「京都教区の対応を糾す会」(仮名)からのメールを読んだ。
武藤主教は大学を辞めるようだな。当然だろう。最高裁が上告棄却して確定した、原田司祭の女子児童に対する性的虐待について、「わいせつ以外に対したことはしていない」と発言していたし、「事実無根」を主張する原田司祭の弁明だけを一方的に受け容れて、原田司祭を復職させてしまったんだからな。話にならん。俺の友人は、ショックを隠せない。武藤主教をよく知っているらしいんだ。だから、武藤主教のことになると俯いて沈黙する。それが悪いことだと知っていながらも、奴は沈黙してたな。
病院で原田司祭が被害者の家族に土下座して謝っていたのを、目の前で見ているにもかかわらず、原田司祭を復職させてしまった責任はかなり大きい。理由は、原田司祭に徹底的に傷つけられた被害者の心を、もう一度土足で踏みにじったようなものだからな。そうだろ、児童に対する性的虐待をしていた司祭が、観念していったん辞表を出し、引っ越し先も決めていたのを、「事実無根」という言葉を信じて復職させたことは、被害者の主張する被害をすべて否定したことになるのだからな。
主教の犯罪だろ。だから、日本聖公会の主教会はこのことに関して何らかの反省と謝罪をすべき立場にあるんじゃないのか?武藤主教個人にだけ責任をとらせて、それで終わりか?他にも悪者はいるだろ?京都教区の主教や常置委員たちだ。特に、原田司祭を復職させたときの教区常置委員だ。それと高地主教だ。最高裁の上告棄却が出ても、原田司祭を審判廷にかけなかっただろ。こともあろうに「最高裁に抗議する」とまで言ってしまったんだよな。そして、他の被害者が名乗り出たら、「減給処分」を自分に下して、反省しているかのように見せかけたよな。被害者に謝罪したのか?常置委員たちは被害者に謝罪したのか?聞くところによると、「京都教区の対応を糾す会」(仮名)の人々を誹謗中傷するような文書をメールで出していたそうだが、審判廷はそれを証拠にするだろうな。
そして、古賀司祭だが、もう何も言えないほど愚かだ。「考える会(当時)」の方々が文書を手渡しに行ったときに、自分でパトカーを呼んだそうだな。開いた口が塞がらないぞ。自分たちのしたことは間違っていないと弁明できるのなら、文書を受け取って、それに反論すればいいだろ。それをしないでパトカーを呼んだというのは、余りにも無思慮すぎる。自分たちの過ちを隠蔽し、問題を解決したかのように見せかけたかったんだろうが、かえってそれが仇になってしまったな。
辞任しなきゃならんのは、武藤主教だけじゃないだろ?高地主教も古賀司祭も、他の常置委員だった司祭もみんなじゃないのか?女子児童に対する性的虐待を長期間し続けていたというのは、途轍もない犯罪なんだぞ。何年間、原田司祭は犯罪を犯し続けていたんだ?1983年から1988年まで足かけ6年だろ。刑事裁判になっていたら、刑法上の最高刑が言い渡されていたはずだ。誰もがそう思う。情状酌量もない。反省していないんだからな。
聖公会は、すべての営為を停止して、懺悔しろよ。
御ミサを出来る司祭が京都教区に何人残っている。沈黙してきた司祭は全員同罪だぞ。甘いな、考えが。御ミサを上げるのなら、命を賭けてしろよ。福音を語るのに、周囲を気にするな。言わなければならんことは、言わなければならんだろ。それを沈黙してきたんだからな。たとえ高地主教の権威が怖かったとしても、命がけで戦えよ。俺の友人を知ってる司祭が京都教区には4人いるよな。彼奴は、自分に与えられた研究で死の直前まで行ったんだ。俺たちも散々祈ったが、どうにもならならんところまで行ってしまってな。彼奴はそれでも自分の仕事をし続けてたぞ。飯が食えなくなっても、司祭だったら御言葉を語れよ。聖書のメッセージを生きろよ。4人の内の3人は、彼奴の研究を自己満足だといってたそうだな。本当はもっと汚い言葉で罵ったんだよな。彼奴が今研究していることは、あの延長線上にあるんだ。俺は彼奴の知り合いのTEAR DREAMさんからそれを聞いたんだ。調べたらすぐに名前は判った。自分たちの生活と、神の正義とどっちを取るんだ。キリストは被害者と一緒にいるから、教会でふんぞり返っている主教や司祭のところにはいないぞ。
彼奴な、最近日増しに体調を崩しているそうだ。そりゃそうだろ。一ヶ月の副食費が数千円の生活を続けていたんだからな。食べられるようになったからといって、体が元に戻るわけじゃない。さっき電話したら、血圧が下がらないそうだ。それでも、研究を止めていないぞ。京都教区の司祭さんたち、立ち上がれよ!キリストの前に怖れるものは何もないだろ!