趣味買いオークションはこれで最後とばかり、古木刀を千円で落札。
私以外に入札者なし。明治か江戸末期の制作品で、全長90センチ、
300gという細身だが、稽古に使われていたらしく素材はしっかり
している。柄頭には鋲が打ってあり、今日の大量生産品には見られない
古い手造りの拵えである。
だが、実際に現物が届いて開けて見たときには、一瞬がっかりした。
古色蒼然と言うよりは、あまりに汚いのである。
普通人の感覚なら即、燃えるゴミ行きだろう。
手垢とススなどで全体が真っ黒、
虫喰い後も数箇所あり、千円は惜しくないが、
売主が京都の方だったので、送料に1,600円も掛かったのである。
どうしてモノの送料は、重量よりも長さにカネがかかるのだろう。
郵便でも宅配便でも、この料金設定の仕方は同じである。
運送屋さんは、長いモノは嫌いなのだろうか。
随分と捨て置かれていたらしき代物で、物好きな買い物をしたもんだ
と、ため息が出た。全体が経年で暗色なので、素材はひょっとして、
スヌケかとも思ったが、スヌケがこんなに軽くはない。
とにかく、雑巾で何度も拭き掃除をし、いつまでも黒々と汚れが出る
ので、石鹸とスポンジで全体を水洗いしたら、サッパリした。
かなり汚れが落ちてみて気がついたが、これは白樫であり、さらに
この形状は、確か柳生新陰流だったと思われる。私も同じ形の100cm
サイズの木刀を持っているのである。
だが、この古木刀こそ本物である。かなり激しい打ち込み痕があり、
鍔付きなのだが、鍔の片側がひん曲がる程の衝撃を受けている。
さらには、真剣とも立会い稽古をしたらしき、木肌が数箇所刃物で
切れた痕もある。私の所持しているイミテーション木刀も白樫だが、
これだけの荒稽古に耐えられるとは思えない。
古木刀は洗った後に、半日程天日で干して、その後に焼酎を水で薄め
た液体を霧で吹き掛けて清めとし、また天日干しした。落ちない汚れ
は残りつつも全体が白くなり、迫力が失せてしまったが、椿油を丹念
に塗り込んでいくと、元の色合いと古い味わいが蘇えって来た。
すると全体が白樫よりも赤樫っぽくなってくるのだが、樫材にも色々
と細かい種類やら事情等があるのだろうか。
眠っていた古木刀が目を覚まし、木肌に呼吸を取り戻したかのようだ。
剣術稽古に情熱を注いだ先人の姿さえ、芳しく匂い立つようである。
この古木刀の歴史を、この私が継承するのは恐れ多いが、
何だが、木刀の方も喜んでくれているような手前勝手な気分で、
いつの間にやら、私はこの古木刀が気に入り始めていて、
近頃の朝には、素振り稽古を付けて頂いている具合である。
先人を拝して想いつつ、愛刀の一振りとして大切にしたい。
私以外に入札者なし。明治か江戸末期の制作品で、全長90センチ、
300gという細身だが、稽古に使われていたらしく素材はしっかり
している。柄頭には鋲が打ってあり、今日の大量生産品には見られない
古い手造りの拵えである。
だが、実際に現物が届いて開けて見たときには、一瞬がっかりした。
古色蒼然と言うよりは、あまりに汚いのである。
普通人の感覚なら即、燃えるゴミ行きだろう。
手垢とススなどで全体が真っ黒、
虫喰い後も数箇所あり、千円は惜しくないが、
売主が京都の方だったので、送料に1,600円も掛かったのである。
どうしてモノの送料は、重量よりも長さにカネがかかるのだろう。
郵便でも宅配便でも、この料金設定の仕方は同じである。
運送屋さんは、長いモノは嫌いなのだろうか。
随分と捨て置かれていたらしき代物で、物好きな買い物をしたもんだ
と、ため息が出た。全体が経年で暗色なので、素材はひょっとして、
スヌケかとも思ったが、スヌケがこんなに軽くはない。
とにかく、雑巾で何度も拭き掃除をし、いつまでも黒々と汚れが出る
ので、石鹸とスポンジで全体を水洗いしたら、サッパリした。
かなり汚れが落ちてみて気がついたが、これは白樫であり、さらに
この形状は、確か柳生新陰流だったと思われる。私も同じ形の100cm
サイズの木刀を持っているのである。
だが、この古木刀こそ本物である。かなり激しい打ち込み痕があり、
鍔付きなのだが、鍔の片側がひん曲がる程の衝撃を受けている。
さらには、真剣とも立会い稽古をしたらしき、木肌が数箇所刃物で
切れた痕もある。私の所持しているイミテーション木刀も白樫だが、
これだけの荒稽古に耐えられるとは思えない。
古木刀は洗った後に、半日程天日で干して、その後に焼酎を水で薄め
た液体を霧で吹き掛けて清めとし、また天日干しした。落ちない汚れ
は残りつつも全体が白くなり、迫力が失せてしまったが、椿油を丹念
に塗り込んでいくと、元の色合いと古い味わいが蘇えって来た。
すると全体が白樫よりも赤樫っぽくなってくるのだが、樫材にも色々
と細かい種類やら事情等があるのだろうか。
眠っていた古木刀が目を覚まし、木肌に呼吸を取り戻したかのようだ。
剣術稽古に情熱を注いだ先人の姿さえ、芳しく匂い立つようである。
この古木刀の歴史を、この私が継承するのは恐れ多いが、
何だが、木刀の方も喜んでくれているような手前勝手な気分で、
いつの間にやら、私はこの古木刀が気に入り始めていて、
近頃の朝には、素振り稽古を付けて頂いている具合である。
先人を拝して想いつつ、愛刀の一振りとして大切にしたい。