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さあ、殺せ

2018年05月29日 | TV・ラジオ・CM・映画

ジュリーと井上堯之バンドの元マネージャーだった大輪茂男さんが、5月2日に亡くなった井上堯之さんの思い出を語っています。➡こちら


昨日の月9「コンフィデンスマン」で「男の化粧なんて、40年前にジュリーがやっていた」というセリフがありました。さすが、大のジュリーファンの古沢良太さんのシナリオです。言いたくはないけど、朝日新聞で「秀樹さんは元祖ビジュアル系」と書いていた評論家さんに 勉強しなおしていただきたいです。


昨日のNHKの、志村けんさんの➡ファミリーヒストリー なかなか興味深い物でした。

志村という苗字が、山梨の出で武田家家臣に連なる一族だったという事。かつて上杉謙信にはまっていた私にとって、武田家は偉大なライバルです。そして教員だった真面目で一徹なお父さん、愛情深いお母さん、志村さんのご両親のどちらも素晴らしい方たちでした。ご兄弟は志村さんにソックリ!

亡くなった、いかりやさんとのエピソードも面白かったです。そして、けんさんが新井注さんの代わりにメンバーとして参加しても最初は受け入れられず、けんさん自身辛かったようです。

これは実際に「全員集合」を見ていたので、よくわかります。急にメンバー交代して若い志村さんになって、やはり私も慣れないと思い、1人だけ浮いている、違和感を感じました。大人気のドリフターズのメンバーになるという事は、ほんとに大変な事だったのだと思います。

当時からけんさんを見ていた、すわさんがインタビューに答えていて、志村さんの苦悩を語っていました。すわさんの姿を見られたのも懐かしかったです。

辛い時期を乗り越えて、東村山音頭をきっかけに、すっかり人気者になった志村さんの後ろに 秀樹さんの姿もありました。

けんさんがご両親に思いを馳せて、1人じゃ何にもできない。家族がいないと何もできない。と話していたのがしみじみとして、思った以上に感銘を受けた番組でした。

志村さんのお母さんが丹念に志村さんの記事をスクラップしていましたが、そのスクラップブックの中に「さあ、殺せ」のチラシが少しだけ映ったと、J友さんからお知らせがありました。

「さあ、殺せ」あれは2003年の舞台だから、もう15年も前!

ジュリーと志村けんさんの「さあ殺せ」の舞台は、久世さんの演出。おそらく志村さんが忙しいからではないかと思っているのですが、関西では上演が無く、さんごさんとシアターコクーンまで見に行ったっけ・・ 確か前から3列目あたりのとても良い席でした。

かつてお茶の間を爆笑させたバカ殿コントや、鏡コントなど、二人のコントに笑った印象ばかりが強く残って、どんなお話だったっけ??と今になれば全く思い出せません。

調べてみたら、終戦直後の新宿を舞台に、特攻隊の生き残りの三郎(ジュリー)と、ブラジルに移民した後に帰国した五郎(志村)との友情のなかで、アメリカ進駐軍に反駁していくというシリアスな内容。そこに随所に挟まれる志村けんとジュリーのお笑いコント・・・

ここまで書いてきたら だんだんと思い出してきました。進駐軍、戦後の新宿など、いかにも久世さんの好きそうな舞台だと 当時そう思ったことを。あの時、特攻隊姿のジュリーをみていたら、思わず宮崎アニメを思いだしたのでした。

YOUTUBEにありました。

 

久しぶりに観たら、「明日は晴れる」が懐かしい・・

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