脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

対話か、スローガンか。

2019年01月20日 15時40分34秒 | 近況
きょうだいとの相続の話がまとまらない。私は親から継承した実家に住
み続けたいのだが、彼らは家を解体して全ての土地を更地で売却し、等
分にカネで分配したいかのようである。家屋に資産価値はないが、祖父
の代から私が3代目の、住み慣れた我が家であり、ここで亡き両親の供
養をしたいとも思う。

昨年9月に母親が亡くなり、以後私が一人暮らしをしている。
母の遺影に花を飾ったり、仏壇に線香を上げたりしていると、少し気が
晴れるのである。私は親の生前は、父とも母ともたいして仲が良かった
訳でもなく、全く気の合わない親子関係だったが、亡くなってみると
(特に母親には)親近感が増してくるのは、どうしてだろうか。

この築35年の古民家に、亡き祖父母や両親の御霊が息づいていると感
じると、とても家を潰す気持ちにはなれない。私は決して孝行な人間な
どではない。単純な人ごころ、人間心理として、そうなだけである。
なのだが、このような気持ちを斟酌しない、いや想像だに出来ないきょ
うだいには、奇妙な想いがするし、やや愕然ともしている。

愕然とするのは、やけにカネ勘定にうるさい点もある。
自分の血筋の弟や妹が、そんな種類の人間だったとは、初めて知る思い
だ。「兄弟は他人の始まり」とは、カネが絡むと良く分かるというが、
今頃になって、三回忌も終えた父親の、生前の預金通帳や税務申告書ま
で見せろという。勿論母親のモノもである。現金預金の資産は、残高証
明書を付けて一覧表を作成して、四十九日の法事に配布しているのに。

父母の通帳も申告書も公開して差し支えないので、次回の遺産分割協議
の会合で見せるつもりだが、猜疑心は、ヒトを不愉快にさせる元だと思
う。信頼関係が崩れると、お互いに気持ちや言葉が通じなくなる。する
と、何とか通じさせようと強引な掛け合いにもなることだろう。

私のきょうだい、弟・妹は、自己主張型ではない。典型的な一般大衆で、
横並び意識が強く情やムードに同調するタイプである。自分の意見とい
うものを持たないタイプである。意見を持たない砂のような「大衆」存
在を動かすものは、スローガンであると言われる。

これは、全体主義を分析したハンナ・アーレントの言葉であるが、自分
の今の状況や血縁関係にも当てはまっている。民主的な手続きである説
得や対話よりも、気分や情に訴える「スローガン」的な言動が、私のき
ょうだいにも有効そうであると気が付いた。

民主主義や公正なルールよりも、スローガンを! 
まるで「アメリカ・ファースト」を叫ぶ、どこかの大統領のようなもの
である。肉親に、政治術が必要とは、本当に情けない気分である。






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