第5期WANDSが「名探偵コナン」新OPを担当、EDは坂井泉水の未公開詞の新曲

2019-10-27 23:49:04 | ZARD
https://natalie.mu/music/news/357105

第5期WANDSが「名探偵コナン」新OPを担当、EDは坂井泉水の未公開詞の新曲
2019年11月27日 0:00

日本テレビ系でオンエア中のアニメ「名探偵コナン」の新しいオープニングテーマをWANDSが、エンディングテーマをSARD UNDERGROUNDが担当することが発表された。

11月17日に復活ライブを行い、第5期の活動をスタートさせたWANDSが「名探偵コナン」に提供するのは、復活ライブで1曲目に披露された新曲の「真っ赤なLip」。この楽曲は2020年1月29日にシングルリリースされることが決まっている。

一方のエンディングテーマは、ZARDのトリビュートバンドであるSARD UNDERGROUNDが歌う「少しづつ 少しづつ」に決定。この曲は坂井泉水(ZARD)の未公開の詞から制作されたミディアムバラードで、SARD UNDERGROUNDにとっては初のオリジナル楽曲となっている。「少しづつ 少しづつ」は、2月10日にシングルリリースされる。

WANDS、SARD UNDERGROUNDによる新テーマ曲は、2020年1月4日(土)の放送からオンエアされる。

WANDS コメント
WANDS再始動にあたり「名探偵コナン」のお話をいただきメンバー一同、どういった作品にするか非常に悩みました。名探偵コナンと、新しく始まるWANDSのイメージを照らし合わせ数曲作成し、選ばれたのが今回の「真っ赤な Lip」です。次々と展開し進んでいく曲の進行が、コナン君が難解な事件を解決していく姿にぴったりかなと。歌詞は、新一君や蘭ちゃんには少し大人すぎかもしれませんが。「名探偵コナン」が始まった頃から、アニメも映画も見ているメンバーもいますので、その辺りの詳しい話はまたの機会にお話しさせてください!

SARD UNDERGROUND 神野友亜(Vo)コメント
「名探偵コナン」は小さい頃からよく見ていたアニメで、しかも、ZARDさんのコナンのテーマソングもよく聞いていたので、エンディングテーマをやらせて頂けるなんて、夢のような話です。「少しづつ 少しづつ」はZARDの坂井泉水さんの未公開詞によって完成した曲で、初めて歌詞・メロディーを聴いた時、言葉に出来ない感情が込み上げて、震えました。この曲が完成したことも、コナンファンの方々に聴いて頂けるのも本当にとても嬉しいです。

十三回忌を迎えたZARD坂井泉水を特集、貴重映像も『直撃!シンソウ坂上SP』10・17放送

2019-10-18 03:25:30 | ZARD
https://www.tvlife.jp/entame/244784

十三回忌を迎えたZARD坂井泉水を特集、貴重映像も『直撃!シンソウ坂上SP』10・17放送

 10月17日(木)放送の『直撃!シンソウ坂上SP』(フジテレビ家)は、芥川賞作家にして元・東京都知事の石原慎太郎と、昭和を代表する大スター・石原裕次郎を輩出した日本屈指の名家・石原家、そして40歳という若さで早世したZARDのボーカリスト・坂井泉水を特集する。スタジオゲストとして、高良健吾、小峠英二(バイきんぐ)、松嶋尚美が出演する。

 番組MCの坂上忍は、父に石原慎太郎、叔父に石原裕次郎を持つ石原良純の元を訪ねる。まず、良純から明かされたのは独特すぎる「石原家3つの家訓」。1つ目は「朝は絶対に物音を立てるな!」。石原家では父・慎太郎の睡眠が何よりも優先され、少しでも騒ぐとすぐに母・典子さんに叱られたという。

 2つ目は「朝食は3種類、用意せよ!」。典子さんは慎太郎のために、毎朝ご飯、パン、麺類の3種類を準備。慎太郎が自分の体調に合わせて、メニューを決めていたという。番組では、そんな慎太郎の食事の様子をとらえた貴重なプライベート映像や、典子さんへのインタビュー映像を公開する。

 3つ目は「子供とは夕食を食べない!」。石原家の夕食は完全2部制。騒がしい子供たちと一緒に食べたくないと、まず典子さんや子供たちが食事し、その後、慎太郎が1人で食事したという。

 そんな独特な石原家における、父・慎太郎と母・典子さんとの意外な関係性を良純が語る。また、特殊な家庭環境で育った良純は、幼少期から不眠症に悩まされていたことをテレビ初告白。良純が不眠症を患った原因とは。

 慎太郎の父・潔さんは、慎太郎と裕次郎がまだ10代の頃に若くして急死。突然、一家の大黒柱を失った石原家は経済的に困窮、裕次郎は失意に暮れた。こうした状況の中、慎太郎は一橋大学在学中に小説「太陽の季節」で芥川賞を受賞。この小説が映画化される際に俳優を夢見ていた裕次郎を出演させた。

 この出演を皮切りに、裕次郎は主演した映画「嵐を呼ぶ男」(1957年)が空前の大ヒットを記録するなど、スターへの階段を一気に駆け上がっていく。慎太郎が都知事選に出馬した際、裕次郎は俳優デビューのきっかけを作ってくれた兄への恩返しとして、多忙にもかかわらず長期間にわたって応援演説を行い、強い兄弟の絆を示した。番組では慎太郎と裕次郎が1度だけテレビでデュエットを披露した映像を公開する。

 1987年、惜しまれつつも52歳の若さでこの世を去った裕次郎。彼は死の直前、ハワイで闘病生活を送った。この時、良純は家族を代表して1人で、叔父を見舞っていた。良純が目にしたのは、体力が衰え弱り切った叔父・裕次郎。良純は、この時の裕次郎とのエピソードを詳細に語る。

 さらに、良純と、神田正輝、徳重聡の鼎談も実現。3人は、闘病中の裕次郎の様子や、裕次郎亡き後の石原軍団、そして渡哲也とのエピソードなどを語り合う。また、良純は坂上との対談の中で、父・慎太郎との現在の関係性についても明かす。

 シングル45作品、オリジナルアルバム11作品、総楽曲数約150曲を発表した伝説のバンド・ZARD。そのボーカリスト・坂井泉水が40歳の若さで早世してから今年で12年。番組では「負けないで」などZARDの数々の名曲でバックコーラスを務めていた大黒摩季や、ZARDのミュージックビデオの監督を務めた映画監督の岩井俊二をはじめとした関係者を徹底取材。そして、めったに公に姿を見せなかったため、「存在しないのではないか」という都市伝説まで生まれた坂井のレコーディングの際のオフショットなど貴重な映像の数々を公開する。

 さらに、坂井が残した500枚にもわたる直筆メモなどを入手し、アーティストとしてのこだわりを紹介しながら坂井の生涯を振り返っていく。大黒や岩井が見た、素顔の坂井とは。晩年は病に苦しんだ坂井と同じく、自身も婦人科系の病を患った大黒が涙で語った坂井のエピソードや、闘病中も歌い続けた坂井の秘話とは?そして、坂井の最期に立ち会った関係者が明かす、坂井の死の真相とは。

『直撃!シンソウ坂上 SP』
フジテレビ系
10月17日(木)後7時57分~9時54分

<出演者>
MC:坂上忍
VTR出演:石原良純、神田正輝、徳重聡、坂井泉水(ZARD)、大黒摩季、岩井俊二 他
スタジオゲスト:高良健吾、小峠英二(バイきんぐ)、松嶋尚美

公式HP:https://www.fujitv.co.jp/shinsou/
公式Twitter:@ss_fujitv

©フジテレビ

なぜ、歌い継がれているのか? ZARD・坂井泉水の直筆メモにみる歌詞への想い

2019-10-18 03:20:47 | ZARD
https://www.fnn.jp/posts/00048574HDK/201910172200_shinsousakagami_HDK

なぜ、歌い継がれているのか? ZARD・坂井泉水の直筆メモにみる歌詞への想い
2019年10月17日 木曜 午後10:00

シングル45作品、オリジナルアルバム11作品、残した曲はおよそ150曲。CDの総売り上げは3764万枚を記録した、伝説のバンド「ZARD」の坂井泉水さん。

突然の死から12年、彼女が書いた500枚ものメモの存在が明らかになった。

10月17日放送の「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系)では、そのメモに綴られた彼女の思いや、ZARDのバックコーラスを務めていた盟友・大黒摩季さんが今まで語ることのなかった坂井さんの素顔を明かした。

実は“天然ちゃん”で愉快な子

坂井さんがZARDのボーカリストとしてデビューは、なんとも意外なきっかけだった。

坂井さんはアニメ「ちびまる子ちゃん」の主題歌で知られるB.B.クィーンズのコーラスのオーディションにやってきていたのだ。

デビューから多くの作品でZARDのレコーディング・ディレクターを務めた寺尾広さんは当時の印象を「あまりしゃべらない、おとなしい感じの方でした。歌えるかな?と思ったんです」と語るが、「スタジオに入って歌ってもらったら、すごくよく通る声で男性のロックボーカリストと変わらない響きがあった」と話した。

このオーディションでは受からなかったが、その声が注目され、ソロデビューのチャンスを手に入れた坂井さんは、1991年に『Good-bye My Loneliness』でデビューを果たす。

そしてこの曲のバックコーラスとして参加したのが、坂井さんの2歳年下で、当時は全くの無名だった大黒摩季さん。「私は年下だし、バックコーラスの一番ペーペーだったんですけど、そんな私にも挨拶に来てくれました。すっごく丁寧で、品があって、キラキラしてたのを覚えています」と振り返った。

さらに、このデビュー曲のミュージックビデオを撮影したのが、後に映画『Love Letter』(1995年)や『スワロウテイル』(1996年)などを大ヒットさせた映画監督の岩井俊二さんだ。

坂井さんについて岩井さんは「初めてお会いした時はクールな感じで、ルックスがきれいだからそういうふうにしか見えないんですけど、実際は“天然ちゃん”で愉快な子でした」と明かした。「すごく好奇心旺盛な子で、撮影中も『これ何ですか?』って聞いてきた。撮影時に使っていたカポックという発泡スチロールの板にも『あれは何だ?』って。『“カポック”と言って照明に使うんだよ』って教えたんだけど、次の撮影の時に『監督、うそつきましたね』とか言ってきて。魚屋さんで発泡スチロールの箱を見つけて、『これ、カポックだよね?』と質問したら『発泡スチロールだ』と答えられたと言ってきた。『発泡スチロールでできた照明道具をカポックって言うんだよ』って説明してもなかなか信用してもらえなかった」と、坂井さんの天然ぶりが分かるエピソードを語ってくれた。

歌い継がれるワケは「絶妙な言葉選び」

1993年にはZARDが大ブレイクする『負けないで』が発売され、164.5万枚の売り上げを記録し、自身初のオリコン1位を獲得。

この曲が脚光を浴びたきっかけは、ドラマ『白鳥麗子でございます!』の主題歌に採用されたこと。

今でもZARDの名曲が歌い継がれているのは、坂井さんの絶妙な言葉選びにあると指摘する人も多い。彼女がレコーディングで使った自筆の歌詞には「最後まであきらめないで」を「最後まで走り抜けて」に変更するなど、一言一言にこだわって歌詞を直した跡が見受けられる。

歌詞に対して強い思いを抱いていた坂井さんは、生涯リリースしたほとんどの楽曲を作詞。その裏で、坂井さんは意外な努力をしていたことを寺尾さんは明かした。

「“みんなに支持されているものは知っておいた方がいい”ということで、松任谷由実さんと中島みゆきさんの歌詞を全部覚えていました。ユーミンの歌詞は“自分で決めて次の人生を探していく”、中島さんは“男性に委ねる”イメージがあって、(坂井さんの歌詞は)最終的にユーミンと中島さんの間の絶妙なポジションになりました」

そして、そのひたむきな努力があの名曲『揺れる想い』(1993年)を生み出した。発売から26年経った今も歌い継がれCM曲に使われるほどの名曲だ。



大黒さんはこの名曲について「『揺れる想い』という歌詞を乗せるまでに、彼女はメロディーを何百回も聞いているんです。私は『それくらい言葉を選びなさい』と怒られたことあります」と、坂井さんの歌詞に対するこだわりが垣間見えるエピソードを語った。

10枚目のシングル『きっと忘れない』(1993年)もオリコン1位を獲得し、この1993年の一年間だけで合計801.5万枚を売り上げるなど、トップアーティストの仲間入りを果たした。

不運が襲ってもその心情を歌詞に

その一方で、坂井さんはコンサートや歌番組に出演することがなかったため、「本当は存在しないのでは?」と都市伝説が流れるほど、ミステリアスな存在に。

しかし、デビューから最後までZARDのレコーディング・エンジニアを務めた島田勝弘さんは、坂井さんの素顔を「結構話し好きなので、スタジオに来るとずっと話していました。そっちに夢中になって、歌入れ前に疲れちゃうことがよくありましたね」と話した。

デビューからジャケット写真などデザイン全般を担当したアートディレクターの鈴木謙一さんも「写真のイメージとは違い、気さくに、積極的に話をする方。盛り上げようとか、その場の空気を和ませようという人です」と振り返る。

快進撃を続けるZARDは、アニメ『SLAM DUNK』のエンディングテーマにも起用された『マイ フレンド』(1996年)で3回目のミリオンセラーを記録する。

こうしてミリオンセラーを連発し、国民的トップアーティストとなった坂井さんだが、ブレイクしたがゆえの不運を彼女が襲う。それは、坂井さんがデビュー前にレースクイーンをしていた過去について暴かれたり、事実ではない中傷記事が雑誌に書かれるなどしたのだ。

しかし、彼女はその時の心情ですら歌へと変えてしまう。自分の過去を隠すのではなく、肯定する気持ちで書いた曲が『Forever you』(1995年)。

この曲の裏に隠された坂井さんの思いを寺尾さんはこう語る。「確かに坂井さんはZARDになる前に、水着やグラビアの仕事をしていましたが、坂井さんは『それはそれで事実だし、タレント時代に担当してくださった方がちゃんと仕事として持ってきてくれたものなのだから感謝して、それを受け入れてやっていた。それがZARDにつながって今の私があるのだから後悔していない』と言っていた」。

病に侵されても…

だが、90年代にトップアーティストとして走り続けてきた彼女は、2001年に突如、活動を休止することになる。

当時、坂井さんは子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症と同時に3つの病に侵されていた。しかし、彼女はほとんどのスタッフに病気を隠したまま、1年半の闘病生活を送ったという。

同様に婦人科系の病に苦しんだという大黒さんは、当時の坂井さんの心境を「社長やプロデューサーにもスタッフにも分からない。私も病気をしたので、『痛い』って誰にも言えなくて。でも、ディレクターやエンジニアには分かってしまうんです。声が変だって。それでも挑んで高音を出しても、全部分かっちゃうから。でもこの病気の苦しみは女にしか分からないじゃないですか。彼女が不安だったり、苦しい時に私の所にこそっと来たのは、今思うと“歌いたかった”という気持ちだったんだろうなって思う」と振り返った。

そして、2003年に活動を再開した坂井さん。それまで公の場にほとんど出なかったが、そこで最初に挑戦した大きな仕事がデビューして初めてとなる全国ツアーだった。

“これまで自分を支えてくれていたファンのため”に、自分の歌う姿を見せることにしたのだ。こうして、坂井さんは何度も体調を崩しながらも、全国11公演を歌い上げた。

しかし、2006年、坂井さんは子宮頸がんと診断され、9時間にも及ぶ手術を行い、3ヵ月の入院生活を送ることになる。

その闘病中、苦しい体をひきずって1曲だけレコーディングした曲があった。その曲は『グロリアス マインド』。その時のレコーディングの様子が、今年の10月24日に出版されるオフィシャルドキュメントブック『永遠 ~君と僕との間に~』(幻冬舎)に記されている。


曲は「グロリアス マインド」。
タイアップの話があったため、
病を押してでも、サビだけは録音する必要があったのだ。
母親に付き添われてスタジオに現れた坂井は、
一人で立つことも苦しい状態。

オフィシャルドキュメントブック 『永遠 ~君と僕との間に~』(幻冬舎)より


島田さんは「お母さんに付き添われてスタジオに来たんですけど、いつもの元気なハキハキというか明るいイメージとはちょっと違いました。あまり時間掛けていないんですよ。2回か3回だったかもしれない。ピンと糸が張った感じが伝わってきました」と、その時のレコーディングの様子を明かした。

人生最後となるレコーディングを終えた坂井さんの様子も、このオフィシャルドキュメントブックに綴られている。


「お母さん、私、どうだった?」
スタジオからの帰路、坂井は母親に訊ねた。
「大丈夫だったよ。
 具合が悪いようにはまったく聴こえなかった」
母親は素直な感想を述べたという。
「私もやるときはやるのよ。やればできるのよ」
坂井は笑顔を見せた。

オフィシャルドキュメントブック 『永遠 ~君と僕との間に~』(幻冬舎)より


「自殺ではないか」の憶測に…

その後、がんは肺にも転移し、坂井さんは再入院。そして2007年5月27日。入院先の病院のスロープから転落、倒れているところを発見された。

当時、連絡を受けて病院へと駆けつけた島田さんは「最後は手を握ってお別れしました。その時はもう意識はなかったので…」と振り返る。

鈴木さんも「ご家族の方がいらっしゃって、僕らはスタッフ何人かで病室に入れてもらって、まだ温かかったというか寝ているような表情をされていました」と話した。

その衝撃的な状況から坂井さんの死は、当時自殺ではないかとの憶測まで流れた。

だが、最後の場面に立ち会った島田さんは「自殺したのではないかという噂がありますが、僕の中ではありえないと思います。というのは、2007年1月に連絡を頂いているんです。次のレコーディングに向けて準備をしているという話で。前向きな様子だったので(自殺は)ありえないと思う」とした。鈴木さんも「病室へ行ったときに、とにかく早く治して復帰したいと。そういったモチベーションが溢れていたので、僕が知っている坂井さんは死を選ぶことはないと思います」と語った。

坂井さんが転落した場所は、実は高さわずか3メートル。ZARDの生みの親であり、音楽プロデューサーの長戸大幸さんは、オフィシャルドキュメントブックにこうコメントを残している。


「僕は転落したという現場を見ています。自死に選ぶような場所ではありません。それほど高さも無いですし。地面も芝生でした。不運だったのは、彼女が転落した場所だけが、わずか30センチ四方くらいの金属製の排水溝の蓋だったことです。硬い場所で頭を打ってしまいました。数日前に電話で話したときにレコーディングを楽しみにしていたあの様子からも、やはり転落事故だったとしか思えません。残念です」(長戸)

オフィシャルドキュメントブック 『永遠 ~君と僕との間に~』(幻冬舎)より


坂井さんの訃報を、デビュー15周年のライブを終えた直後に知らされたという大黒さんは「全部…動けなくなりました。代わってやりたいと思いました。私が死んだって誰も何も思わないかもしれないけど、きっと泉水ちゃんは世の中に必要だ、と思って。私の歌は女子の一時の気持ちを一緒に発散する歌だけど、泉水ちゃんのような歌の人は生きていなきゃいけないって思ったから。本当に代わってやりたかったです」と打ち明けた。

坂井さんの死から12年。今年13回忌となる命日には、かつての所属事務所に多くのファンが訪れ堺さんを偲んだ。坂井さんの思いを込めた歌詞と歌声は、“永遠”に人々の心に響き続ける。

(「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54)

大黒摩季が涙で明かす“盟友”ZARD坂井泉水さんの死 「私が代わりたかった」

2019-10-18 02:33:52 | ZARD
https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12278-439081/

大黒摩季が涙で明かす“盟友”ZARD坂井泉水さんの死 「私が代わりたかった」
2019年10月17日 23時01分

 歌手の大黒摩季(49)が17日放送のフジテレビ「直撃!シンソウ坂上SP」(木曜後7・57)に出演、12年前、40歳の若さで早世したZARDの坂井泉水さんについて「泉ちゃんは世の中に必要な人。私が代わってあげたかった」と、盟友の訃報を聞いたときの心境を語り、涙を流した。

 この日の「シンソウ坂上」はZARDのボーカリスト、坂井泉水さんを特集した。

 大黒は、坂井さんのデビュー曲「Good-bye My Loneliness」などでバックコーラスを務めた仲。

 初対面のとき、坂井さんは2歳年下の大黒に「すっごい丁寧に」あいさつしてきたという。大黒は「私なんか一番ペーペーなのに…。品があって、キラキラしていたのを覚えている」と振り返った。

 坂井さんがボーカルを務めたZARDは「負けないで」「揺れる想い」「マイフレンド」など立て続けにミリオンヒットを連発、トップアーティストとして成長していく。

 だが、坂井さんは事務所の方針もあってテレビの歌番組にもコンサートにも滅多に登場せず、「存在しないのではないか」という“都市伝説”まで生まれた。

 芸能メディアはベールに包まれた歌姫の素顔をスクープしようと躍起になっていた。その当時のちょっとしたエピソードを大黒が打ち明けた。

 「ヘアピン、忘れちゃった」と、あるとき、坂井さんが小声で話しかけてきた。「ねえ、一緒に買いに行ってくれる?」。大黒は「それなら私がちゃっと買ってくる…」と言ったが、坂井は「一緒に行こうよ」と誘ってくる。

 大黒は「葛藤した」という。どこにメディアの取材陣が潜んでいるかわからない。「外に出かけて(もしメディアに見つかったら)怒られるのは私。撮られたら大変だ。でも絶対行きたいって…小悪魔っぽい顔するんですよ」と懐かしそうに振り返った。

 坂井さんは晩年、子宮頸がんなど病に苦しめられた。自身も婦人科系の病を患った大黒は「誰にも痛いって言えない。それでもレコードディングに挑んで(病気の影響で出にくい)高音を出して…。その彼女が苦しいときに私のところにこそっと来た。歌いたかったんだろうな」と坂井さんの辛さを感じていた。

 2007年5月、坂井さんは入院先で不慮の転落死を遂げた。大黒が訃報を聞いたのは、デビュー15周年ライブが終わった直後だった。

 「本当に口が聞けなかった。体が動かなくなった」とあまりの衝撃にぼう然となった。

 そして「代わってあげたいと思いましたね。私が死んだってだれも何とも思わない。泉水ちゃんは世の中に必要な人。私の歌は女子の一時の気持ちを発散させるだけ。泉水ちゃんみたいな歌の人は生きていないと…。代わってやりたかった」と悲痛な思いを語り、涙が止まらなかった。

「直撃!シンソウ坂上」ZARD坂井泉水を特集、大黒摩季や岩井俊二ら素顔語る

2019-10-17 14:26:36 | ZARD
https://natalie.mu/music/news/351762

「直撃!シンソウ坂上」ZARD坂井泉水を特集、大黒摩季や岩井俊二ら素顔語る
2019年10月17日 7:00

本日10月17日(木)放送のフジテレビ「直撃!シンソウ坂上 SP」にて、坂井泉水(ZARD)が特集される。

番組では「負けないで」をはじめ数々の楽曲でバックコーラスを務めていた大黒摩季、ミュージックビデオを手がけたことのある映画監督・岩井俊二など、ZARDとゆかりのある人物たちに取材。レコーディング時のオフショット、およそ500枚にわたる直筆メモなど貴重な資料を交え、めったに公に姿を見せなかった坂井の素顔や生涯に迫る。

このほか番組では石原慎太郎と石原裕次郎を輩出した日本屈指の名家・石原家の“真実”を、石原良純ら関係者のインタビューを通して紹介する。

ZARD坂井泉水さん、アーティストとしてのこだわりとは .

2019-10-17 10:40:59 | ZARD
https://news.mynavi.jp/article/20191017-910626/

ZARD坂井泉水さん、アーティストとしてのこだわりとは
2019/10/17 07:00

きょう17日に放送されるフジテレビ系番組『直撃!シンソウ坂上 SP』(19:57~21:54)では、2007年に亡くなったZARDの坂井泉水さんを特集する。

シングル45作品、オリジナルアルバム11作品、総楽曲数約150曲を発表した伝説のバンド・ZARD。そのボーカリストである坂井さんが40歳の若さで亡くなってから、今年で12年になる。

今回番組では、「負けないで」などZARDの数々の名曲でバックコーラスを務めていた大黒摩季や、ZARDのミュージックビデオの監督を務めた映画監督の岩井俊二氏をはじめとした関係者を徹底取材。そして、めったに公に姿を見せなかったため、「存在しないのではないか」という都市伝説まで生まれた坂井のレコーディングの際のオフショットなど、貴重な映像の数々を公開する。

さらに、坂井さんが残した500枚にもわたる直筆メモなどを入手し、アーティストとしてのこだわりを紹介しながらその生涯を振り返っていく。大黒や岩井氏が見た、素顔の坂井さんとは。

晩年は病に苦しんだ坂井さんと同じく、自身も婦人科系の病を患った大黒が涙で語った坂井さんのエピソードや、闘病中も歌い続けた坂井さんの秘話とは。そして、坂井さんの最期に立ち会った関係者が明かす、坂井さんの死の真相が明かされる。

C)フジテレビ

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