都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。論文や講演も。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

島原探検隊:輪違屋と角屋を堪能、解説者に歴史の理解を

2014-10-14 05:15:39 | 京都
 9月中は輪違屋も公開のためMTBのTerraで快走し10時に置屋の輪違屋から(角屋の10:15のツアーに行けばよかった、後述)。

 色街研究は大好きだ。島原は豊臣の柳馬場二条から六条柳町を経て朱雀町(島原)に移転した。置屋(太夫、芸妓の派遣)と揚屋(料亭)の分業制で、江戸の吉原で置屋と揚屋兼業とは違う。送り込み制と居稼ぎ制の違いとある( http://www16.ocn.ne.jp/~sumiyaho/page/history.html )が初めて知った。なお、東京の三業地(置屋、茶屋、仕出)に対し、京都の五花街は置屋に茶屋機能があり、茶屋に仕出し機能もあるというややこしい対比だ。島原では置屋も揚屋も厨房があり料亭の様相もある。ちなみに輪違屋も料亭機能があったようだ。(でないと立派な厨房の機能が生かせない)なお、吉原では太夫や格子の制度、初回、裏、馴染み制度も当初のみだったようだ。今でも太夫は居り、この前祇園で飲んだことがある。

輪違屋(600円)ではボランティアらしき方々の解説。2階は撮影禁止。太夫は2階に居住していた。階段は13段で一番下が幅広く、1階の床を暗示している。幅広い階段は太夫が禿や引船を連れ降りたためだろう。真正面は道路に面した格子で一種のショーだったのでは。(宝塚の大階段と同じだ)そして、右に折れ、更に玄関の立派な下足石から左に折れて道路に出る。床仕上げは動線を暗示している。なお、入口の扉は敷居が取り外し型でダボが柱にある。太夫がまたがなくていいようにした配慮だ。
入口の奥には立派な厨房があるが見学はできない。2階は天上として太夫の間があり、バック動線などあるが解説の方は知らないとのこと。太夫の部屋があるなら、便所、風呂、物干しがあったはずだ。(不衛生で臭う太夫がある訳がない、生活から分析するのが正当だ)
しかし見学は表の顔のみで有名な主人の部屋、傘の間には主人の高の意匠がある。なお、瓦にも高の文字がある。
意匠は六角名栗が多用、床板の次ぎ方が矢筈など凝っているが成金趣味。7.5畳の間もあり不吉で苦界と此岸彼岸の複雑な対比か。軒はカンチ・レバーで柱がない、なぜか建具は1.5軒を半分にしている、角屋も同じ。色町モデュールなのか。また、階段の手すりに凝っているのは酔っ払い対策だろうか。

13:15からは角屋(2階のツアー込みで1,800円)の見学。動線は立派な入口と暖簾をくぐり、更に建物に入る多層構造、1階から「くの字」に曲がるのも輪違屋と同じ。
5間から両側に増築したそうだ。20軒の揚屋が最盛期の通りにはあったという。1階の奥には立派な竈(へっつい)と照明がある。見せていたのかもしれない。一種のオープン・キッチンだ。
ここも2階に上がるが、これは人目を避ける色街様式だ。部屋はやりたい放題で部屋毎に違う意匠が過剰、昔のパビリオン形式で世の東西を問わず色街建築の特色。
数寄家風の多種類の格子(奇数が基本)が綺麗、村野藤吾の設計を思い出す。ここを真似ると数寄家のボキャブラリーが充足するなと思った。派手で受けることを狙っており、下地窓や格子の二重使いなど、技術や意匠が分かり易くお金がかかっている。しかし、全体は過剰でバラバラな印象。部屋によりテーマが違うのは色町の特色で格式や変化をつけている。

1階の庭ははっとする白砂で清潔、室内の濃厚さとは驚くべき対比 苦界と天上の対比か 清潔なディティールで出隅、擦り付け曲線など数寄家風。

 楽しめた、お薦めするが、質問しても答えが無いため勉強してからの見学を薦める

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