脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

Arond 8/15

2008年08月16日 15時26分53秒 | 雑談
今日も昨日に続いて、朝から真夏の陽射しが厳しい。
お盆の町の静けさに、セミしぐれが降っている。

どうして毎年8月15日は晴天で雨が降らないのだろうか?
昭和一桁世代の文芸評論家・桶谷秀昭氏は、終戦記念日に雨が降ったのは、
おそらく平成15年の夏だけではなかろうか、とある自著に記している。

昭和20年8月15日を回顧する人々は、決まって「暑い日だった」と語る。
その日、私の父は田舎の野原に数人で、防空壕の穴掘りをしていたそうだ。
遠くの方から「おーい、穴掘りなんかやめろー」と声が飛んできた。
「戦争が終わったぞー!」とその声は続いた。

蒼天からは、焼けつくような真夏の陽射しが降り注いでいた。
誰もが虚脱感とともに、一切の思考も言葉も失っていた。
ただただ、上空に輝く太陽ばかりを睨み返していた。
15歳の少年であった父も、天を仰ぎ、ただ「あぁ、暑いな」と思っていた。

昭和20年終戦の日の「暑さ」は、そんな歴史的瞬間に立ち会った者たち
のみが固有に感じる体験の相の、表現し得ない表白なのだろう。


ところで、今年は北京オリンピックが開催されているせいか、
終戦記念日を巡る、いつもの日中間の喧しさがないようだ。
私は、この北京五輪にどうしてかあまり興味が湧かない。

我が家から徒歩10分程の所に、水泳の北島康介選手の実家がある。
普段からあまり目立たない小さな肉屋さんである。
周辺にあるお店には、北島さんを応援する張り紙があちこちに見られる。

水泳のことはよく分からないが、
彼は度胸も据わった超一流のアスリートであると思う。
私も小中学生の頃には、夏のオリンピックには感動したものだ。
真夏の熱気と選手の活躍ぶりに、心が踊るような気分を味わった。

世界の頂点を目指して競う選手達の姿は、目映いほど素晴らしい。
そこには、人生は努力であり挑戦であるというメッセージをも感じた。

だが中年も深まった今日、暑い夏の熱気に挑むような競い合いよりも、
熱気を冷ましてくれる夕立ちの方に、夏を親しく感じるようになった。

五輪の熱気に、若人は多いに刺激を受けて、自分の励みとするが良い
と思う。オリンピックとは、国家の威信や国威の発揚、メダルの数では
なく、人々に勇気や感動を与えるためのものであって貰いたい。
(いささか、新聞の社説じみた落ちで纏めてしまったことを恥じてます。)
 







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