特に人事系の方には、ソフトウェア工学といってもあまりピンとこない方の方が多いとは思うのだが、ソフトウェアとは純粋に人間の知的活動をとりまとめるものであるから、ソフトウェア工学は、組織・人材マネジメントのヒントや、実際に使えるツールに満ちている。特に現在、デジタル化の影響を受けて、組織・人事運営そのものが規格化・標準化され、そしてそれによって、組織の柔軟性を増したり、人的リソースや知識リソースのグローバルな調達が志向されるようになっているので、ソフトウェア工学の応用余地は大きくなっている。その一つが、先日紹介したエンタープライズ・アーキテクチャの話なのだが、もう一つ面白いものを紹介したい。
それは、CMM(Capability Maturity Model)すなわち「能力成熟度モデル」である。それは組織(企業・チーム)のソフトウェア・プロセスの成熟度を示すリファレンスモデルであり、米国のカーネギーメロン大学/ソフトウェアエンジニアリング研究所がとりまとめているものである。
このような、発展段階についてのリファレンスモデルを参照することによって、自社の実務慣行を振り返ってレベルを確認できるとともに、ベンチマーキングも可能になるし、また、次には何が課題になるかというアジェンダ設定も容易になるのである。
CMMの枠組みは、ソフトウェア開発に限らずさまざまな分野で適用されるようになっている。CMMは、ソフトウェア開発過程に限らず、物事の発展段階とその定義方法に関する雛形を与えるものであると言ってよい。ロードマップを記述し、シェアするための共通言語としてふさわしい。
そして、その中にはPeople-CMMという、人材マネジメントの発展段階の定義を試みた膨大なドキュメントもある(もっとも不必要に膨大ではある)。ソフトウェア開発企業の人材マネジメントを想定しているのだが、他の業界でも使える。
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さて、このようなリファレンスモデルの使い方だが、リファレンスモデルであるから、これらを参照しながら、自社に合うようにカスタマイズして使ってよい。しかしながら、大枠を変えてはいけない。リファレンスモデルというものは共通言語として意味があるので、大枠を勝手に変えては意味がなくなってしまう。その点の理解がないと、独自性を出したいという欲求や自己表現したいという欲求に負けて、往々にして拡張されがちである。例えば、内部統制のCOSOモデルが日本版においては「内部統制の構成要素にITを含めるよう拡張」されたり、バランスト・スコアカードの4つの視点が「環境保全という独自の要素を加えて拡張」されたりするが、そういうことはしてはいけない。
また、リファレンスモデルの主要な部分は暗記しておかなければ日常業務の中で物事を解釈したり判断したりするのに使えない。そのためには、この5段階を内在的に、その5段階が導出されたロジックにまで遡って理解しなければならない。内在的な理解を試みると、次のようにロジカルな段階論となっていることがわかる。Defined(定義されている)がレベル3であることさえ覚えておいて背景のロジックを理解しておけば、レベル1~5までさらさらと出てくるようになる。
- レベル1: Initial: 場当たり的
- レベル2: Managed: 各現場で管理する
- レベル3: Defined: 管理対象を定義する(標準化する)
- レベル4: Predictable:管理対象を定量化するとともに、全社統合管理する
- レベル5: Optimizing: その結果として全社的に継続的改善のサイクルを回す
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段階モデルの考え方、そして標準的な5段階モデルを参照しながら、様々な応用が可能である。特に日本企業が、国内で磨き上げられたマネジメントシステムをグローバル展開できるよう明文化・標準化していく上で、有益であると考えられる。
例えば、日本独自の流通業態コンビニエンスストアも、現在各社グローバル展開を試みている。しかし、各国においていきなり、日本における精度の高いマネジメントを実現できるわけではない。いきなり、「顧客年齢層」「時間」「天気」「立地」「近隣の施設「近隣のイベント」までデータ化して仮説・検証のサイクルを回せ、といってもそれは無理である。だから、順を追ってマネジメントレベルを高めていかなければならない。そのためには、たどるべき発展段階を予め明確にしておくことが必要になる。
あるいは国内においても、ローソンのように業態をさらに進化させ、店長の能力に応じて様々な応用業態を展開していこうとする時、その土台となるマネジメントレベルをあらためて明確にしておく必要があり、何の上に何を積み上げるのか、という発展段階を明確にしておくことが必要になる。CMM のロジックを仮にあてはめると次のようになるだろうか。
- レベル2: 店長の役割と責任が明確になった段階
- レベル3: 単品管理のオペレーションマニュアルが導入された段階
- レベル4: オペレーションマニュアルに従って単品売上データが店舗から集められて統合マネジメントに成功している段階
- レベル5: 仮説検証のサイクルが全社レベルで回っている段階
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同様の定着しているモデルとして、流通業界において企業間連携を推進するために用いられるECR(Efficient Consumer Response)スコアカードがある。ECRスコアカードとは、流通過程で企業がパートナーシップを結ぶために、客観的・標準的基準に基いてお互いを評価検討する「取組評価表」のことをいうが、P&Gが大手量販店との連携にあたって用いたツール等に端を発し、国際標準にもなっており、製品補充体制や販促活動などについて、やはり5段階で評価する仕組みになっている。まさに企業間連携のために共通の発展モデルが必要な例である。社内の意識合わせや業績評価に使えることも言うまでもない。
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実は(以前にも述べた)マルクス・エンゲルスの唯物史観の5段階発展段階も、CMMを応用したものに他ならず、唯物史観とは実はCMMであるという本質を理解することによって、現代の企業社会理解にもあてはめることができる。
- レベル1: Initial: 原始共産制
- レベル2: Managed: 奴隷制
- レベル3: Defined: 封建制
- レベル4: Predictable: 資本主義
- レベル5: Optimizing: 共産主義
80年代までの企業社会は「封建制社会」だった。特定の製品やサービスに合わせて業務プロセスや組織が固定され、組織メンバーも組織の序列の中にはめられてきた。ガバナンスもメインバンクとの固定的な関係の中で固められていた。(レベル3)
90年代以降の企業社会においては、資本市場との関係で業績管理指標が定義され、比較可能な状態になり、資本の配分や企業単位の編成がダイナミックになされる資本主義社会が完成しつつある。(レベル4)
さらにその次の段階においては、最大の資源である知識・情報を組織メンバーが共有しながら、継続的改善・改革を武器に、衆知を集めた共産主義経営を行うようになる。(レベル5)