眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

私の左手と、右手の関係

2020-11-08 18:20:23 | 自分のこと

左手首の骨折で、2カ月ギプスを巻いていた。

「利き手じゃなくて良かったね」と人によく言われ

自分でもそう思っていたけれど… これまで気づいてなかっただけで

実は左手もよく働いていたんだと、つくづく思い知らされた。

 

片マヒになった方の苦労が

今頃になってほんのちょっとだけ

実感として分かった気がして

無知・鈍感を恥じるというかなんというか。

 

ギプス期間中は、若い友人たちが夕飯準備をしてくれたので

私自身はほとんど家事をせずに済んだのだけれど…

 

あるとき(爪を切りながら)その友人に

「片手になると、どうしてほとんどの道具は

ヤタラ使いにくくなるんだろ」とぼやいたら

彼は笑いだして、あっさり

「道具は基本、人間には手が2本あると想定してデザインされてるから

1本だと使いにくくなるのは当然。それがデフォルト。

大部分が”右利き用”になってるのと同じ」

(彼は完全な左利きで、たまにブツブツ言ってる)

 

そういえば道具の話をする前に、ソモソモ

大抵の「家事動作」は両手を必要としてるんだ…

 

茶わんや鍋を洗うにも、利き手だけではダメ。

野菜を切るにも、包丁が使えるだけじゃ足りない。

左手が押さえてくれないと、「切る」「洗う」動作は出来ない。

タオルを絞るにも両手が要る。

 

いや、それ以前に、この新型コロナ禍の最中でも

「手洗い」は普通、両手がないときちんとは出来ない。

かといって、化学物質過敏症の自分としては

消毒用の薬品もできれば避けたい…etc. etc.

 

そんな当たり前のことを、いちいち確認しながら

それでもなんとか工夫して暮らしているうちに

使えなくなった左手について、別のことも見えてきた。

 

「しつけ」とか「教育」として身に着けた動作は

私は確かに右手でしている。

箸も、筆記用具も、ボールを投げるのも。

でも…

「ミカンの皮、ゆで卵のカラをむく」

「急須の茶殻を取り出して捨てる」

「靴を揃える」「落ちてる小さなゴミを拾う」

「トランプのカードを切る」といった

こどもの頃から何気なくしていることについては

「左手」を使うのが自然なのだ…と。

 

「利き手」の筈の右手があれば

そういうことはなんとかなるかと思いきや… そうでもなくて

ギプスが外れてからも、左手が「ソコソコ使える」ようになるまで

3カ月ほど「妙に不自由」な思いをした。

 

「生まれつきとしては『右利き』じゃあなかったのかも」

そんなことを改めて感じた。

育った時代・家庭環境…といったことも。

 

 

どうでもいいようなコトを長々と書いている。

何を書きたいのか、自分でもよくわかってないのだろう。

(私にはそういうことが珍しくない)

 

ただ、ひとつだけ自分の記憶用に

どうしても書いておきたいことがある(らしい)

 

「私は自分の左手が

これまで見えてなかったと思う」

 

そこにあるのに、毎日見てるのに

日々懸命に「働いてる」のに

その存在が目に入ってなかった。

 

「『思い込み』の枠外にあると

その本来の姿が認識できない…」

 

大袈裟に言うと、そんな感じを持ったのかもしれない。

ちっぽけな私の左手に限ったことじゃない気もして。

 

 

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2 コメント

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Unknown (ムーマ)
2020-11-13 10:18:02
水着は無理ですね。
考えてませんでした(^^;
(とにかく「脱いだり着たり」は夏だったから何とかなった…って感じでしたが)

その後腱鞘炎は完治されましたか。
お互い(新型コロナのみならず)「手」でも苦労した夏でしたね~
お茶屋さんも、どうぞ無理しないでくださいね(^^)
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Unknown (お茶屋)
2020-11-12 22:16:20
当たり前のことって、なかなか気づかないものなんですね。こうして書いてもらえると、なんとなく、そうか~と気づかせてもらえるような感じです。腱鞘炎の間、できないことがいくつかあって、右手で何とかなったものの、水着の脱ぎ着だけは無理でした。
ムーマさんも無理しないでね~。(^ー^)
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