脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

我が精神病

2007年05月20日 12時01分40秒 | 精神障害
統合失調症の原因について、木村敏氏が自著のある個所で記している。「なんらかの遺伝的な素質をもって生まれた人が、幼児期に家庭内での不幸な対人関係の中に置かれた場合に、将来分裂病になりやすい」(『時間と自己』中公新書)。この「不幸な対人関係」とは、「こどもの主体性や対人関係の能力を十分に育てないような親子関係」であると言っている。

私の両親はどちらも、他者従属的な没主体的タイプであり、対人関係能力も周囲に合わせることに汲々としている程の人間にみえる。私自身も、そんな親の息子として、親子は似ざるを得ない宿命を感じている。

ここで少し考えてみたいのは、統計的にどうかは知らないが、精神病を発病する者に「長男」が多い気が、私にはするのである。長男は伝統日本的な文脈では、他のきょうだいとは異なる存在だった。長男だけが、親の分身なのである。他のきょうだいは、親の子供なのである。少子化した今日では、この感覚は消退しつつあるかもしれない。だが、長男に「家」を担う者、継ぐ者としての観念は、消え去りつつも残存していると思う。

私は、「家」という観念が嫌いであるが、長男だけに「家」の機能の補完役を担わせるという親の養育態度は、その人固有の個人を形成する上で、その人格形成と個の自立を阻害してしまう悪しき要因であると思う。ここに精神病の発病に至る遠因をさえ感じる。

冒頭の木村氏の言葉に戻ってみよう。よく読むと不幸な親子関係について、「幼児期に」と断りが入っている。「主体性」と「対人関係の能力」のない親に幼児期から育てられた子供は、青少年期に周囲の同世代の人間との間に、「遅れ」があると自覚するようになるだろう。私自身はその「遅れ」つまり、「主体性」と「対人関係の能力」が低いが故に、出来する劣等性のようなもの、その劣者の自己意識を乗り越えるためにも、書物の世界に身を置くことで、処世のよすがを得ようとしたものである。

主体性や対人関係能力がない分、無理をしたり、誤魔化しをしたり、そんな取り繕いで生きてきた感じはある。私は自己の成長と発病との競争をしていたようなものである。37歳で自分に疲れてしまい、この競争から脱落して、精神病に捕まってしまったのだった。

精神病に捕まると、人は自分自身を社会の外、生の外側に追い出したくなるのだ。入院も自殺念慮・企図もそんな心理だと思う。「正常」の外側、「狂」の世界に入った方が楽であり、救いなのだ。

そうして、自分を世の中の前線から遥かに後退させてみて、次に助走をつけて、前方へ跳ぶ、ならば立派であるが、中々そうはいかない。世の中への踏切り板の上に立ち、少しずつでも前へと、歩いてみることだろう。

メンタルヘルスブログ 統合失調症


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