もしかしたら40年前にこの番組の放送を見たかもしれない・・
NHK特集「さらば日劇~青春の街角の半世紀~」 NHKBSプレミアム 6月15日(火)を見ました。
ジュリーはかつてウエスタンカーニバルで人気を博したザ・タイガースの一員として、サヨナラ日劇の舞台に登場。「君だけに愛を」を歌う姿が流れました。
10年ぶりに再結成された、ザ・タイガース。そこにはピーの姿は有りません。
久しぶりにザ・タイガースの一員として、ステージ上で目をかわすジュリーとサリー
1981年、すでに押しも押されぬスーパースターとして日本中から認められ、誰よりも大きな存在感と輝きを放つジュリー。そのジュリーが、解散後10年ぶりのザ・タイガースの一員として、自分たちをスターの座に押し上げた、特別な場所である最後の日劇の舞台で興奮し、昂ぶり、感極まっている姿がTV画面に映し出されました。
ジュリーとザ・タイガースの映像は途中からのたった1曲。だけど、ジュリーが舞台で飛び跳ね、観客を何度も指さすしぐさと歌声に、万感の思いがこめられているのが、有りありと伝わってくる「君だけに愛を」でした。
最後に深々とお辞儀をしたジュリー、「サヨナラ日劇」の舞台を心から楽しみ、観客と日劇の双方に深く感謝したに違いありません。
ウエスタンカーニバルの看板には、ショーケンの名前も。でもテンプターズとしての出演は無し。
番組では、昭和4年に日劇を作る構想が出て・・と語られて、亡くなった母の産まれ年と同じだと懐かしく感じ、昭和8年に開場するも、時代は戦時色が濃くなっていく。日本の昭和初期からの興亡の日々と、芸能史の変遷を見てきた日劇。
日劇ダンシングチーム、ウエスタンカーニバル
笠置シズ子、トニー谷、李香蘭(山口淑子)、父がよく口ずさんでいた灰田勝彦など、私も知っている芸能界のレジェンド達の映像が多数写し出されました。
ロカビリーブーム時代、女性ファンが舞台上で大騒ぎの、我を忘れたあまりの熱狂ぶりには呆れるほどでした。画像の山下敬二郎さんはすでに亡くなられていていますが、当時の人気のほどを改めて知りました。
ああ、この番組を40年前の放送時に、確かに見たことを覚えている、と最後に確信したのは、日劇の解体の最中に現れた、創建当時のロビーのモザイク壁画でした。
壁面をはがしたら、改修して隠されていた元のモザイク壁画が現れた、という番組の最後に語られたエピソード。ここの場面だけが私の記憶に残っていて、この番組「さらば日劇~青春の街角の半世紀~」 で間違いなく見たんだね。長い眠りから覚めたのに、モザイク壁画は残念ながら保存はされずに解体されたと、当時も見ていて残念に感じたのでした。
初めは豪華な劇場として出発した日劇も、最後には雑居ビルと化し、設備の老朽化で解体されてしまいました。今のスパンで考えると、空襲にも耐えた歴史的な建造物をわずか50年で解体するのかと思います。設備を一新し、外装内装を改修したら、重要文化財になる価値がある、昭和を語る建築も、壊してしまえばそれで終わり。昭和の歴史をまさに体現している日劇が消えたのは、残念でなりません。
私は1981年10月に都内に転居、日劇の姿を見たのかどうか・・、その当時は興味が無く、記憶には全く残っていません。
J友さんより、毎日グラフに掲載された「サヨナラ日劇」 表紙のジュリーは、ソロの沢田研二。
日本劇場(にほんげきじょう、1933年12月24日 - 1981年2月15日閉館)は、かつて東京都千代田区有楽町に存在した劇場。日劇(にちげき)の通称で親しまれた。
1933年(昭和8年)竣工。戦時中の空襲による被災や、終戦後の占領軍による接収も免れ、半世紀近くにわたって日本興行界を代表する象徴のひとつとして存在した。
日劇といえば、我が名はジュリーで、舞台数が自分が一番だと書いてたような。
この時に偶然pygのオリジナルメンバーが同じ舞台に立ったとか、何かで読んだような。
皆さん、わかりきったことですいません。
見逃がされたのは残念ですが、ザ・タイガースの出番は「君だけに愛を」の1曲だけでした。
>『日劇といえば、我が名はジュリーで、舞台数が自分が一番だと書いてたような。』
実は、我が名はジュリーは、買った時に一回読んだだけ・・('_') 慌てて読み返してみました。「日数にすると、舞台を踏んだ数は一番多い」と書いてありました。そういうことを、もっと当時でも言って欲しかったですね(^-^)
少し遅れましたが…観ました!
30代のジュリーもステキでした(^^♪
YouTubeの「mf7578」も観たのですが、フジTVも「ミュージックフェア」のジュリーDVD作成して欲しいですね(可能であればクリアな画像で)
週刊文春の【ジュリーがいた】連載継続されると
イイなぁ
やっぱり昭和は良かったですね~
YouTubeもスマホも無いけど…夢や未来・希望が持てたような気がします。
令和になり、コロナ禍の日々を過ごすようになり更に実感しています。
平成でも令和でもなく、戦後の昭和に生まれたことに幸せを実感しています。
「唯一無二の存在」と言っても過言ではない、ジュリーが健康で、ステージに立てていることが嬉しいです!(^^)!
私も戦後の、平和で日本人が将来に夢を見ることができて、古き良きものがまだ残っていた、成長期の日本に産まれたことは幸せだと思っています。
フジTVの「ミュージックフェア」のジュリーは、一般から提供された映像を放送するくらいなので、古いものは残されていないのではと思います。
週刊文春の【ジュリーがいた】は、きっとジュリーのバースデー辺りに連載再開ではないかと期待しています(^-^)