眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

映画はいつも・・・

2010-05-22 14:02:14 | 映画・本
『明日に向かって撃て!』のことを書こうとしたら、幼い頃からの映画にまつわる思い出が押し寄せてきて、アタマの中の収拾がつかなくなった。

仕方がないので、またまた脇道に逸れたことを書いている。


小学生の頃、(私の場合)映画はそもそも「学校から観に行く」ものだった。

当時(1960年代前半)私のいた小学校では月1回「映画鑑賞」の日があって、さまざまな平和教育?映画の他に、『赤い風船』『サウンド・オブ・ミュージック』或いは『海底軍艦』『妖星ゴラス』『アラビアンナイト・シンドバッドの冒険』『わんぱく王子の大蛇退治』などを観た記憶がある。もちろん、ミッキーマウスやドナルドダックの短編は何本観たかわからない。

それ以外では夏休み前などに、「観に行っても構わない映画」のリストが学校から渡され、その中から選んで、姉や近所の友達と一緒に、誰か「オトナの人」に連れて行ってもらった。山の中の小さな町にも3軒の映画館があって、『モスラ』系統?や坂本九さんたちのコメディー、小林旭さんのアクション映画、或いはもう題名も思い出せないけれど史劇風のハリウッド映画?も観たと思う。

学校からのときはもちろん、休み中に観に行ったときも、場内には小学生仲間が一杯で、映画はそういう「大勢の中の1人」として観るのが当然の時代だった。時にはどよめき、時には固唾をのんで、笑い声の起きるときは皆が時を同じくして笑った。「笑う箇所が違ってる」ことなどあり得ない!という年頃だったのだとも思う。(先日『キネマの天地』を観る機会があり、当時の雰囲気そのままの映像に涙が出てきて、自分でも驚いた。あの頃は、映画を観るということ自体が「幸せな体験」そのものだったのを、久方ぶりに思い出した。)


父が勤務医になってからは、しばらくの間は月に1回、家族みんなで映画を観に行った。開業中は出来なかった「家族団らん」のためだったのだろうけれど、それとは別に、父は映画が本当に好きな人だったのだとも思う。『サーカスの世界』『素晴らしきヒコーキ野郎』『マイ・フェア・レディ』『わんわん物語』『ファンタジア』或いは松竹の「駅前」シリーズ・・・。

『素晴らしきヒコーキ野郎』を観たときは、父は「近眼じゃなかったら、絶対パイロットになっていた!」と大真面目で言った。かつてはデザイナーのタマゴで、オードリー・ヘップバーンが好きだった母。『ファンタジア』のときは、家に下宿していた大学生のお姉さんも一緒だったので、帰宅後は映画だけでなく、音楽や絵、聖書にギリシャ神話まで出てきて、食卓で話に花が咲いた。小学生の私にはよくわからないことも多かったはずなのに、「楽しかった」記憶として、今もその情景を思い浮かべることができる。


私が中学生になる頃には、さすがに月1回家族で・・・ということはなくなった。中学生はひとりで映画館に入っても良かったらしく、姉はもちろん、私も高校生の姉と一緒に、親ヌキで映画を観に行くようになった。

それでも、私は姉ほど映画に熱心ではなかったと思う。姉は中学生の頃から、ひとりで映画を観に行っていた。「ほんとは(校則では)いけないのかもしれないけど、窓口でダメって言われたことないよ。」

映画代をどうやって乏しいお小遣いから捻出していたのか、今となると不思議な気がするけれど、姉は自分なりの判断で、観に行く映画を慎重に選んでいたのを思い出す。「『山猫』はやっぱりやめようかな・・・」。そして制服に寒そうな黒のレインコートを着て、時々ひとりで出掛けて行った。

友達と行かないのかなあ・・・などとは、なぜか私も思わなかった。その後、私自身も高校生になった頃には、映画はひとりで観に行くものだと自然に思うようになっていた。


だから、姉とふたりで観た映画はそれほど多くなかったと思う。

同じ部屋で机を並べて、二段ベッドの上下に眠る。いつも同じ学年(3年離れていたため)で、同じ時期に受験勉強をするハメになり、なんだか寄宿舎で同室だったようなイメージが湧くくらいだけれど、2歳という歳の開きは当時は案外大きくて、一緒に同じ映画を観るのは無理だったのかもしれない。

実際、今こうして振り返ってみても、高校生の姉と中学生の私とは違う種類?の観客だったのを感じる。



私にとっては、映画はいつも「そこにあるもの」だった。

「そこにある」から、行けるときには見に行く。最初からそこに存在しているものなので、その映画が出来上がるまでの過程を想像したことなどなかった。当然、どんな人たちが作っているのかも考えたことはなく、なんとなく「出来上がってしまっているもの」・・・幼い頃などは、山、川、家などというような「大きくて揺るぎない何か」に近かったかもしれない。

映画を観ている間は、もうその中の世界しかこの世には存在していなかった。その前と後、誰とどういう風にして観に行ったかということも、長年にわたる記憶の宝物になった。

映画はそれほど大きなモノだったので、かえって「これを作った人がいる」などとは、感じたことがなかったのだ。


ところがあるとき、見知らぬ人が訪れてそっとドアを叩くように、そういう「映画」というものに対する感覚を、観ている間に自然に変えてくれる作品が現れた・・・。


というところで、漸く『明日に向かって撃て!』の話が始まる。姉には既に見えていたモノに、私がやっと気付いた・・・そんな映画の話だ。





(次の記事に続きます。)





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2 コメント

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こんにちは。 (まゆりん)
2010-05-22 15:08:57
映画はムーマさんにとって生活の一部だったんですね。

映画によって、それまでの人生の価値観を変えられたりしますよね。
その映画を見ると音楽と同じでその時代に
タイムスリップできたり・・・
映画って面白いです。

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タイムスリップしっぱなし~(笑) (ムーマ)
2010-05-22 18:44:11
次の記事を書いて戻ってきたら、まゆりんさんのコメントが!(嬉)。
早々と読んで下さって感激です。
どうもありがとう!

私はちょっと過去に引きずり戻され過ぎだと、自分でも思うんですが
性分っていうのは仕方がないもんですね。

でも「昔見た映画」を今観ると、本当にいろんなことを思い出すんです。
書き始めるとさらに意外なことまで、記憶の底から浮かび上がってくる・・・
「記憶」の不思議と映画の魅力、両方に首まで浸かってます。
本当に、映画って面白いモノですね~。
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