今週は、当工場での最古のベルト掛け旋盤を、区で保存して貰えまいか
と思い、先ず区立の博物施設を訪ね、昭和初期に製造された旧式旋盤が
あるという触れ込みで、学芸員の方に面会を求めてみた。
主任学芸員であるという30代位の女性に、デジカメの画像を見せながら
旋盤について、また文化財保護が美術・工芸品に偏っており「産業文化
財」の保護が閑却されてはいまいか等、私の考えを訴えてみた。
下町のひとつの特徴は、町工場(当地では繊維産業と自転車産業)文化の
場所であったこと、それに因む製造機材等は地域文化財として、どの程
度保存されているのか等、お尋ねしてみた。
彼女の回答は、機械そのものは重量物であり、スペース不足等からも保
存が困難なので、古い道具類なら寄贈を受けているという。
この旋盤は戦前の製造物で、長さ2m・横幅70cmと小型だが、重量は
1トンはある。寄贈・引取りが可能か、無理ならば、画像だけでも区で
正規に撮影保存して欲しい、当方では廃業でスクラップにしてしまうの
で、と提案してみた。
この日は、後日に上司と相談してメール連絡をするという返答を得て話
を終えた。
そして昨日、彼女からメールが届いた。
やはり引き取りは無理筋ということらしいが、当地で半世紀以上も使用
されてきた、旧式のベルト掛け旋盤の価値は貴重なものであり、映像資
料として保存したいので撮影に伺いたい、都合の良い日時を指定して欲
しい旨、丁寧なご連絡を頂戴した。
この旋盤は、実に30年以上稼動させたことがない代物で、本体には分厚
い油埃が堆積し、旋盤下部の受け皿には金属片やら工具類が蹴散らかっ
ている状態である。撮影されることを考えて、今日は旋盤の垢をブラシ
で磨き、その周辺も見栄えのするように整理清掃をした。
上掲の画像は、旋盤ではなくプレナである。
プレナは英語で Planer と綴る。プレーナー(平削盤)のことであるが、
ウチではプレナと呼んでいる。この画像を載せたことに余り深い意味は
ない。このような静かな鉄の表情に、経年のくたびれた風情と併せて、
やや身贔屓だが、私は美しさを感じている。
(だが、鉄は恐いものである。
人為の成す究極の冷淡と虚無的な憂いを、私は鉄というものに感じて
いる。鉄工よりも木工の方が人間味があることは誰もが感じるであろ
う。私が言いたいことは、機械のメカニズムより先に、鉄そのものの
圧倒的な存在感に畏敬すべき「怖い神」を感じるという事である。)
ところで、ジィジは昨日、前立腺にガンがあることが判明した。
針生検で前立腺を10箇所調べた処、半分がガン化していたということだ
が、悪性・良性の判別は「中間」だという。細胞組織を採取していて
「中間」という曖昧さはどうしてか、解せない。
とにかく抗男性ホルモン剤を処方され、二週間後にリュープリンという
薬を注射すること、月末頃に造影剤を飲んでのCTスキャンの追加検診
を受けることになった。腫瘍ステージと転移の有無等を調べるらしい。
ジィジ本人は、自覚症状が皆無なので、ガンを宣告されてもピンと来な
いらしく医療費や薬代の方が痛いだの、ボヤいている。近所にも前立腺
にガンを抱えて、ズルズル生きている爺さんたちが何人もいるよ、とも
いうが、私は、肉親の命の、砂時計の砂音が耳許に響く思いである。
世間も騒々しいが、老いていく親の軋みゆく肉体にも、また病気が増え
たかと、新たな心労にため息が出る。
ふと思えば、このブログもいつの間にか、三周年である。
歳月は人を待たず。病も人を待たず。
死とはその人の「思い出」に向けて、悲しむ感情のことではないのか。
だから人は、見知らぬ他人の死を本気で悲しいとは実感し得ないものだ。
そこには、この私に連なる「思い出」がないから。
人も物も物事も、全てがやがては終わっていく。
終焉に立ち会うことを繰り返し、人は己を深めていくのかも知れない。
様々な「死」と向き合うことで、ヒトは人間になれるのかも知れない。
そうして初めて人は、「生」が何なのか、習うのかも知れない。
連休だというのに、少しの労働疲労のせいか、重い話をしてしまった。
とにかく、五月晴れの空は、いいね!
空の青さは好い。
いつも澄んだ心でいたいものであります。
と思い、先ず区立の博物施設を訪ね、昭和初期に製造された旧式旋盤が
あるという触れ込みで、学芸員の方に面会を求めてみた。
主任学芸員であるという30代位の女性に、デジカメの画像を見せながら
旋盤について、また文化財保護が美術・工芸品に偏っており「産業文化
財」の保護が閑却されてはいまいか等、私の考えを訴えてみた。
下町のひとつの特徴は、町工場(当地では繊維産業と自転車産業)文化の
場所であったこと、それに因む製造機材等は地域文化財として、どの程
度保存されているのか等、お尋ねしてみた。
彼女の回答は、機械そのものは重量物であり、スペース不足等からも保
存が困難なので、古い道具類なら寄贈を受けているという。
この旋盤は戦前の製造物で、長さ2m・横幅70cmと小型だが、重量は
1トンはある。寄贈・引取りが可能か、無理ならば、画像だけでも区で
正規に撮影保存して欲しい、当方では廃業でスクラップにしてしまうの
で、と提案してみた。
この日は、後日に上司と相談してメール連絡をするという返答を得て話
を終えた。
そして昨日、彼女からメールが届いた。
やはり引き取りは無理筋ということらしいが、当地で半世紀以上も使用
されてきた、旧式のベルト掛け旋盤の価値は貴重なものであり、映像資
料として保存したいので撮影に伺いたい、都合の良い日時を指定して欲
しい旨、丁寧なご連絡を頂戴した。
この旋盤は、実に30年以上稼動させたことがない代物で、本体には分厚
い油埃が堆積し、旋盤下部の受け皿には金属片やら工具類が蹴散らかっ
ている状態である。撮影されることを考えて、今日は旋盤の垢をブラシ
で磨き、その周辺も見栄えのするように整理清掃をした。
上掲の画像は、旋盤ではなくプレナである。
プレナは英語で Planer と綴る。プレーナー(平削盤)のことであるが、
ウチではプレナと呼んでいる。この画像を載せたことに余り深い意味は
ない。このような静かな鉄の表情に、経年のくたびれた風情と併せて、
やや身贔屓だが、私は美しさを感じている。
(だが、鉄は恐いものである。
人為の成す究極の冷淡と虚無的な憂いを、私は鉄というものに感じて
いる。鉄工よりも木工の方が人間味があることは誰もが感じるであろ
う。私が言いたいことは、機械のメカニズムより先に、鉄そのものの
圧倒的な存在感に畏敬すべき「怖い神」を感じるという事である。)
ところで、ジィジは昨日、前立腺にガンがあることが判明した。
針生検で前立腺を10箇所調べた処、半分がガン化していたということだ
が、悪性・良性の判別は「中間」だという。細胞組織を採取していて
「中間」という曖昧さはどうしてか、解せない。
とにかく抗男性ホルモン剤を処方され、二週間後にリュープリンという
薬を注射すること、月末頃に造影剤を飲んでのCTスキャンの追加検診
を受けることになった。腫瘍ステージと転移の有無等を調べるらしい。
ジィジ本人は、自覚症状が皆無なので、ガンを宣告されてもピンと来な
いらしく医療費や薬代の方が痛いだの、ボヤいている。近所にも前立腺
にガンを抱えて、ズルズル生きている爺さんたちが何人もいるよ、とも
いうが、私は、肉親の命の、砂時計の砂音が耳許に響く思いである。
世間も騒々しいが、老いていく親の軋みゆく肉体にも、また病気が増え
たかと、新たな心労にため息が出る。
ふと思えば、このブログもいつの間にか、三周年である。
歳月は人を待たず。病も人を待たず。
死とはその人の「思い出」に向けて、悲しむ感情のことではないのか。
だから人は、見知らぬ他人の死を本気で悲しいとは実感し得ないものだ。
そこには、この私に連なる「思い出」がないから。
人も物も物事も、全てがやがては終わっていく。
終焉に立ち会うことを繰り返し、人は己を深めていくのかも知れない。
様々な「死」と向き合うことで、ヒトは人間になれるのかも知れない。
そうして初めて人は、「生」が何なのか、習うのかも知れない。
連休だというのに、少しの労働疲労のせいか、重い話をしてしまった。
とにかく、五月晴れの空は、いいね!
空の青さは好い。
いつも澄んだ心でいたいものであります。