いいたい放題

 右でも左でもない風来坊が、社会・経済・政治などの問題について、
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審判廷

2008-09-18 | Weblog


 日本聖公会京都教区は性懲りもなくまだ自己保身に徹しているようだが、神学的に破綻してしまったことを認識しているのだろうか。糾す会が書面を手渡しに行った時に、K司祭はなんと警察に通報したそうだが、どういうつもりで警察に通報したのか。自分の立場が危ういとでも思ったのだろうか。自分の司祭としての立場を守るためには、神学的な牙城を構築すべきだろうに、こともあろうに国家権力に援護を依頼するとは・・・・・。

 そして、FH司祭は弁護士を付けたと聞いているが、日本聖公会の聖職もしくは信徒でなければ審判廷での弁護は出来ないのではないのか。何故こうしたことが平然と行われてしまうのか、俺にはまったく判らない。聖光教会時代に、地元の「九条の会」の設立総会で冒頭の挨拶をしたそうだが、総選挙の時には自民党の候補者の事務所へ幼稚園の職員を派遣していたとか。どっちが本当なのか。まるで、都合のいい時には、自分たちはプロテスタントだといいながら、都合が悪くなるとローマ・カトリック教会系だと口にしてしまう司祭がいたのと同じだな。

 いま、FH司祭に対する審判廷が申し立てられているが、自分がしたことを深く反省しているのであれば、潔く自ら懲戒処分を受けることを申し出るべきではないのか。4人の被害者に対して謝罪文を書いたということは、そう言うことではないのか。そして、もし信仰が残っているのであれば、一日も早く陪餐停止を解除して貰うべく、それなりの悔悛の生活をすべきではないのか。そして、日本聖公会京都教区はFH司祭に対して、そうした道を歩めるように指導すべきではないのか。

 明日、また鞍馬天狗に会うことになった。TERAさんも一緒だが、もしかするとまた近藤勇師が来るかもしれないと言っていた。近藤師の関係の教会では、あの事件で困っているところがあるらしい。教会に行っていない人にとっては、日本聖公会も他のプロテスタント教会も同じキリスト教会だ。大した差しか感じていない。少子化の時代に、幼稚園の園長が、現職時代に高校生の女子に性的虐待をしていたということを聞いたら、キリスト教会と関係のある幼稚園は困るだろう。日本聖公会京都教区はそうしたことをどれだけ認識しているのか。まぁ、明日の話し合いが楽しみだ。