IKEAが大好評。郊外にあるイメージのアウトレットだけど、実は都心部にもありました。時には92%OFF以上の割引が出るお店もある、穴場の都心部アウトレット店の特集は注目の的に。

2007年のトレンド解説、「鈍感力」「エコバッグ」「初音ミク」「ハニカミ王子」

2007年のブームや流行語を見てみよう。

【鈍感力】作家・渡辺淳一のエッセイ本のタイトル。小泉純一郎元首相の「鈍感力が大事だ」の発言で、この本が一躍ベストセラーに。繊細できめ細かな神経が尊重される日本でも、小さなことでも動じない一種の「鈍さ」が、この世を勝ち残る術ではないかと、「鈍感」に積極的な意味づけをした。「鈍感力」は流行語大賞・トップテンに入る。

【初音ミク】コンピューターで歌声を合成するソフトウェア「ボーカル・アンドロイド」=「VOCALOID(ボーカロイド)」として登場した。発売されるとすぐ、ニコニコ動画を中心に初音ミクの動画が次々と投稿され人気沸騰。ソフトの域を超え、ひとりのキャラクターとして初音ミクがブームになっていく。

【エコバッグブーム】アニヤ・ハインドマーチが、環境破壊の要因のひとつと言われるレジ袋(プラスティック・バッグ)の代わりに、「I'm not A Plastic Bag」とロゴが入った帆布製のトートバッグを発売。世界中で、買い求める人が殺到し、一気にブームが広まった。高級ブランドのベネトンやエルメスもエコバッグを販売するほどに。

【ZARDのボーカル・坂井泉水が逝去】平成3年(1991年)「Good-bye My Loneliness」でデビューし、「負けないで」など数々のミリオンヒットを飛ばしたZARD。ボーカルの坂井泉水が、がん闘病のため入院していた病院で、スロープから転落し、二度と帰らぬ人に。治療後のアルバム制作やコンサートツアーに向けての作詞を行うなど、再始動を目指していた矢先の出来事だった。

【ハニカミ王子こと石川遼が人気】高校生になったばかりの石川遼が、マンシングウェアオープン KSBカップにアマチュア枠で出場し見事優勝。この優勝は、世界最年少優勝記録(15歳245日)として、ギネス・ワールド・レコーズに認定された。優勝インタビュー中、石川がはにかむ姿がチャーミングで、中継アナウンサーが「ハニカミ王子」と名付け、ブームを巻き起こす。この愛称は流行語大賞・年間大賞を受賞。

この年オープンした施設
「鉄道博物館」「国立新美術館」「ザ・リッツ・カールトン東京」「川崎市アートセンター」「深川アートセンター」「港北みなも」「ホテルメトロポリンタン丸の内」「ザ・ペニンシュラ東京」「新宿三丁目イーストビル」「神保町花月」「シアタークリエ」「Zeepブルーシアター六本木」など。

今なお生きる名曲の数々!伝説の音楽ユニット・ZARDの軌跡を徹底解剖!

2019-05-05 23:59:59 | ZARD
https://utaten.com/specialArticle/index/3659

【特集】今なお生きる名曲の数々!伝説の音楽ユニット・ZARDの軌跡を徹底解剖!
2019年5月5日

CM、ドラマ、映画...今なお至るところで耳にするZARDの名曲。ボーカル・坂井泉水を中心に数々の記録を打ち立て、平成の音楽シーンを彩りましたよね。ZARDが遺した功績はあまりにも大きく、今なお多方面で高い評価を受ける、その魅力に迫ります。 ZARDと言えば、カラオケなどでも良く歌われており、若い世代にも親しまれていますよね。一方で、メディアに登場することは少なく神秘的なイメージもあります。ZARDがこれほどまでに愛される理由とは何なのか、詳しく見て行きましょう!

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音楽ユニット・ZARDとしての歩み

ZARDはボーカル・坂井泉水を中心としたポップ・ユニット。グループ名「ZARD」は、「Z」から始まることでハードな印象を与えられるという意図のもと誕生した造語。

1991年のメジャーデビュー以降、坂井泉水の透明感ある歌声とさわやかなメロディーが幅広い世代から支持を集め、日本の音楽シーンのトップに登り詰めます。

また、当初のZARDはユニットで活躍しており、1993年1月発売の『負けないで』が大ヒットを記録。翌2月の「ミュージックステーション」でも披露し、のちに学校の教科書にも掲載されるなど、日本人なら誰もが知る名曲となります。

しかし、音楽ユニット・ZARDとしてのTV出演はこれが最後となります。同年には、坂井泉水を残し、全メンバーが脱退。以降は坂井泉水がZARDの名を受け継ぎ、ソロ活動を行うこととなります。

止まらぬ快進撃も坂井泉水の死により突然の終焉

ソロ活動に移行したZARDでしたが、その勢いは留まるところを知らず、『揺れる想い』『マイフレンド』と、ヒット曲を連発。

もはやZARDには名曲しか存在しないと言われるまでになり、1997年のアルバム『ZARD BLEND 〜SUN&STONE〜』では、ダブルミリオンを達成するなど、数々の記録を打ち立てます。

さらに1998年には、『運命のルーレット廻して』がアニメ「名探偵コナン」のOPソングに起用されたのをきっかけに、その後は継続的に同作品とのタイアップを果たしていきます。

同時に、ZARDと同じくビーイングに所属するアーティスト達も次々と起用されました。そんな中、名探偵コナンの劇場版「戦慄の楽譜」の主題歌に起用された「翼を広げて」が、数々の調査で最も好きなコナンの曲に輝くなど、ファンの間では、いまだに「コナン=ZARD」のイメージが強いのは有名な話。

この『翼を広げて』に代表されるように、ソロ活動移行後もZARDの耳馴染みやすいメロディーが若い世代から、そしてストレートな歌詞が大人を中心に支持を集めました。

2000年代に入っても、ヒット曲を連発するZARDでしたが、2006年6月、体調不良を訴えていた坂井泉水がガンであることを公表。翌2007年5月には不慮の事故により坂井泉水が急逝したことで、ZARDの活動は幕を下ろすことになります。

受け継がれ続けるZARDの音楽

坂井泉水の急死により、事実上消滅した形となったZARD。

しかし、その音楽は、いまだにCMやドラマなどに起用され続けています。また、駅メロや学校の教科書にも採用されるなど、今でもZARDの音楽は身近なところに溢れていますよね。

また、毎年のように大規模な追悼イベントも開催され、若者からお年寄りまで、いまだに多くの日本人の心に刻まれ続けています。

心は正直!別れても好きなアノ人を想って聴きたい失恋ソング3選

“あんなに好きだったのに、なんで別れたんだろう...”

昔の恋人がどうしても忘れられない、そんな経験、誰にでもあるのではないでしょうか。
忘れたいのに、忘れられない...やっぱり、まだあの人のことが好きかもしれない...心は正直者、嘘はつけませんよね。

そんな時、大好きだった人との時間を懐かしみながら、あなたにそっと寄り添ってくれるZARDの名曲を紹介します。

「負けないで」
1993年に発売されたZARDの6枚目のシングル。

教科書にも掲載され、教育の場でも扱われる名曲中の名曲。また、背中を押してくれるフレーズが多く、日本で最も有名な応援ソングと言っても過言ではないかもしれません。

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ふとした瞬間に 視線がぶつかる
幸運のときめき 覚えているでしょ
パステルカラーの季節に恋した
あの日のように 輝いてる
あなたでいてね
負けないで もう少し
最後まで 走り抜けて
どんなに 離れてても
心は そばにいるわ
追いかけて 遥かな夢を
≪負けないで 歌詞より抜粋≫
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この曲を発表したのちに、「失恋相手への思いが込められた曲」であることが明かされますが、全体的に難しい表現が少なく、特に女性がイメージしやすい歌詞となっています

始まりの「ふとした瞬間に 視線がぶつかる」という表現は、男性にはピンとこない女性特有の表現。また、「あなたでいてね」「そばにいるわ」「追いかけてね」など、女性なら誰しもが言ってみたいセリフが至るところに散りばめられているのも特徴です。

このように、別れてもなお、相手のことを思い続けられるのは、女性特有の心情なのかもしれません。男性目線では書けない、今なお思い続ける"アノ人"への応援歌となっています。

「明日を夢見て」

2004年に発売されたZARDの35枚目のシングル。

人気アニメ「名探偵コナン」のEDに起用されたことで、一躍人気になりました。

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夢のように 選びながら
この毎日を 生きていけたなら
もしも あの時 違う決断をしていたら
今頃 私達 幸せに笑っていられたのかな
≪明日を夢見て 歌詞より抜粋≫
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「もしもあの時」というフレーズから、昔を振り返っている歌詞であることが分かります。また、今は別々の道を歩いている相手を思う姿が見えてきますよね。

さらに「今頃私達...」という表現からは、結婚していた可能性を示唆しています。

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二人の冷めた誤解 溶かしたい
信じていたいよ 寄り道もしたけど
明日を夢見て この想い
時々 切なくて 押しつぶされそうになるけど
明日を夢見て 君のこと
見つめていたいよ
また僅かに 木漏れ日が揺れるから
≪明日を夢見て 歌詞より抜粋≫
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こちらの歌詞では、より切なさが強調され、「明日を夢見て...」という表現からは、別れてもなお抱き続ける相手への思いが存分に伝わってきます。

同時に、「まだ僅かに 木漏れ日が...」という表現からは、関係修復に希望を持っている主人公の心情が伝わりますよね。

明日を夢見ていれば、いつかきっと...。

諦めなければ希望は決して消えないことを強く抱かせてくれる曲です。

「星のかがやきよ」

2005年に発売されたZARDの40枚目のシングル曲。

坂井泉水本人が、「童謡のような曲にしたかった」との思いで手掛けた作品で、本人の存命中に「名探偵コナン」とタイアップした最後の曲としても知られています。

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そう 出逢った瞬間に 同じ臭を感じた
そう 思いがいっぱい いっぱい 同じ瞳をしていた
君の発していたシグナルに セオリーをぶち壊して
だけど この念いは いつも届かなくて
≪星のかがやきよ 歌詞より抜粋≫
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主人公が出会った時に感じたのは「同じ光」ではなく「同じ臭(ひかり)」だった。

おそらく出会った瞬間に、自分と同じタイプであることを悟ったが故の表現なのでしょう。また、「臭(ひかり)」とすることで、実際に体で感じたことをより具体的に伝えています。

そんな運命の相手なのに、私の気持ちは届かない...何とも切ない歌詞です。

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星のかがやきよ ずっと僕らを照らして
失くしたくない少年の日の夢よ…
いつか この町が変わっていっても
君だけは変わらないでいて欲しい
≪星のかがやきよ 歌詞より抜粋≫
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町は移ろいゆくけど、“君だけは変わらないで...出会った時のままでいて欲しい”。

永遠は無い...けど、“君だけは変わってほしくない”、という現実と理想の狭間で揺れる心理描写が印象的です。


"平成最高の音楽ユニット"は来たる時代でも不変不滅
今回は伝説の音楽ユニット・ZARDを紹介してきましたがいかがでしたか?

今年の1月に放送された「Mステ」では、最新技術により復活した坂井泉水と倉木麻衣による"奇跡のデュエット"が大きな話題になりましたよね。

さらに、4月にもNHKBSプレミアムにて特番「ZARDよ永遠なれ 坂井泉水の歌はこう生まれた」が放送されるなど、今なお日本人の中には"ZARDが存在"しています。

"平成最高の音楽ユニット"・ZARD。来たる新時代でも、変わらず多くの人から愛されるでしょう。

ZARD Profile

ZARD
坂井泉水を中心としたユニット名。
6才からピアノを始める。大学卒業後、モデルエージェンシーに所属し活動。その後、音楽プロデューサー・長戸大幸と出会い、アーティストとして才能を見出されZARDを結成する。
1991年2月10日「Good-bye My Loneliness」でデビュー。現在までに45枚のシングル、21枚のアルバムを発表。シングル売り上げ1773.3万枚、アルバム売り上げ1990.0万枚を誇り、シングルTOP10入り通算43作品(女性ボーカルグループ 歴代4位)、アルバム連続ミリオン獲得数 9作連続 (歴代1位)、アルバム1位獲得作品数11作(女性ボーカルグループ 歴代2位)の記録をもつ。(オリコン調べ)
自身の作詞活動以外にも、他アーティストへの作詞提供多数(ミリオンセラー作品多数)。
2007年5月27日の坂井泉水逝去後も、彼女の作品に励まされたという感謝の声、詞・歌声・言葉に対する惜しみない賞讃の声が止むこと無く寄せられている。

<受賞>
■第6回日本ゴールドディスクグランプリ
 THE BEST 5 NEW ARTIST OF THE YEAR
■第8回日本ゴールドディスクグランプリ
 THE BEST5 ARTIST OF THE YEAR
■第8回日本ゴールドディスクグランプリ
 BEST SINGLE OF THE YEAR「負けないで」
■第8回日本ゴールドディスク大賞
 アルバム賞ロック・フォーク部門(女性) 「揺れる想い」
■第9回日本ゴールドディスク大賞
 アルバム賞ロック・フォーク部門(女性) 『OH MY LOVE』
■第12回日本ゴールドディスク大賞
 アルバム賞ロック・フォーク部門(女性) 『ZARD BLEND ~SUN & STONE~』
■第14回日本ゴールドディスク大賞
 ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー『永遠』
■第14回日本ゴールドディスク大賞
 ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー『ZARD BEST The Single Collection ~軌跡~』
■第14回日本ゴールドディスク大賞
 ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー『ZARD BEST ~Request Memorial~』
<オリコン記録> 
■アーティスト・トータル・セールス(シングル+アルバムの総売上枚数) : 3,763.3万枚(歴代10位)
 ○シングル : 1773.3万枚(女性ボーカルアーティスト歴代3位)
 ○アルバム : 1990.0万枚(女性ボーカルアーティスト歴代5位)
■90年代アーティスト・トータル・セールス : 3位(女性ボーカルアーティスト2位)
■アルバムミリオン獲得数 : 9作(歴代5位)
■アルバム連続ミリオン獲得数 : 9作(歴代1位)
( 『HOLD ME』~『ZARD BEST ~Request Memorial~』)
■アルバム1位獲得数 : 11作 (女性ボーカルグループ2位)
■シングル1位獲得数 : 12作 (女性ボーカルアーティスト歴代9位タイ)
■シングルTOP10獲得数 : 43作(女性ボーカルグループ歴代4位)
※2019/3/6付現在[オリコン調べ]
ZARD OFFICIAL facebook https://www.facebook.com/ZARD25thAnniversary/
ZARD OFFICIAL WEBSITE  http://www.wezard.net/