脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

Sさんの訃報に接して。

2012年09月08日 12時47分26秒 | 近況
今週、年上の古い知人であるSさんが先月亡くなったことを知った。
Sさんとは、私が昔勤めていた会社の上司だった人である。
今年遅れて届いた年賀状に、走り書きで末期のガンだと記されていた。

Sさんの具合は今年前半の気掛かりだったのだが、
私は、どうしてか無気力感(鬱病?)が強く、
見舞いのハガキ一枚さえ送らないまま、ぼーっと過ごしてしまった。

こんなブログに、欠礼の詫び言を記しても、詮無いことだが、
Sさん、お便りも出来ず、申し訳ありませんでした。
あなたと一緒だった人生の時間を懐かしくも、ありがたくも感じています。
ご冥福を祈っています。(いつかまた、あの世で会いましょう。)

Sさんは遠方の方であり、日常やりとりの付き合いもないので、どうし
て彼の死去を知ったかと言えば、インターネットでだった。
Sさんは、出身大学OBの野球チームに所属しており、その方面の方が
ネットに訃報記事を載せており、それが人名検索でヒットしたという
ものだった。

Sさんのように、退職後も何らかの団体や組織に属していれば、ネット
に訃報記事が出たりで、消息が知れるが、私のような根無し草では、
せいぜい、ブログが更新されない=死んでるかも、という程度だ。
ヒトに惜しまれる程の人間ではないので、ひっそり死ぬのが好いと
思っている。

私は50代前半の年齢である。
これからはヒトの死というものに、多く関わらざるを得ない年代であろ
う。自分自身にも、死一般ではなく、生命体としての「寿命としての死」
という想いが、少しは身近に感じられるようになっている。

私も若い頃には、自殺の観念に何度か囚われたことがあるが、
誰でも辛いことがあっても、50年は生きてみて欲しいと思う。

人間の体は、50年は生きられる設計になっているという説を聞いた
ことがある。
その後は余生、余禄、おまけの人生である。
おまけとは「御負け」と書くそうである。
もはや人生の勝ち負けとは無縁の、
誰が生きても「御負け」の残り時間なのである。
生きていても好いし、死んでも好い、生死を対等に含んだ、彼岸に近
接した時間の始まりなのだと思う。






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